自分でどうにも出来ないことは「そんなことは知らん」精神の重要性
私は自分の両親が好きだが、なかなかに波長が合わない。
ずっと一緒にいると疲れてしまう。
そのため、去年息子が生まれるとき、里帰り出産をしなかったし、産後すぐに会ってくれようとした両親に「絶対に来ないで」と拒否したぐらいだ。
また、父と母はとても仲が悪い。
本気でどうすれば良いのかと悩むほどに。
最近0歳と5ヶ月になった息子を見せるため一泊二日、関西の実家にいた(私は現在、東京に住んでいる)のだが、私と母とで2人になると出るわ出るわ父の悪口。
また、父は父で母と関わりたくないのか、孫と遊ぶとき以外はずっとテレビを見ていた。
全く厳しい。
この空気が私にとってたまらなく厳しいのだ。
●でも、私じゃ無理だと気づいた。
夜にこれらのことを夫と話すと「ハルカがどうにかできる問題じゃないから気にしても仕方ないよね」と言われた。
ショックだった。
でも、その通りだ。私ががんばろうとがんばるまいと、どうにもならないのだ。
親はもう、おじいちゃんとおばあちゃんだ。
これからもっと年老いていく。
それぞれの人生を後悔して欲しくないと思ってしまう。
でも、それは全て私のエゴなのだ。
人の気持はそう変えられない。変えられるならすでに変わっているはずだ。
だったら、「変わって欲しい」なんて思わずに、「知らんがな」精神でいることが大切になってくると気づいた。
●どうやって切り替えるか
つい私は「もっとこうだったらいいのに」と自分の力の及ばないことまで考えてしまう。
まさに両親のことがそうだ。
でも、考えてみると身の回りにあるものが「ここになかったときのこと」を考えてみることにした。
前に帰省したときは、「息子は生まれてなかったんだよな」とか思い、「出産大変だったんだよな」と思い、「でも、こうやって息子と夫と帰省できたんだな」と思い、その間共にがんばってきた自分と夫を思い、「ありがたいな」と思う。
というように時間が頭の中でぶわっと流れる。
この時間の流れが、しみじみ、心底、本当に、「ありがたいな」と思わせててくれることに気付いた。
●最後に
自分は変わろうと思ったら変われるし、物事の見方を変えようと思ったら変えられる。
でも、自分ではない他人を変えようと思うのは無理なのだ。
だから、どうにもならないときは、今あることを思い出し、それがあることに感謝し無いものではなく有るものを数え、そして最後は「そんなことは知らん」と思って自分の力のおよぶこと以外のことは気持ちを切り替えていく。
私は私なのだ。
どうにもならないことは「そんなことは知らん」と唱えていく。
(新幹線に乗ったとき、0歳の息子に下記のおもちゃを渡しておけばご機嫌で遊んでくれた。大きい音もせず助かったので、ご参考までに👶↓)
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