師匠に渡す酒を買いに(前編)
前回の投稿で、湯川博士師匠の家に伺ったことを書いた。
ぼくは師匠から殊勝な弟子と思われているので、それを継続するべく、なにか持参していこうと思いついた。
やはり湯川博士、湯川恵子とくれば酒である。有名パティシエの作ったケーキなど持っていっても、あぁどうもで終わってしまう。せっかく金を出すのであれば精いっぱい恩を売りたいのが人情だ。なので、地元の旨い清酒を持っていくことにした。
青梅線沿線にはいくつか造り酒屋がある。今回狙ったのは、そのうちの石川酒造。最寄り駅が拝島と五日市線の熊川なので、御岳の方にある澤乃井に比べると近くて楽だ。とある晴れたウィークデーに、たった1本を買うためだけにぼくは出かけた。
熊川駅は東京の市街地にある希少な無人駅で、周囲に店はないが味わいがある。できれば熊川から行ってみたかったが、五日市線が行ってしまったので、拝島から向かうことにした。五日市線は、始発から終点まで東京都を走る路線の中で、最も運行本数が少ないのだ。
拝島駅コンコースからは、富士山が見えている。肉眼ではうっすらと丹沢の山々も見えた。
石川酒造への道中も、富士山は前方に姿を見せ続けている。昭和からずっとごみごみして見通しの悪い拝島駅周辺だったが、今では大通りが完成して視界が開けている。昔の拝島を知る者は、こんなに広い土地、どこにあったんだという感じだ。
このトラックの見えている道が国道16号で、それを突っ切っていく。そして新奥多摩街道を渡って少し進むと石川酒造の案内板が立ってあり、細い道へといざなっていく。
小道に沿って分水が流れる。2月でも小春日和で、また風もなく、水のある眺めを気分よく味わえる。
分水の横には鳥居と祠。小旅行気分になる。
分水が見えてから1分も歩かないうちに石川酒造に到着。手前には建売住宅が並ぶが、この角度だとひと世代前の眺めだ。
石川酒造のお酒、『多摩自慢』。福生市にはもう一つ、『嘉泉』というお酒もあるが、それは田村酒造。
造り酒屋の敷地は広い。一角、というよりは一帯といった感じの敷地面積だ。この画像の奥の方と右手前、2ヶ所が入り口になっている。手前は飾り気のない入り口で、戸惑う人もいるだろう。しかしうっかり通りすぎるくらいそっけない方が、小旅行気分が害されないで済む。
門をくぐると、なんというか……
厳かさが漂う。歴史を感じさせるには、なによりも大木(たいぼく)を写すのがいい。
しかし角度を間違うと厳かさが吹き飛んでしまうので、注意が必要だ。この時代特有の「耐震工事」だろうか?
敷地内にある、ビール窯の館。
明治20年に醸造を開始も、時期尚早だったとのこと。東海道本線全線開通がその2年後なので、確かに尚早だったのかもしれない。文学的には、二葉亭四迷の「浮雲」発表の年。
窯の中。
皮肉だが、上記画像の『告』に書かれているように「歴史の証」としてこうやって残ったのは、発売中止になったおかげかもしれない。製造し続けていたら、傷んで残らなかったのではないだろうか。
そこで振り向くと、
という、魅惑的な看板が日差しと共に誘っている。「なにも人の酒だけ買って立ち去るなんて野暮もないんじゃないの」、と……。
昼時で混んでいるかと思ったが、平日が幸いしたのか半分ほどの埋まりようで、店員さんに促されて広い店内の真ん中あたりに着席した。
(後編につづく)
書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。