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思い立ったら行動!
23歳の今ごろ、社会人1年生をやめて、フィリピンに向かった。この決断は人生において最強のものとなった、と今ではわかる。
でも当時は、なんでそんな国?帰ってきたら仕事ないよ、フィリピンなんか危ない、タガログ語?そんなの勉強して役に立つ?と言われた。
フィリピンといえば、出稼ぎにやってくる夜のお店で働くフィリピン人女性のイメージが強く、ニュースではスモーキーマウンテンと呼ばれるゴミの山でゴミを漁って売って暮らす子どもたちが流れていたころだ。
親も、なんでわざわざそんなところに…と、止めたところで言うことも聞かない末娘に呆れていた。
でも、勢いで動いて正解だったと、今ではよくわかる。
大学1年生の時に昭和から平成になった。大学を卒業する時は学生の売り手市場優位のバブル末期。就職活動する気が全く起きず、知り合いが関わっているアジアからの就学生のための寮と学童保育のスタッフをすることを安請け合いで決めた。
仕事のやりがいはあったが、体力の消耗が激しい割にはお金はあまり高くない。長く続ける仕事ではないなと、かなり早い段階で見切りをつけていた。
でも、じゃあ次どうする?と思った時に、
海外に一度は住みたい、
という想いが浮かんだ。
どこに住む?
学生時代、13ヶ国に旅行に行ったが、その中で住みたいと思ったのは
オーストラリアのメルボルンとフィリピンのマニラ。
この対照的な2国で迷ったが、当時の私の貯金は70万円ほど。オーストラリアの物価なら数ヶ月。フィリピンならもう少し長くいられる。そう考えて、フィリピンに行くことに。
勢いは大切だ。
私がフィリピンに行くきっかけになった人に連絡をとるが、返事がない。ネットがなかった時代だから手紙と電話しかない。知り合いの知り合いを紹介してもらったり、いろんな人に連絡をとってみる。
フィリピンに行く2ヶ月くらい前に知り合ったフィリピン人の女の子が、マニラにいるお母さんのところに泊まっていいよ、というのでしばらくそこに止めてもらうことにした。
家財道具を実家に戻したり、友人にあげて、なけなしの貯金片手で、知り合ったばかりのフィリピン人の一度も会ったこともないお母さんの家にリュックとボストンバッグで飛び込んだ。
関空がまだなかったので、夜行バスで東京に出て、千葉の友人の家に1泊ののちに成田から、パキスタン航空の最安チケットでマニラに。写真片手に初対面のフィリピン人ママに空港で出迎えてもらって、私のフィリピン生活は始まった。
奇しくも、その日は2月25日。フィリピンの独裁政権マルコスから暗殺されたアキノ大統領の奥さんが自由を求めて人々がエドサ通りを行進したエドサ記念日。
フィリピンの革命と自由の象徴の日は、私のフィリピン生活スタート記念日だ。
若いってすばらしい。勢いを大切にできる。
ここから先の七転び八起きな人生は、少しづつ書いていこう。
人は年を重ねると、手に持っているものを手放すのが怖くなる。これが老いの始まり。今持っているものを手放さないと、次の新しいものは入ってこない。
でも手放したら、必ず入ってくる。入ってくるものが有益か無益か、フィフティフィフティ。
損をしたくないからと手放さなかったら、永遠にもっといいものも入ってこない。
だから勢いは大事。
迷っているうちに時間は流れていく。選んでいるうちに、チャンスを逃していることさえも気づかないかもしれない。
思い立ったら行動だ。
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