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昨日

娘は虫が嫌いなのだが昨日一緒に散歩をした時に用水路沿い群がるちっちゃい虫(名前がわからない。グラウンドで野球とかやってる時に頭の上を群がって飛んでるやつ)に発狂してキモイキモイと言う。「虫が可哀想じゃん」と言うと「しょうがないじゃん。虫は虫に生まれたんだから」と言う。「でもキモいと言うのはどうなんだろう」と俺が食い下がると娘はしばらく考えて「でも虫に生まれたんだからしょうがない」と改めて言う。「まあわかるけどキモいは可哀想だよ」と俺が改めて言う。「でも虫が嫌いなんだもん」と娘は言う。「嫌いってことも大事な感情だけど好きって感情と同じくらいの熱量でなんで嫌いなのかってことを一度考えたいね」みたいなことを俺が言う。俺にはすっかり嫌いなものがない。娘は嫌いなものがたくさんある。お互いに「嫌いとはなんだろう、うーん🧐」みたいな感じになり虫もいなくなったので話題は変わり、目の前の小高い坂を登った。そしてこれら一連のやりとりはすべて笑顔で行われていた。目的地の公園は「さくらまつり」だろう屋台が並んでおり射的で遊んだ。あごのくしゃっとしたおじさんがおまけ(落ちやすいところに置いてくれるなど)をしてくれて娘は非常に喜んでいた。おかげで射的のこともおじさんのこともお祭りのことも好きになったと思う。帰りは虫が出ない道にした。いま嫌いの感情を逆撫でする必要はないし、虫は虫で生きているのだし。それにしても春だったなあまりにも、昨日は。

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