舞神光泰『眠れる盛りの蕎麦~茗荷谷シエスタ~』
眠らない街ー新宿から東京メトロ丸ノ内線で30分、よく眠れる街ー茗荷谷。更にそこから徒歩で8分。久坂部から聞き出した住所には背の低いビジネスホテルが建っていた。
「俺の名刺見せたら入れるから」
不敵な笑みを浮かべて指2本で名刺をこっちに渡した久坂部は、俺の同期で今度から本社での勤務が決まっていた。
「最近調子良いみたいだけど何かあった?」
普段は寡黙でテキパキ働く男だが酒を飲ませると必要以上に饒舌になり、まるで三流の舞台俳優のように大仰な語り口と身振り手振りで話てくれる。そういう所も相まって割と好かれやすい男だ。
「よく眠るようにしただけだよ」
ツーブロックの刈り上げた所をザリザリやったあと酒を舐めるように飲んでみせた。
「眠るだけってそんな事はないだろ」
こちらも礼儀としてアメリカンドラマのように肩をすくめて両手を広げた。
「……」
久坂部は何かを考えるように一拍置いてかけていて眼鏡を外した、そしてツルでコチラを指して
「そのまさかだよ」とだけ言い放つ。
意外に鋭い眼光と変な説得力に続きを聞かざるを得なかった。
「一体どんな睡眠なんだ?」
「……たった15分の昼寝、シエスタさ」
今度は眼鏡をゆっくりかけながら、たっぷりの間を使って教えてくれた。
「会社で昼寝なんて俺には真似できないね」
「誰が『会社で』なんて言ったんだよ、そういう店があるんだよ」
「店だって? 昼寝専門の? ありえないね」
俺も酒のせいか少し役に入り過ぎていたが、久坂部はもっと入っていて、1枚の名刺を机の上に差し出した。
「ここに行けばウソかホントか分かるぜ」
黒を基調とした名刺には『明雅庵』と大きく書かれ住所だけしか記載されていない。
「ミョウガアン? いくらなんでも怪しすぎないか?」
俺の言葉を予測していたのか、既にもう1枚自分の名刺を出していた。
受け取りながら『別にお前の名刺なら俺持ってるし』という言葉を飲み込みながら
「ここの支払いは俺が持つよ」
できる限りのうやうやしさで名刺を貰い、2237円を店員に支払った。
郷に入っては郷に従うそれが自分の中で唯一守ってるルールだ。
住所に間違いは無かった。ただし看板もなく入り口もラブホテルのように間仕切りがあってどことなくいかがわしい空気を感じた、心臓の高鳴りと尻の汗を感じながら自動ドアを通る。
「いらっしゃいませ、当店のご利用は初めてですか?」
50歳を少し越えたフロントマンはにこやかに迎え入れてくれた。
「はい、紹介なんですけど」
久坂部の名刺を出すと、俺に聞こえないくらいの小声で『なるほど』と呟いた。
「久坂部様のお知り合いなんですね、それでしたらすぐにご利用頂けますよ」
「一見さんお断りみたいなのってあるんですか?」
「ええ、まぁそれなりに審査といいますか簡単なものですが、でも久坂部様の紹介でしたら間違いないので」
久坂部に絶大なる信頼を置いているナイスミドルを物珍しさげに眺めていると
「この事はご内密にお願いします」
唇に人差し指を当てて軽いウィンクをこちらに寄越した。こいつも久坂部一派の劇団員か、と思いながら案内されるのを待った。
チェックインをすると部屋に通された。内装はシンプルなホテルという感じで机と椅子、そして部屋に不釣り合いなキングサイズのベットしか置いていなかった。
「まぁ、よく眠れそうではあるけど」
ここを訪れる人は眠りに来ているわけでテレビが無いのは当然だが、なんとも味気なくて落ち着かない。部屋を眺めているとドアをノックする音が響いた。
「お食事をお持ちしました」
部屋に招くと今度は若い男だった。背が高くがっしりした体つきで男らしい端正な顔立ちをしていた。着ている調理衣からは出汁のいい匂いがしている。
「料理の説明をさせて頂きます、さきほどお答え頂いたアンケートから今回は北海道産の夏新の蕎麦とミョウガの天ぷらをご用意させて頂きました」
淡々と話す低い声は心地よく真面目な人柄を感じさせた。
「ナツシン?」
「蕎麦の旬の1つで本来の収穫期より早積みされたもので旨味がありながらさっぱりとした口当たりが特徴となっております」
「へー」
蕎麦は色が白っぽく箸を通してもしっかりとした弾力が伝わってくる。粋でないのは分かっているが、つゆにたっぷりつけてひと口すする。ソバの風味が鼻を抜けてあっという間にのどを通り過ぎる。出汁は関東風でやや塩味が強いがまだ暑い日が続くのでなんとも嬉しい。そしてつゆには少量のミョウガが入っていて爽やかな後味とシャリシャリとした歯触りが心地良い。
「つゆには予めミョウガが入っております。お好みで調整下さい。最後にミョウガの天ぷらですが、半身にしていますのでそのまま一口でお召し上がり下さい」
言われるがままに天ぷらを口に入れる、ジューシーで香り高く、それでいてほんのりとした甘味を感じた。
「すごく美味しいですね、これ」
「当店の自慢の一品ですので」
ぺこりと頭を下げた彼の目にはどこか少年らしいキラキラとした輝きがある。自分の作った料理に誇りを持っているのが分かるとこちらまで嬉しくなってくる。
「食事が終わりましたらお盆はこちらの返却台にお願いします」
玄関付近にある台を説明してみせると青年は部屋を出て行った。
最近食欲が落ち込んでいたから、軽食でいいと思っていたのにあっという間に食べ終えてしまった。台を移動させ歯を磨くとすぐにベットに横になった。
キングサイズのベットに1人で寝るのは初めての経験だった。分厚いマットレスとふかふかの枕を独り占めするのは悪くない。この昼寝専門店には時計がなくて今がどのくらいの時間なのかが分からない。スマホも腕時計もフロントに預けてしまった。なんでも時間に追われる事が無いようにするためらしいが、逆に気になって仕方が無い。あと何分ぐらいこうしていられるのか? 昼間からこんな事をしてていいのか? そもそもこんな怪しい店と久坂部を信用していいのか? 焦りの風船がみるみる膨らんでいくのが分かる。こうなると俺はもう眠れなくなって、気が済むまで起きてるしかなくなってしまう。もう十分休憩はとったしここを後にしよう。そう思った矢先またドアがノックされた。
ドアスコープを覗くとさっきの青年だった。
「何か忘れ物ですか?」
ドアを開けると青年の手には枕が握られていてジェラートピケみたいなモコモコのパジャマに身を包まれていた。
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