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最弱世代のダービー
さきほどの記事で、『ウマ娘 プリティーダービー』のキャラに、昭和の終わりのアイドルホースたちがいるということを書いた。
時代を超えて、ゲームの中のキャラクターとして残るくらい、彼らは人気があり、また強かった。
しかし、ちょっと皮肉な言い方をすれば、彼らの時代、他の世代が弱かったとも言える。タイミングとして、強い馬が現れなかったので、彼ら世代でGⅠをほぼ独占し、突出した強さを示せたのだ。
もちろん逆も言える。スーパークリークやイナリワン、オグリキャップなど彼らアイドルホースたちが強すぎて他馬の台頭を抑え込んだのだと。それは当然あった。しかし実際に、あの競馬大ブームにちょうど当たった「平成元年世代」が、まったくダメ世代だったのだ。とにかく、牡馬牝馬、長距離短距離、名馬が現れなかった。
なにしろ、古馬になってからGⅠ勝ちしたのは宝塚記念のオサイチジョージだけ。そのオサイチジョージはダービー不出走で、クラシックは菊花賞(12着)のみ。GⅡやGⅢも、この世代の勝ち星が少ない。
オグリキャップで沸いた平成の競馬界も、この元年の春はスターホース不在。オグリキャップとスーパークリークは故障で戦線離脱。サッカーボーイ、タマモクロスは前年暮に引退。そして、この世代がダメダメ世代でクラシック戦線が盛り上がらない。競馬関係者の中で、せっかくブームなのにもったいないと感じた人も多かったにちがいない。
この年のダービーは24頭立てだったが、重賞2勝馬が皐月賞馬のドクタースパートだけ。オープンを2勝した馬も極端に少ない。それも、故障馬続出というわけではなく、当歳重賞戦線の勝ち馬がそれぞれ出走してきている。京成杯馬も、共同通信杯馬も、NHK杯馬(当時は2000Mのトライアル戦)も、GⅠの朝日杯馬も皐月賞馬も。当時はオープン特別だったが、ホープフルSや青葉賞の勝ち馬も出ていた。
とにかく、未勝利を勝ったあとにちょこっと上位成績を取った馬ばかりで、スターホースの片りんは微塵もない。どの馬もダービー馬になるに相応しい、キズのない成績を持っていない。大負けの汚点を抱える馬ばかり。擁護すれば、春のトライアル戦線の間、とても雨の多い年だった。弥生賞も皐月賞もNHK杯もどろどろの不良馬場だ。重馬場ではない。芝が悪い当時の不良馬場だ。ほとんど田圃。弥生賞では4コーナーを曲がれず逸走する馬も出た。
ダービーは3番人気、6番人気、11番人気で決着したが、当時は単複と枠連しかなく、馬券としては「小波乱」程度。このブームの真っただ中にあって、馬から配当から、まったく地味に終わったダービーだった。
その24頭のダービー出走馬は、その後、ほとんど活躍していない。GⅡ、GⅢ戦でときおり勝つ程度。その前のスターホース世代に、完全に食われてしまった。スターホース世代は層も厚く、ヤエノムテキやバンブーメモリー、パッシングショットやトウショウマリオ、メジロアルダンなどがいて、平成元年世代の重賞の上位入線を阻むのだ。
競馬は馬券でカネを儲けるためにやるものだろうが、でもやはりスポーツとしての魅力も兼ね備えているので、語りたくなるスターホースの存在が欠かせない。この世代にはまったくスターホースがいなかった。
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