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柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第四話 そこに楽しいはあるか

<前回までのあらすじ>
 たい焼き屋を営んでいる祖父が入院し、店を任された結貴の頼みの綱であるベテランバイトの和泉さんは龍神様だった。
 代理店長を引き受けることに二の足を踏む結貴だったが、和泉からの強引な勧誘もあり、ついに引き受ける決意を固める。

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「というわけで、今日から代理店長兼居候仲間としてよろしくお願いします」
 六畳一間に大きなボストンバッグを抱えてきた私を、居候歴では先輩にあたる和泉さんがふんと鼻を鳴らしながら眺める。
「ボサボサ頭もさっぱりしたな」
「ずっと髪切ってなかったので、これを機にさっぱりさせようかと」
 こう、とやることが決まったせいか随分と肩の荷が軽くなったような気がする。久しぶりにトリートメントまでしてもらった髪は、いつかの艶を少しだけ取り戻していた。どこか晴れ晴れとした心地で和泉さんを見据えれば、彼も満足げに笑う。
「よし、じゃあ早速今日も店開けるか!」

 たい焼き屋こちょうは、祖父が入院してからほぼ和泉さんの天下となっていた。そもそも店のことをほとんど知らない私が、数年以上ここで働いている和泉さんに太刀打ちできるはずもなかったのだけれど。
 しかし、祖父に無許可のまま出している四九〇円の高級たい焼きは、すっかりこちょうのメニューとして並ぶようになってしまった。初日の盛況具合は今でも思い出せるほどだったのだが、それから数日が経ち……──
「今日も売れませんね……」
 初日の盛況が夢だったかのように、その後は一日に数個売れるか売れないか、という明らかな低迷を見せている。定番メニューである一二〇円のたい焼きが今までと同様の売れ行きなのが、唯一の救いだった。
「でもこれじゃあ、今日の晩ご飯もかぼちゃと小豆のいとこ煮ですね」
 宇迦さんからもらって作った絶品粒あんも、売れなければ傷んでしまう前に自分たちで食べてしまうしかなかった。そのため、朝昼晩の食事に小豆を使った料理が最近の食卓の主役となってしまっている。
「煮物は昨日も食っただろ」
「じゃあ、野菜と小豆のチキンカレーとか?」
「それは一昨日食った」
 自分で作らないくせにそういう文句だけはいっちょ前だ。さすがは神様。舌はよく肥えているらしい。
「何で売れねぇんだろうな。こんなに美味いのに」
「美味しすぎると逆にリピーターができない、って話は聞いたことがあります」
「は? 何でだよ」
 和泉さんは意味が分からないと眉間に深い皺を寄せた。瞳の色を隠すために薄い色の入った眼鏡をしているが、整った顔の造形をしている彼にそんなすごむような顔をされると妙な威圧感がある。
「美味けりゃ美味いだけいいだろ」
「それも間違ってないとは思いますが……特別感が出ちゃうのかもしれないです。値段も安いわけじゃないので、何かあった時のご褒美枠っていうか。
 その点、一二〇円のたい焼きはお手軽だし、美味しすぎない美味しさがちょっと甘いものを食べて帰りたい時、気軽に手が出るのかも。こういう商店街のお店ってご新規さんより、リピーターさん頼みなところがあるでしょうし」
 私の見解に和泉さんは腕を組んだまま、その長い身長ごと不服そうに首を傾げる。どこまでその身体は曲がるのかを見守っていると、今度は逆方向にぐいんと折れた。
「じゃあ何か? もう少しまずくしろってことか?」
「そういうことじゃないような……」
 そもそも、やはり値段の高さはおいそれと毎日買うようなお菓子ではなくなってしまっているような気がする。そうなると、新規顧客の獲得を目指さなければならないのだろうが、この商店街は基本的に近隣住民や学生街からの若い子たちが行き交う通りだ。何かしらSNSなどで発信して、行動力のある若い人目に触れれば可能性もあるのかもしれないが。
「見た目は普通のたい焼きなんだよなぁ……」
 要するに、SNS向きではない。
「これが普通だと!? ちゃんと見てんのか、孫。この芸術的なまでの皮の焼き加減! 割ったら一粒一粒が輝きそうなほどのこの粒あん! 天下一品だろ!」
