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#6 はじめてのコーヒー産地

#5 ではどのようにして、メキシコの産地に関わりを持ったのか、についておはなししました。大学やJICAという「コネ」がない場合には、見知らぬメキシコの、それも片田舎への訪問は、困難に感じる方が多いと思います。
まったく何もつながりのない場合の、新しい産地との出合い方については、その12年後に時計の針を進め、2022年のペルーの生産者との出合いから、2023年の産地訪問までの話の方が参考になるかと思いますので、またこちらについても改めておはなしします。

メキシコ初訪問

肝心のメキシコ初訪問は、2012年の2月でした。
今ではなくなってしまいましたが、成田ーヒューストンートゥクストラグティエレス(メキシコ・チアパス州の州都)という航路で、約2週間の滞在でした。

一ヶ月後、3月中旬には銀座三越での2週間の催事が決まっていましたので、思えばとても過密なスケジュールの中での訪問だったのだと思います。

空港には21:00すぎに到着、山本先生がハイヤーを伴って空港で出迎えてくださいました。
そのまま、このあと2週間弱滞在することになるサンクリストバルデラスカラスのホテルへ。
翌日、山本先生ご夫妻と、ホテルの朝食をいただいた記憶はありますが、そのあとの記憶がほぼありません。

誰も目を合わせてくれなかった

強烈な記憶として残っているのは、マヤビニック生産者協働組合の事務所へ行ったときに、今でも組合の屋台骨となって活躍しているメンバーたちと最初の対面を果たしたのですが、なんとも言えない緊張感がありました。

誰も私と目を合わせてくれないのです。

あれ?
おかしいなぁ。

ジンバブエでは、自分で言うのもなんですが、日本人というだけで、わたしは人気者だったのです(笑)
それはかつての協力隊員のおかげでもありました。
彼らがその街のジンバブエの人たちと非常に友好な関係を築いてきたからだと思います。
そのため街を歩けば、
「セイコ、セイコ」
と知らない人にまで声をかけられたし、仲良くなれば、
「いつワタシの家に来てくれるんだ?」
と皆が家に誘ってくれた。

なのに…。

後にわかるのですが、メキシコの南、チアパス州で暮らすマヤ系先住民族である彼らには、そうせざるを得ない「過去」がありました。
そう言った背景をまるで知らなかったわたしは、彼らとわたしとの間に立ちはだかる見えない大きな壁の前で、勝手に打ちひしがれていました。
二度目の訪問は、当地に詳しい方のサポートをいただきました。三度目ではじめての単独訪問。
その頃には、正直、メキシコへの訪問に、ひとつも心がときめかなかったのです。

人生で一番おいしいコーヒー

いつも滞在するメキシコ・サンクリストバルという街は、メキシコ中央平原の標高2100mに位置し、国内外からの観光客を集めるヒストリックな街です。

サンクリストバルの町並み

はじめて訪れたときは、その街の美しさに言葉を失いました。これまで訪れたどの国よりも(前例がアフリカばかりですが)、町並みがかわいらしく、情緒にあふれていました。
観光地だけあって、飲食店も豊富で、至る所にカフェテリアがありました。
そして、わたしが関わっているマヤビニック生産者協同組合も、大学の研究室との共同プロジェクトの中で、カフェテリアをオープンさせたのです。

カフェテリアとなる物件は、歩行者天国の端にあり、カルメン寺院の前ということもあり、地元の方だけでなく、観光客も集いやすい立地にあります。

オープン当時のカフェテリアの外観(2012年)
オープン当時のマヤビニックカフェテリアの内観(2012年)

わたしがこの滞在で強く印象に残っていることは、マヤビニックコーヒーのおいしさでした。カフェテリアで飲んだ、収穫したばかりのコーヒーを飲ませていただいたのですが、ベリー系で、とてもジューシーで、厚みのあるコーヒーでした。
正直、当時は、今ほどにコーヒーというものをよく知らず、だからこそ、それまで、「ベリー系」というカップの表現に懐疑的だったわたしに、はっきりと「これがベリー系ですよ」と教えてくれたのが、マヤビニックコーヒーでした。(あとにも先にも、マヤビニックでベリーを感じたのはあの一杯だけですが。)
そんなわけで、わたしのメキシコ初滞在は、生産者とのコミュニケーションに悩み、そして人生で一番おいしいコーヒーを飲むという、ある意味では「ほろ苦く」そして「甘酸っぱい」滞在となったのでした。


マヤビニックカフェのコーヒー

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