人間としての魅力とな
朝8時。ピラティスに全力疾走して向かうも、「ごめんなさい、予約されてないみたいです」と言われ、意味もなくまた20分かけて帰ることになった。
私これやるの2回目。1回目は予約キャンセル待ちが繰り上がったと思ったら、繰り上がってなかった。
今回は、なんでだろう。予約完了したつもりでGoogleカレンダーに入れてしまっていたのかな。
これ以外にも、暖房機のコンセントを抜いたと思ったら冷蔵庫のを抜いてしまって冷蔵庫の中身を腐らせたり、
車借りたは良いものの、返却する駐車場が狭すぎて友達数人に「代わりに駐車しに来れない?」と連絡したりと、私は“結構アホな人”である。私の中では。
それなのに、「隙がなさすぎて、親しみづらい」と複数人からよく言われるのが、ちょっとした悩み。
昔付き合った人には「ずっと完璧だと思ってたけど、引っ越し手伝った時に汗の匂いがしてそこで初めて同じ人間なんだなと思ったんだよね」と、言われたこともある。(マジで草)
アドラー心理学的に考えると、原因論ではなく、目的論。私の理想とする女性像が“美人でスタイルが良くて、外国語が堪能で、経済的にも精神的にも自立している人”だから、隙がない人に見せてしまってるのかもしれない。
もうそんなの嫌!なんとかしたい!!
友人に私の分析をお願いすると、つまりこういうことだった。
interestingだけで、funny要素がない。
ぐふ。私は「男女の友情とは何か」等、一つの話題に対し深掘って話すのが大好きすぎる。
相手の価値観や経験を聞いてこそ、“交流した”と思うし、オモロー!と感じる。
逆にその人の価値観が何も詰まってない会話にはあんまり興味がない。
そんな私に友人は「何事も塩梅が大事。スーツきっちり着てる時より、ネクタイ緩めた瞬間が一番オシャレでセクシーでしょ。変顔するとか、モノマネするとか、おちゃらける、そういうfunny要素があると良いかもね。それが難しかったら、これまで意味がないと思っていた会話に積極的に笑顔で交わることかな」と、教えてくれた。
加えて、「まぁこんな奴もいるんだと思ったけどね。ずっと真面目な話しかしない人、マジで他に会ったことないよ」と、フォローなのか、追い討ちなのかよくわからん言葉を言い放ち、
「人間として魅力があるかどうかは、また会いたい、一緒に仕事したいって思ってもらえるかってところなんじゃない」と締め括った。
…雑に言うと、つら。
けど、こうして私を分析してアドバイスしてくれる友人がいるの、私に人間的魅力があるからこそじゃないんでしょうか?(開き直り)
悲しいから泣くんじゃなくて、泣くから悲しい。同じ理論で、funny要素も楽しめるよう、ちょっと意識してみる。