「そんなの、通の人にしか分かりませんよ……」
「何ィっ!?」
 和泉さんの言いたいことも分かる。彼の華麗な手さばきから生まれるたい焼きは、確かに輝いているようにすら見える出来映えだ。食べればその皮のパリッとした触感の後に、あんことの間で膨らんだ生地の柔らかさがやってきてこれ以上ない触感だと、私でも分かる。
 でもそれが、SNSで一体どれくらい伝わるのか……。
「インフルエンサーにでも紹介してもらえれば早いんですけどね」
「いん、ふる……? なんだ、急に病気の話か? 尭も予防接種がどうとかって言ってたな」
「インフルエンザじゃないですよ、インフルエンサーです。影響力のある人や物のことを言うんですよ」
「影響力のある……」
 私の言葉を口の中でもごもごと繰り返し、やがてはっとしたように和泉さんは顔を上げる。
「要するに神、つまり俺だな!」
「は……?」
 突然の和泉さんの話の帰結にぽかん、と口を開けてしまう。そんな私の反応を知ってか知らずか、全てを理解したかのドヤ顔で彼はうんうんと頷いている。
「全盛期の俺なら天に昇れば雨が降り、怒りのままに暴れればここいらの川を氾濫させて全て洗い流してやったもんだ。まさに絶大なる影響力!」
「そういう影響力の話じゃないんですが!」
 武勇伝とばかりに天災レベルの話をされてしまう。彼の脳内で一応、どういう思考の流れがあったのかは理解できたものの、私が今求めているのはそういう影響力では断じてない。
「で、俺がうちのたい焼き紹介すればいいのか?」
 なぜかひどく乗り気になった彼は、身を乗り出すような勢いで尋ねてくる。
「えぇっと……こちょうってSNSのアカウントって持ってたりします?」
「えすえぬ、えす……あかうんと……?」
 洗濯機をカラクリ、と呼んでいた和泉さんだ。たい焼き関連以外の現代の道具について、一体どこまで知識があるのか怪しい。
「おじいちゃんがこういうの使ってるところ見たことありませんか?」
 自分のスマホを取り出してみせると、和泉さんは鼻先が擦れそうなくらいに顔を近付けてスマホを見つめた。眼鏡の向こうで何度か大きな瞳を瞬かせ、やがて思い出したように声を上げる。
「あー確か、この棚の中にそれに似た大きいやつがあったな」
 乾物系の食品を仕舞っている棚の隙間から、片栗粉なのか何なのかところどころに白い粉が降りかかったタブレット型端末が現れた。すっかり充電が切れていたそれは、どうやら新しいもの好きの祖父が使っていたものらしい。
「でも、最初の何日か触って飽きてたけどな。小さいやつの方だけで十分! みたいなこと言ってたし」
 さすがおじいちゃん。スマホもタブレット型端末も使いこなせていたらしい。充電しつつ起動してみれば、それなりにアプリなどを触っている気配があった。
 老若男女問わずモテる祖父のことだから、使い方が分からなくても誰かに聞いて教えてもらっていたのかもしれない。
「あ、あった! こちょうのアカウント!」
「だから、あかうんとって何だよ」
「ネットの中で取得した権利というか、SNSだとアカウントを通して自分の代わりに何かを発信する分身みたいな感じですかね」
「分霊みたいなやつか。稲荷とかがやってる」
「そう、なのかな……?」
 和泉さんの例えに曖昧に頷きつつ、つべったー内に作られたアカウントを確認する。しかし、更新は一年前の投稿を最後に止まっていた。フォロワーはほとんどおらず、反応という反応をもらえていないところを見ると、うまく運用できていたというわけではないらしい。
「でも、アカウントがあるなら使わない手はないですね」
「お、ようやく俺の出番か!」
 そういう嗅覚だけは鋭いらしい。眼鏡越しに目を輝かせながら、ぐいぐいと距離を詰めてくる。
「分かりました! ひとまず商品の写真を撮りましょう」
「俺が食べてるとこでいいだろ?」
「え、顔出しして良いんですか?」
「どうせ買いに来たら顔見られるんだし、何か問題あるのか?」
「いやぁ、まぁ……」
 本人がいいなら良いのだろうか。まぁ、そもそも神様だしな。
 と、徐々に和泉さんに毒されてきたのか、神様だから、という雑な思考でそれ以上考えることを止めてしまう。
 早速、和泉さんに高級たい焼きを作ってもらっているところや食べてもらっているところを撮影し始めたものの……
「あの、もう少し自然な感じで写った方が……」
「はぁ? いつもこんなだろ」
 妙に意識されたカメラ目線。そして、大仰な腕の角度。謎に捻られた腰。
