ついったー喧嘩

Twitterは議論をできる場所ではないのでは
というコンセプトで今のアカウントを運用していたりします
すごい愛人です
Twitter呼びは頑なです

Twitterに限らずSNS等全般ですが、口喧嘩は発生しても議論と呼べるものはそうそう発生しませんよね

喧嘩というワードがわかりやすいなと思いまして
喧嘩に勝つには格闘術を磨いて格闘技で勝つのとはまた違って、真っ先にキレて先制攻撃ができたり何度も負けを認めず諦めず絡み続ける人がなんか勝ったことになったりしますよね
つまりはルールのある中でその範囲内で客観的な判定を得て勝つというよりいい意味か悪い意味かは置いておいてこの人間とこれ以上対立していたくないと相手に思わせるかどうかの世界観です

議論というのが成り立つのは格闘技のようにルールが決まっていて判定者がいる競技ディベートや裁判だったり
あるいはほとんどの場合は勝ち負けとかは関係なく同じ前提に立っている人間同士でのアイデアの洗練するためというケースがほとんどかと思います
例えば利益を出すために自分がプランAを提案して相手がプランBを出してきて議論した結果、両方の問題点が解決されたプランB'が作れたら自分にとってはプランAが棄却されて負けではなく利益を出すためにのアイデアを作るという点では最終的にプラスですよね

それでTwitterでどちらかの前提が満たされることがあるかという話です
公平にジャッジしてくれる人がいるわけではないですし、違う意見を持つもの同士だけどお互いアイデアを出し合ってよくしていこうという人同士言い合いが起こるなんてケースも極めて稀かと思います

結局のところ「言い負かしたい」が目的で意見の違う人とぶつかったところでそれはただの喧嘩で
結局疲れて面倒くさくなって終わるという粘着し続けた方が勝つ感じの構造なのでひたすら時間の無駄かなと

とはいえ人間が争っているのがエンターテイメントとして楽しいという面や皆さんが人柱となっているおかげで人間にはどういう種類の思考回路をしている個体がいるのかが可視化されてきて、よくわからなかった人間とかいう生き物の解釈において個人的に助かっている節もあるのでやめろという提言はしたくない難しさはあります




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