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なぜ歴史を学ぶのか? 歴史を学ぶ意義と国家観
「なんで歴史を勉強するの?」
「歴史って役に立つの?」「暗記科目だよね」
なんてよく言われる。
そこで、歴史を学ぶ意義をChatGPTに聞いてみた。
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歴史を学ぶ理由は多岐にわたりますが、大きく分けて以下のような目的があります。
過去から学ぶため
過去の成功や失敗から教訓を得ることで、未来の選択や行動に役立てることができます。例えば、戦争や経済危機の原因と結果を学ぶことで、同じ過ちを繰り返さないようにすることが可能です。現在を理解するため
歴史を知ることで、現在の社会や文化、政治がどのように形成されてきたかを理解できます。たとえば、現在の国際関係や法律、伝統はすべて過去の出来事や思想の影響を受けています。アイデンティティの形成
自分自身のルーツや所属するコミュニティ、国、文化を理解することで、アイデンティティや帰属意識を深めることができます。歴史を学ぶことは、個人や集団としての自分の立場を理解する助けになります。批判的思考の養成
歴史を学ぶ際には、多様な視点や情報源を比較・分析する必要があります。この過程で批判的思考が鍛えられ、情報を鵜呑みにせず、自分で判断する力が養われます。人間性の理解
歴史を通じて、人間の多様な行動や感情、価値観を知ることができます。これにより、異なる文化や背景を持つ人々に対する共感や理解が深まります。未来を予測するため
歴史は時に繰り返されると言われます。同様のパターンや傾向を理解することで、未来の社会や経済、政治の動向を予測するヒントを得ることができます。興味や娯楽として
歴史そのものが興味深いストーリーの宝庫です。過去の英雄や事件、文化の変遷を知ることで、知的な好奇心が満たされるとともに、人生に豊かさをもたらします。
歴史を学ぶことは、単なる知識の積み重ねではなく、自分自身や社会、未来に対する洞察を深める重要な手段です。それによって、より良い判断を下し、より豊かな人生を築く助けとなります。
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私たちが生きている今の社会は、先人たちが作ったものである。
昔があって、今がある。
その「今」もやがて「昔」となる。
私たちの身の回りのもの、たとえば道路、住居などにはあらゆる技術が使われている。
これも積み重ねられて確立したものだったりする。
社会システムも同じ。
価値観や年中行事などの文化、風習など、先人から受け継いだものである。
意味があって受け継がれてきた。
もちろん改めるべきものもあるが、変えるときはその意味を理解してからにするべきだ。
歴史(昔)は現代につながっている。
現代で「当たり前」とされているルールなど、なぜそういうルールになったのか、その答えは歴史にある。
きれいにまとまっていたのでChatGPTをそのままコピーしてしまったが、
歴史を学ぶ意義は大きく
・事例として学ぶ
・国(世界・地域)の成り立ちを知る
・自国に誇りを持つ
この3つかと思う。
小中学生にこんな話をしてもよくわからないと思うが。
たとえば、学校というシステムはなぜあるのか。
その答えは歴史にある。
なぜ選挙で政治家を選ぶのか。
その答えも歴史にある。
今、政治不信が高まっている。
その理由のひとつに「国家観の欠如」がある。
国家とは簡単に言えば大きな家であり、国民も国家の中にある。
国家は国民の安全を確保する義務がある。
これはどこの国も同じである。
もうひとつ、「この国がどんな国か」が抜けている。
日本という国がどうやって現代まで続いてきたのか。
歴史がわからないと「日本とは何か」がわからない。
哲学者のカントは「人は教育によってのみ人間となる」と言った。
教育がなければ人は動物と変わらない。
社会の一員の「人間」として生きていくには規範意識などを身につける必要がある。
その「規範意識」も歴史に学んで作られたものである。
「歴史」は国や地域によって違う。
ゆえに価値観も違ってくるのだ。
その国の歴史を知らなければ、その国がわからない。
自分が属する国に誇りが持てないことは不幸である。
いわば自分を産んだ親に感謝できないようなものである。
己の存在自体を否定してしまうようなその人生は、ふてくされたものになるだろう。
日本は長い歴史を持ち、奥深く、懐深い国である。
独自の独特の風習があり、戦乱や存亡の危機もあったが、なんとか乗り越え、これまで存続してきた。
そして自分は、その国に属している。
ここではすべて書けないが、それを思うと「日本という国」をないがしろにできないはずなのだ。
よく言われる「歴史を勉強する意味がわからない」は教える側の責任が大きいだろう。
現場の先生ではなく、もっと上の学者や教育行政、教育委員会、〇教組などである。
教育については言いたいことがたくさんあるのだが、今回はこのへんで。