「いや、明らかに不自然です」
「いんふるえんさーの俺が良いって言ってるんだ。孫ももっと楽しめよ。これがえすえぬえすで生まれる俺の新たな伝説なんだからな!」
「どうかなぁ……」
 訝しみつつも、こちらの要望はどうにも通る様子はない。諦めて和泉さんの言う通りに撮影しながら、そのうちの数枚をアカウントにアップするのだった。

「うーん……やっぱり、反応がいまいち」
 それから毎日投稿をしているものの、そもそものフォロワー数の少なさのせいか大した反応が返ってくることはなかった。
 和泉さんってそこそこイケメンだし、うまくやればファンとしてお客さんもついてくれそうなのに……私の撮影技術の無さのせいだろうか? いや、やっぱりこの奇天烈なポーズのせいのような……それとも根本的に方向性が間違ってる? そもそも高級たい焼きを売るって目的がこちょうの経営方針として間違っているのでは……和泉さんは楽しめ、って言うけどおじいちゃんのお店だし、下手に赤字を出すわけには……
 考え出すと自然とネガティブな方向へと思考が巡ってしまう。
    肺に溜まった重い溜息を吐き出し、止まりかけた足を進め、買い出し先のドラッグストアへと向かっていたところだった。
 駅前で敷布を広げて小さな出店をしている高校生くらいの男の子がいた。商品は木彫りの動物たち。デフォルメされた可愛らしいものから、リアルな造形の彫刻まである。店番をしながらも、彼は夕日に照らされた手元でショリショリと手の平サイズの木の塊に刀を入れていた。
 器用なものだな、と思いつつ眺めていると、
「真昼くん! 注文したやつ受け取りに来ました!」
 元気な声と共に、女子大生らしき女の子が出店の前へと駆けていく。真昼くん、と呼ばれた彼が彼女の方へと顔を上げると、俯いていた時よりももう少し大人びて見えた。
「できてるよ。はい、ご注文のきなこちゃん」
 真昼くんが布の上に飾っているのとは別に、布に包まれた商品を取り出す。受け取った彼女が布を解くと、中から可愛らしい猫の置物が現れた。
「うわー表情とかそっくり! よくこんな顔するんだよね」
「大変だったんだよ、ピントのボケてる写真ばっかりで。ってわけで、約束通り五千円ね」
「うんうん、この出来なら満足! 頼んで良かったー、家に大事に飾るね!」
 彼女がお札を取り出そうとすると、真昼くんはさりげなく自身の商品の方を手で示す。
「一緒にこの猫用座布団の置物とかどう?」
「え、なにこれ模様とか細かっ! でも、可愛い!」
「きなこちゃんを乗せると二倍、いや四倍可愛いと思うんだけど。しかもこっちは五百円!なんだけど、今日セットで買ってくれたらさらに二百円引きで三百円!」
「んー確かに可愛いし……ま、三百円ならいっか!」
 真昼くんって子、可愛い顔して案外商売上手かもしれない。五千円出した後だと、三百円って安く感じるし財布の紐も緩くなっている。そこにさらにセットで買えば安くなる、と言われたら悩んでしまうのが人の心理というものだ。
 何かこちょうにも活かせる手がないか、と考えていたところでふと真昼くんと目が合ってしまう。先ほどまで会計を済ませていた女の子はいつの間にか帰ってしまったらしい。
「こんにちは、良かったら見ていってくださいね」
「あ、どうも……」
 誘われるまま、商品をよく見ようと身を屈めたその時だった。
「こらー! またお前か、彫刻学生!」
「あ、やべっ。お姉さん、こっち!」
「えっ!?」
 敷布を一気にまとめた真昼くんに腕を引かれ、そのまま飛んできた怒声と逆方向へと走っていく。状況がよく把握できないままちらりと後ろを振り返れば、青い制服を来たおまわりさんの姿が見えて、それ以降は恐ろしくて振り返ることはできなかった。
 じぐざぐと知らない路地を何度も曲がり、ようやく真昼くんが足を止めた時には近くの住宅街の中に抜け出ていた。
「はぁー! ようやく振り切った!」
「振り切ったって……君、まさかお尋ね者じゃないよね?」
 可愛い顔にそんなことはない、と信じたくなるが人は見た目では判断できない。しかし、そんな私の不安を吹っ飛ばすように彼は輝くような笑みを浮かべた。
「まぁ、ある意味お尋ね者? 俺さ、自分の商品をさっきのお姉さんみたいに、いろんな人に見てほしくてたまに駅前で露店やってるんだよね」
「それがどうしてお尋ね者に?」
「無許可だから!」
