就活前線異状なし
X(旧:Twitter)で、こんな内容の投稿があった。
ガクチカなんてどうでもいい。
企業が求めているものも、理念なんぞにも興味はない。(内容を要約)
この考えは、多くの就活生および、日本で働く人々、および
働く人であるならば誰であっても、そうだろう。
皆が欲しいのは「他者よりもより良い人生」であって、
仕事の理念に共感しました、というのは、自分が働くことの理由にはならない。それは手段にしかならず、多くの働き手がかぶっている仮面である。
社会に対抗する手段はいくらでもある。
しかし多くの「外れたい」人々にとって、そういった事は社会の「レール」から外れることになり、それはつり橋の上を渡らされているような感覚に陥ることは正常なんだろう。
私は、そのつり橋を渡っている人物を知っている。
尊敬しきれないし、本当にだいすきだ。
誰でも、集団に後ろ指を指されたくはない。
親の歪んだエゴによって、生み出された私たちに出来る事など
永遠とこの労働に対して、必死に心震わせながら、短歌やポエムを吐かねばならない。
私にはそれが異状、でなくて異常のように見える。
なぜ、わたしたちはとらわれるのだろう。
『企業の理念なんか知るか。
お金が欲しいからだよ。
みんな我慢してやっている。』
企業の理念にマッチした個人を採用する?
企業に役立つような人材をマッチします?
就活エージェントがあなたのキャリアプランを提案します?
企業がおなじような人間を集めるばかりでは、その体制も
考えも、この異常な社会も
なにも変わりはしないのだろう。
彼らが何を基準にしてサイヨウするのか。
むしろ企業側がサイヨウされてはいかがだろうか。
人が何を犠牲にするのかは自由だ。
どこへ行くのか、どんな人になりたいのか。自由でいい。
仮面を被る必要などないじゃないか。
少なくとも、こういう投稿があるだけ、
今は『いまは』、異状なしと言えるだろうか。
社会人になる手前の私には、つまらないおとなの話が分からない。
こういうことを投稿にしているのだから、私はまだ異状なんだろう。
金を得るために、思っても居ないことを言ったり、
仮面を被る人間は嫌いだ。
興味のない事をして、何をしていいのか全く分からないという人を何人か知っている。
だいきらいだ。
2024.7.9. 20歳初夏