大沢一公の「将棋雑記」9月24日分
(マガジン『勝手に大沢一公』)
将棋ブログの大家、大沢一公のブログエントリーを、ときおり転載している。彼からは、「別に構わない」と許可をもらっているし、おもしろいエントリーが次々と出てくる。
まぁこちらも多少の意地があるので、そうポンポンと転載はしたくないが、やはりおもしろいものを読むと誘惑にかられる。また、彼の文章のファンでもあるので、紹介したい思いもある。
彼の真骨頂は、文章のリズムだ。元々意識しないでリズムよく書けるウデを持っているところに持ってきて、それを強く意識してもいる。だから、読んでいて引っかかるところがない。
リズムのいい文章がウリなので、将棋以外のものだって構わないということになる。データとか知識とかではないのだから。
当然だが、ブログのファンの中には、将棋以外のことを書いてという者もけっこういる。ぼくもまた、そのひとりだ。将棋はもう何割か減らしてもらって、他のものを広く書いてもらいたい。
9月24日も、将棋のエントリーではない。その前日に開業した西九州新幹線に関するものだ。鉄道ネタも、また彼の持ち味が存分に出るところ。
以下に掲載する。
本当に、中途半端なところに作ったなぁという感想は、誰もが持つものだろう。九州新幹線と繋がっていないのだ。これまでは必要なかった「乗り換え」を要することになってしまった。
とりあえず造れるところを造っておこう、という感じを受ける。
また大沢さんのブログで書かれているように、長崎駅が変わってしまうのもイヤだ。地元の人の利便性も、当然考えなければいけない。それはそうだが、なにしろ遠方から訪れる人の多い地だ。そこは旅情ということも考慮してほしい。
玄関が都心のそれとまったく同じ、ということでは、旅の高揚感が沸かない。
また、こういうときには、それまでのものがサラリと変えられたり、なくなされたりする。その一つが「肥前山口」駅だ。
この駅名はブルートレインやエル特急がばんばん走っていた頃の鉄道ファンには、なじみのあるものだった。
長崎方面へのそれら優等列車は、多くが、途中で切り離されて「長崎」行きと「佐世保」行きになる。その分岐駅が、肥前山口だったのだ。
東京に住んでいるぼくからは、地味な魅力を放つ駅だった。東京を出た寝台特急「さくら」が、毎日そこで切り離し作業をしているのだ。どうしたって、思いは馳せる。マンガの一コマなら、上向き加減に目をつぶり、ぽわぽわと吹き出しが出ている感じだ。
それが、この新幹線開業にあたって、駅名変更となってしまった。
9月23日から、江北(こうほく)駅だ。
まぁ駅が江北町にあるので、変更はシンプルになって、いいことなのだろう。でもぼくは、子どもの頃に頭の中に何度も浮かんだ駅が、名称を変えてしまうのがさびしく思える。
その肥前山口駅を通ったときに撮ったのが、上記の写真だ。
特急の分岐駅はそれなりに賑わっていると勝手に想像していたぼくは、びっくりしてしまった。駅前ロータリーなどなく、田んぼに包まれている。撮影したときの子供の頃の気持ちを、実は今でも覚えている。「ここ、本当に肥前山口駅なの? となり駅じゃないの?」と。
新幹線のルートに入る駅、名称変更こそしないものの、多くが、単一の色となってしまうことだろう。アジや特色は大会社など眼中に入れないだろうから仕方のないことではあるが、もったいないなぁと個人的に強く思う。遺産なのに、と。
大沢さんの、このエントリーに付く「光と影」という言葉が、全体像をうまく表している。