 あっけらかんと笑う彼に、どこから指摘したものかとこちらも毒気が抜かれてしまう。
「だって許可って面倒でしょ? 俺は店を出したい時に出したいのに。でも今日は見つかるの早かったなぁ。いつもはもう少し日が暮れてから来るのに」
 いい大人なら、ここで何か注意するべきなのだろうか。しかし、初対面の子に、自分ごときが説教を垂れるのも気が引ける。
「じゃあ、どうして私と一緒に?」
 逃げている時は何となく警察の方にお世話になるのが怖くて必死だった。しかし、今思えばお世話になる理由も、ましてや逃げる理由もなかったはずだ。
 私の質問に、真昼くんはまたこともなげに笑う。
「俺の作品、欲しそうに見えたから」
「え……?」
 少年のような男の子だと思っていたが、ふと浮かべられた微笑みはまるで達観しきった大人のような顔だった。短めの前髪の下で輝く真ん丸の瞳には一体何が見えているのか、妙な不安を覚えてしまう。
「俺さ、基本はさっき並べてた動物を象った彫刻が得意なんだけど、立体系の創作は基本何でも好き。椅子とか、ジオラマとか。だから、作って欲しいのあったら作るよ。値段は相応の額を払ってもらうけど」
 そうは言われても、急に言われても何も思いつかない。しかし、彼に言われた『欲しそうに見えた』という言葉が何となく胸に引っ掛かっていた。
「まだ分からないなら、分かった時に教えてよ。俺、大学にいるからさ」
「大学?」
「橘樹大学の芸術学部に通ってるんだ。キャンパス入って彫刻科のアトリエまで来たら会えるよ」
 キャンパスってそんなに簡単に部外者が入れるものだろうか。しかし、彼の話ぶりを聞いていると、こうして誘われている人間は私だけではないような気がする。
「それか、また出店に来て」
「出店って……さっきみたいにまた怒られるかもしれないのに、どうしてまたやろうと思うの?」
 質問で返すと、真昼くんはきょとんと目を見開く。そして、ふっとその真ん丸な瞳を細めた。
「どうしてって、楽しいからに決まってるじゃん」
「楽しい……?」
「さっきみたいに予約したお客さんが喜ぶ顔を見るのも、お姉さんみたいに通りすがりの人が目を留めてくれるのも。俺の作品がそうさせてるんだ、って思うと楽しいでしょ?」
 楽しい……まだ学生の真昼くんに、どれだけ商売をしているって感覚があるのかは分からない。でも、私だって最初は研究が楽しくて、それを職にできたらと研究職のある会社を志望していたはずだ。結果は営業職に配属されてしまったけど、きっかけは楽しさからだった。
──孫ももっと楽しめよ
 和泉さんだって、そう言ってくれていたのに。代理店長になったのだからちゃんとしなきゃと、荷を下ろしたばかりの肩にすぐにまた違う荷を背負おうとしていた。勝手に自分で自分を追い詰めようとしていたのだ。
「……ねぇ、真昼くん。やっぱり今日、注文してもいいかな」

 それからしばらくして、開店準備をしていた時のことだった。
「孫! おい、孫! なんか音が止まらねーんだけど!」
「え?」
 すっかりタブレット型端末の扱いにも慣れた和泉さんだったが、慌てて端末を私へと手渡してくる。渡された端末からは確かに鳴り止まない通知音が響いていた。
「え、嘘……バズってる」
「ばず……?」
 首を傾げる和泉さんを横に、通知を辿っていく。すると、私が上げた覚えのない投稿がものすごい勢いで拡散といいねを連打されていた。
「こ、こんな動画いつの間に……!?」
 それは和泉さんと宇迦さんが店先で高級たい焼きを食べている動画だった。だが、その投稿に寄せられるコメントは全く予想していないもので……
『え、店員さんの横でたい焼きが浮いてるんだけど!? しかも何かに食べられてる!?』
『店員さんの顔面の良さよりそっちのが気になる』
『どうせ合成でしょ?』
『透明人間も食べたくなるたい焼きwww』
 宇迦さんが前に言っていた。私は和泉さんを神様と知っているから、宇迦さんのことも認識できるのだと。もしかすると、私たち以外にはこの写真に写っている宇迦さんの姿が見えず、ただたい焼きだけが虚空へと消えているようにしか見えないのかもしれない。
「こここ、これまずいんじゃ……!」
「よく分かんねーけど、盛り上がってるみたいだし、大丈夫だろ」
「えー……」
 これも楽しめ、ということなのだろうか。確かに誰かに迷惑をかけているわけでも、貶めているわけでもない。ちょっとした面白動画として楽しんでもらうだけなら、それはそれで……?
