ふくだりょうこ 『ご注文は承っておりません~あなただけのお食事作ります』2
これまでのお話はこちら▽『ご注文は承っておりません~あなただけのお食事作ります』
『ご注文は承っておりません~あなただけのお食事作ります』2
インターホンの音。
ドアを開けると、そこには上品そうな笑みを浮かべた男が立っていた。
「この度はご利用くださり、ありがとうございます。『てるてるごはん』の盛山遊馬でございます」
「……入って」
俺の返事に、笑顔のままピシリとお辞儀をした盛山はスーパーの袋を片手に家の中に入ってきた。
「奥様は」
「まだ仕事。帰ってくるまでにいろいろ準備をしようかと思って。キッチンはこっち」
「拝見させていただけますか」
「どーぞ」
盛山の先に立って、キッチンまで案内する。
「ふんふん、片付いていて使いやすそうな台所ですね」
「……そうなの?」
「ええ。森野様は料理は全くなさらない?」
「だからあんたを呼んだんだよ」
「そうでした。これは失敬」
カラカラと笑うと、盛山はペシリと自分のおでこを叩いた。芝居がかった口調と仕草が気になるが、腕のいい料理人らしい。
『てるてるごはん』は実店舗は持たない食堂だ。夫婦でやっているらしい。ネットで予約を受け付け、その家まで料理を作りに行く。出張料理人というものだと思うんだが、『私どもが台所に立てば、そこはもう「食堂」です』という文言がホームページにはあった。こだわりの強い、ちょっとめんどくさい料理人、というふうに俺は勝手に解釈している。会社にもそういうヤツがいる。よっぽどのことがない限り、反論はしないほうがよさそうだ。なにせ、今日はこちらが教わる立場なのだから。
「……で、本日は料理の注文ではなく、レッスンをご希望とのことでしたが」
「そう。ホームページに書いてあるのを見つけて」
「ありがとうございます。まだスタートさせたばかりのサービスでして、利用いただけて嬉しいです」
ニコリと口角を上げるがやっぱりこいつの笑顔は胡散臭い。
「森野さまは、料理の腕前としてはどの程度のものでしょうか」
「ほぼできない。結婚してすぐのときに、奥さんにパスタを作ったことがあるんだけど、大失敗してそれ以来作ってない」
「新婚のときに。それはいつごろです?」
「2012年……とかだったかな」
「ほほう。つまり、かれこれ9年、ずっと奥様だけが料理をしていらっしゃる、と」
「…………」
だから、今年の妻の誕生日には自分で料理を作ろうとこいつを呼んだのだ。妻のゆかりは料理が好きだから別に苦にはならない、と言っていたが、たまにぐらいは、と思い立った。しかし、レシピサイトを見てもよく分からない。かと言って、料理教室に通うほどのやる気はない。ということで、出張で料理を教えてくれるこのサービスを頼んだのだ。
「ちなみに、そのパスタというのは何を作られたんですか」
「明太子パスタ」
「ほほう」
「明太子をのせるだけでいいと思ったんだ。パスタゆでて、明太子をのせて。サラダも作った。で、妻が帰ってきてから、食べる前にパスタをレンジで温めて出した」
「できあがった、パスタを、チン」
「……そうだよ」
パタスをチンした俺を、妻は大爆笑した。笑いながら、パスタにかぶりついてくれた。レンチンしたパスタはひと塊になり、それは明太子味のただの小麦粉の塊になった。
「では、今回も明太子パスタを作って、リベンジと行きましょうか」
「俺でもできる?」
「ええ、とても簡単ですよ」
盛山はうなずくと、スーパーの袋から明太子とパスタ、バター、卵を取り出した。俺はついさっきまで、明太子パスタの話は誰にもしていない。こいつが、明太子を買ってきたのはただの偶然だろうか。
「まずはソースを作っていきます」
そう言って、盛山はまな板の上に明太子を取り出した。
「このさ、明太子をほぐす時点でつまずいたんだけど」
「これはですね。明太子のハラの真ん中に軽く切り目を入れまして、包丁の背の部分でしごくようにすると簡単にほぐせますよ」
「あ、マジだ」
