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104人との暮らしから見えてきた、自分の好きな”人”
心がモヤモヤして、久しぶりにお昼前になってやっとベッドから降りた。
こうして自分で1日のスケジュールを柔軟に変更できるのは、フリーランスならではだと思う。
過去の自分、あの時会社やめてくれてありがとうな。
さて、いつもの如くこのモヤモヤを言語化していく。
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常々「幸せはいつも自分の心がきめる」という、相田みつをさんの言葉を思い返してはいるものの、嫌われる勇気いわく、どうも私は「自分を好きにならないでおこう」と決心しているらしい。
果たしてそれが、自分にとってなんの”善”なのか分からないが、人にも他人にも厳しいこの性格は、確実に私の日常生活に支障を及ぼしている。そんな自分があまり好きになれない。
こんなことを言うと「怖くて関わりたくない!」と言われかねないのだけど、ソーシャルアパートメントという特殊な環境の中で自分の好きなタイプと苦手なタイプが確立してきた。
通常であれば、自分の周りは自分と同じ価値観の人に固められ、苦手な人に出会うのは職場くらいになるだろう。
けど、私は104人が住むソーシャルアパートメントに住んでおり、なんなら他のソーシャルアパートメントの人とも盛んに交流をする。おまけに150名が所属する社会人サークルなんかも運営している。
これが、良くも悪くも私に非常に影響を与えているのは間違いない。
その確立してきた好きなタイプ(嫌いなタイプはその逆)を挙げてみることにする。
①ポジションを取る人
(※ここでいうポジションは、自分の主義主張を明確にすること)
私がどちらかと言うと主張したがり人間なので、自分の主張を明確にしてくれる人の方が話していて楽しいし、信頼できる。
よく挙げられる例として、誰かが悪口を言い始めた場合があるが、「そうなんだ」だけ言って違う話題に移行させるのと、自身の感想を述べるだとか、「言語化すると心に刻まれるらしいから、ハッピーな気持ちになるためにも、違う話しようぜ!」と言うのでは、天と地ほど違う。
ポジションを取るということは、その分誰かを否定しかねない。そのリスクをとる、誰かに嫌われる勇気を持つ、そのスタンスが信頼に値すると私は思っている。
②自分の考えがある人
ちょっと①と重複する部分があるが、”なんでそう思うのか”を話してくれる人がとても好きだ。
それに自分の体験エピソードまで加えてくれたら、最高。そう考えるに至ったプロセスや、その人の価値観が見えてきて、そこでやっと”対話をした”という気持ちになれる。
だから、それを伴わない飲み会はできる限り避けたい。(飲み食いを目的とするならあり)もう何度もご飯に行っているのに、未だに何者かわからない、知りたいとも思えない人がいる。
悲しくも、これが現実。
(自分が相手の話を引き出す力がない、もしくは心を開いてもらえる人ではない、ということも心の片隅にある)
③バリューを発揮する人
プロジェクトとなれば、「バリューが発揮できない?ならプロジェクトに参加する資格なし!」と言ってしまいそうになるが、ここでいうバリューは、平たくいうと”気遣い”的なニュアンスである。
損得勘定がない友人関係でさえ、BBQで何にもしない奴がいたら、段々と疎遠になっていくと思う。
場を盛り上げるなり、洗い物するなり、飲み物を買いに行くなり、お店を調べるなり、予約するなり、何でもいいから出来ることが必ずあるはずだ。
これは感覚的に年上の人に多い気がするが、誰も見ていない場所でも誰かのために積極的に動ける人は、やはり魅力的に映る。
④行動に移せる人
やりたい人100人、行動に移す人10人、継続する人1人(桁数は適当)だったかな。行動に移せる人自体が少ないので、有言実行している人は尊敬するし、信頼ができる。
話していても「これやりたいんだよね」(ただし、新規事業のアイディアなどは除く)よりも「これやった結果、こうだったんだよね」の方が聞いていてワクワクする。
私自身もそういう人であり続けたい。
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現在、精神的ストレスこそ多いものの(ごめん、現時点ではそうなってしまっている)自分の価値観が凝り固まずに、日々色んな”初体験”ができるのは、サークルに参加していたり、ソーシャルアパートメントという特殊空間に住んでいたりするからこそだと思っている。
悪い部分だけではないので、そこは周りの人に感謝したい。
ただ、本当は”仲の良い友人”でいれたはずなのに、同じサークルを運営したがゆえ、プロジェクトに参加したがゆえ、苦手意識が生まれてしまったのは果たして良かったのか。
年々、表面的な付き合いの人ばかりになっていくから、貴重な経験といえばそうだし、友人と何かをやる難しさを学べたという意味では、”良かった”と言える。
何度も自分に言い聞かせているけど、事象の意味付けをするのは私であり、幸せは私の心が決めるから。
ソーシャルアパートメントの契約終了まであと1年3ヶ月。
ストレスを抱えない程度に、誰かと暮らしているからこそ出来る”新体験”をたくさん経験していきたい。