「いやちょっと待て! これって俺じゃなくて宇迦がいんふるえんさーってことになるのか!?」
「そこ!? 大丈夫ですよ、和泉さんも顔面が良いって言われてますから」
 その時、コンコンと受付の窓がノックされる音がする。開店時間前であることを確認し、不思議に思いつつもカーテンの隙間から外を覗いた。そして、にっこりと笑う真昼くんの顔に驚きながら窓を開ける。
「真昼くん! あれ、店の場所教えてたっけ?」
「注文の時に住所聞いたじゃん。それより今朝、注文の品が完成したから早速渡しに来たよ」
「え、もうできたの?」
「なんだぁ?」
 後ろから和泉さんもやってきて、真昼くんが取り出すそれを一緒に見つめる。大事そうに包まれた布を真昼くんが解いていくと、中から現れたのは拳が通れそうなくらいの大きさの鳥居だった。
「これ……」
 和泉さんができたてほやほやの鳥居をまじまじと見つめる。そんな彼の様子を、隣から静かに窺っていた。
「形は俺の好みで明神鳥居にしちゃった。ここの反りがポイント!」
「真昼くん、さすがのできだよ! 和泉さん、ちょっと賽銭箱失礼していいですか?」
「は……?」
 戸惑う和泉さんは首から下がる段ボールの賽銭箱に触れてもされるがままになっていた。店の受け渡し口の空いたスペースに鳥居を立て、その後ろに賽銭箱を並べる。そうすると、段ボール箱の賽銭箱も首から吊っている時より幾分、立派なものに見えた。
「たい焼き作ってる時に、たまに邪魔そうにしてたのが気になってたんです。だから、こうやって神社っぽく置いたらちょっと面白いかなぁって」
 何だかんだ、和泉さんにはここに来るまで背中を押してもらった。何か少しでもお返しができたらと思って考えた案だったが、神様だと言い切る和泉さんが果たして喜んでくれるかは未知数だ。無言のままの彼の顔を、恐る恐る覗き込むと、
「っ、……」
 真っ赤になった和泉さんの顔に、こっちの方が驚いてしまった。少なくとも、迷惑がっている雰囲気はない。ひとまずその事実にほっとするも、何だか見てはいけないものを見てしまったような心地になって慌てて真昼くんへと視線を戻した。
「真昼くん、ありがとう! お代、いくらだっけ?」
「ちょっと大きかったけど、形はシンプルだったから六千円」
 自分の財布を取り出すが、お札はすっからかんだった。
「ご、ごめん。まさかこんな急に来ると思わなくて……」
「あぁ、じゃあまた後でもいいよ。俺、隣にいるし」
「え、隣……?」
 ふわりと香ってくる小麦粉と砂糖の甘い匂い。窓から首を突き出し、“隣”を見ればそれは同じ建物の隣に入っているクレープ屋さんだった。
「俺、ここのバイトなんで!」
 隣のクレープ屋。それはつまり、我々たい焼き屋にとっての最大のライバル店であった。

次回もお楽しみに!

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