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高崎競馬を応援する『今日もさんりっとる』というホームページ
地方競馬の売り上げがいい。地方競馬を応援してきたぼくとしては、まずはうれしい気持ちがある。しかしそれと同時に、残念な気持ちも沸く。ぼくが最も思い入れの強かった競馬場は北関東の、足利、高崎、宇都宮の3場だった。もし、廃止されてしまったそれら3場もなんとかつないでいれば、今残っている地方競馬のように売り上げが伸びたはずなのに、と……。
現在の地方競馬の好調ぶりは、その競馬場が努力した成果ではない。もちろん、現場の人たちはさまざまな努力をし続けている。しかし残念ながら、それは焼け石に水。いくら人気の馬やジョッキーが出ても、メディアで取り上げられても、安定して永続できるほどの売り上げには結びつかない。現在の地方競馬の好調な業績は、ネットで馬券が買えて、ネットでレースを観られる、というだけの理由からだ。
ネットによって、斜陽とか危機とか言われたぼくの好きなものが、息を吹き返した。FMラジオはラジコやらじるらじるで、将棋はabemaやネット中継で。つまりは、どんなものでも、広く万人の「お手元に」届けなければ凋落は止められないということだ。逆に言うと、ネットでそれができるなら、努力なくして安定した収益をあげられるということだ。いや、「努力なくして」、は失礼か。「コアなファンへの細かなサービスなくして」と言い換えるべきか。ぼくも歩きながら『Music Freeway』をラジコのタイムフリーで聴き、コーヒーショップでabemaの流す棋戦中継を観る。
地方競馬は、オッズパークというサイトで全国の馬券を買える。だから、ほとんどの競馬場が売り上げを伸ばしている。もちろん競馬場によって差はある。高知競馬は馬券を買いやすいナイター競馬でレースを組んでいることと、最終レースに面白い番組を組んでいることで、他より抜きんでて売り上げを伸ばしているようだ。ばんえいも、橇(そり)を曳くという独特のレースのために、上々の売り上げみたいだ。しかし他の競馬場も、あの廃止の嵐が吹き荒れたころに比べると格段に売り上げを伸ばしているだろう。だから北関東の3場も、ここまで持ちこたえていれば、安泰となっていたはずなのだ。残念でならない。
ずっと前、戦後と言われた時代から昭和の中頃までは、地方競馬はその町の財政を潤す産業だった。しかし平成になって赤字がかさむと、切り捨てられてしまった。たしかに公共の金をつぎ込まなければならないので、仕方のないことではあったと思う。しかし、動物を扱う業種で、現場の人たちの職業への思い入れは深い。お荷物になったからといって、簡単に廃止にさせられてはたまったものではない。
「簡単」と書いたが、この言葉に違和感を持つ人もいるかもしれない。何年にもわたって赤字が続いていたのだから、パッと決めた選択ではないだろう。ちょっと自分の思い入れのあるものに贔屓しすぎる言葉なんじゃないのか、と。たしかにそれはあると思う。しかし一応は本を書いた身。当時いろいろと地方競馬をめぐる状況を調べた。実際、名前こそ出せないが、役所の畜産振興課に話を聞いたりもした。そして役所の中で『競馬』の部署がぞんざいに扱われていることにガッカリさせられた。役所の中では窓際的な位置で、だから熱心に取り組む職員が少なく、また熱心に取り組む者がいても、周囲がそれをサポートしないという。
ぼくなどの言葉では信ぴょう性が薄い。山口瞳の『草競馬流浪記』の中の一説を例に出す。
読みやすいように端折って書くが、競馬好きの有名作家として招待されて、ダービーを観戦しに行ったくだりだ。5階の、一般人は入れない特別な席。1年に1回の祭典ということで、農水省の役人もいた。ダービーが終わり、追い上げたが惜しくも勝てなかった馬に、「来年はあの馬がダービーを勝つぞ」と言ったという。