「とりあえず練習でひとり分作ってみましょう。明太子1本分をほぐして、ボウルに入れます。そこに、卵黄を入れます。卵白と卵黄は分けられますか?」
「……やってるのは見たことはある」
「では、お願いいたします」
卵を割って、白身だけを別のボウルに落とすようにして黄身を取り分ける。
「うん、お上手、お上手」
明太子の入ったボウルに黄身を入れると、破けた黄色が明太子に広がっていく。
「続きまして、バターを10g加えます」
「計量器とか、どこにあるか分かんないんだけど」
「大丈夫、こちらのバターは10gごとに切れ目が入っているので」
「なるほど。便利じゃん」
「で、バターを入れまして、よく混ぜます」
「ん」
「それでソースは完成です」
「えっ?」
「続いてパスタをゆでます。今回は2分茹でのものを買ってきました。パスタはお湯が沸騰してから入れてくださいね」
「それぐらいは俺でもわかる」
「じゃあ、お願いします」
言われた通り、鍋にお湯を沸かし始める。鍋は、ゆかりがいつもパスタをゆでるときに使っているものだ。
「料理に慣れていないときは、2つのことを同時にしようとしないでください。ひとつひとつの作業を丁寧に。お湯を沸かしているときに片づけをするというのは上級者のすることです」
「奥さんはメイン料理作りながら、いつもサラダとか味噌汁用意してるけど」
「食事のときに、同時にメイン料理と汁物、サラダ、炭水化物が出てきますか。プロですね」
「炭水化物って言っても、茶碗に白米よそっただけだけど」
「なるほど、ごはんをよそうのも、奥様がやってらっしゃると」
「…………」
やぶへびだった。
お湯が沸騰してきたところで、パスタを入れ、スマホで2分を計る。
「パスタがゆであがったら?」
「ボウルに入れて、よく混ぜて、皿に盛りつけばできあがりです」
「……それだけ?」
「それだけです。ああ、余裕があったら、海苔や刻みネギを散らしてもいいですね」
料理を教えてもらうというから、ずいぶんと気合を入れていたが、簡単で拍子抜けだ。これなら確かに俺ひとりでもできる。
「とは言え、奥様はいつももっと凝った料理を作っていらっしゃるでしょうが」
「…………」
「料理は、まず『作ろう』という気持ちが大切です」
「作ろうという気持ち」
「はい。毎日作っていることも素晴らしいことですが、家族のために毎日『さあ料理を作ろう』と思うのも素晴らしいことですよ」
「……説教くさ」
「奥様はそういうことを言わないタイプかと思いましたので」
ニコリと笑うそいつはやっぱり胡散臭い。
でも、言われた通りに作った明太子パスタは簡単なくせにめちゃくちゃ美味しかった。
「あと、付け合わせですが、カット野菜とインスタントのスープを用意しておきました」
「えっ、作んなくていいの?」
「作れますか。パスタを作りながらサラダとスープ」
問われて、思わず口をつぐむ。
ムリだ。
「まずはできることだけをやる。それも大切なことです。サラダはドレッシングだけかけて先に食卓に出しておけばいい。先ほど冷蔵庫を拝見はたら、ヘタを取ったミニトマトがタッパーの中に入っていました。それをひとつ添えるだけでも、『サラダを作った』感は出ますよ。スープは……」
「インスタントスープぐらいは作ったことがあるから、大丈夫」
「それは失礼いたしました」
ゆかりがインスタントのスープを出したことはあっただろうか。たぶん、ない。出てくれば分かる。味が明らかに違うから。
「それでは、私はこれで失礼します。奥様に喜んでいただけるといいですね」
「ありがとう」
「私どもが料理を作りにお伺いすることも可能ですので、ぜひそちらもご利用くださいね」
「そのうち、頼むわ」
「ありがとうございます」
丁寧にあいさつをし、盛山は帰って行った。
うちに来てから30分強しかいなかった。その間に料理を教え、1品完成させた。
ゆかりが帰ってくるまで、1時間半。これだけあれば、不慣れな俺でも作れるはずだ。
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