説明の必要もないと思うが、一応。ダービーは生涯に一度、3歳時しか出られない。これを一般の人が言うならなんでもないが、主催する側の、責任があって権力を持つ人の発言であれば問題だ。山口瞳、よくこれを書いたと思う。山口瞳を大家と誤解してしまわないよう書いておくが、彼は招待されるのが嫌いで、2月の酷寒の東京開催でも一般席で競馬を楽しんでいた。
役人は現場になんか目を向けていない。この記事を書いているなか、格好の例が世間を騒がせているのでよく分かる。参加する選手たちのことを親身に考えれば、問題発言なんて出ないものだ。たとえしてしまっても、その火を消すべく、神妙に会見に臨むものだ。
とにかく、競馬を管轄する役所のことは、いい話を聞かなかった。調教師や騎手など、現場で動く者は相当イヤな思いをしたそうだ。この記事の最初の方で、存続への対処策も焼け石に水と書いたが、確かにネットのない時代は、もう努力のしようがなかったかもしれない。それでもこのときにいい話を聞けていたら、ぼくの思いもちがっていた。だから、簡単に切り捨てたと思ってしまうのだ。騎手の中には、もう役人に縛られる騎手という仕事がイヤで、ちがう職種に就いた人もいたと聞いた。特殊な「手に職」があるのに、もったいないことだ。
ぼくの書いたのは小説なので、こういう話を入れられないことが残念だった。ルポルタージュではないので、問題を追及するだけでまとめられないのだ。せっかく調べたことでも、捨てなければならない。まぁそれでも小説家は、ある程度は込められる。既定の字数がある俳人や歌人はもっとたいへんだろう。
ぼくが北関東の競馬を題材にとったのは、ひとつは知ってて書きやすいからだ。そしてもうひとつは、「記憶として、記録として」という思いだ。書き記すことで、当時を知っている人には「そうそう」と思ってもらい、知らない人には「そうなんだ」と思ってもらうこと。ちょっとでも北関3場のあの雰囲気を、読み物として残しておきたかった。
それを、ぼくは小説というカタチでやった。他にも残す努力をされている方々がいて、なかでもぼくは下記のホームページがとても好きだった。
さんりっとるさんの運営する、『今日もさんりっとる』というホームページ。高崎競馬への思いが詰まっているのは、これは当然だ。これほどのホームページを作るくらいなのだから。でも思いを訴えるだけのページに終わっていない。文章が読みやすくて、とっても面白いのだ。もっとも文章は好みがあるので、全員がおもしろいとは限らない。でもぼくにはすごくおもしろく感じた。全体にコラム的に短くまとめていて、ちょっと一言、あるいは一節、遊びのような言葉が入る。もちろん内容は、高崎競馬を知っている人に向けて書かれたものだけど、やさしさを感じさせる文章で、一般の人が読んでも内容が通じるものになっている。相当深く知っているだろうが、それをソフトに、万人向けに変換している。地方競馬ファンだけでなく、中央の競馬ファンでも読んで楽しめるホームページです。
実はこのホームページでぼくの本のことをとりあげてくれていたのだが、ぼくは何故か気が付かなかった。つい最近、kindleで電子書籍を作った際にいろいろ検索していて、その記事を発見したのだ。ホントに不思議。
自分の好きなホームページなのに気が付かなかったとは、そのこと自体びっくりだが、同時にとてもうれしかった。好きなホームページに取りあげられていたこと。あと、ライデンリーダーの記事の次に書かれていたことだ。今から干支を2まわり逆に戻したくらいの頃、弱かった地方競馬から中央に乗り込んで暴れまわった馬だった。この馬はレース振りが派手だったこともあるが、地方と中央の壁が崩された時期の活躍だったので、ちょっとした社会問題になった。この馬の桜花賞トライアルはすごいレースです。
『今日もさんりっとる』という高崎競馬が書かれたホームページ、おススメです。 特に、「けいばの思い出」ページの数々の記事が、推し!です。
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