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【今週の自戒】 ドラえもんでも勇気が出る機械は持っていない

【今週の自戒】
ドラえもんでも勇気が出る機械は持っていない

今から16年くらい前でしょうか
身近な経営者団体の中で、
毎年のようにあと3年で社長を交代します。
私が父に代わって
社長を引き継ぐことになります。
と言い続けて
今年になってもまだ社長になってない人がいます。

いろんな事情があるにせよ
お父さんである現社長が
その気になってないのは
事実として説得できていないこと。

いつになったら社長になるのかなと思いつつ、
やはり勇気を持って父親を説得できていないのが
実情かなと感じます。

またある社長こちらもご子息に
いつのタイミングで譲るか?
と、私にも相談いただきながら
なかなか譲らないのかなと思ってましたが、
毎年、毎年ご子息に対して厳しい話をしながらも、
だんだん権限を委譲していることが
理解できました。

私にいつのタイミングでと譲るか?
と話があってから約5年目の今年
すべての手続きを済ませて
株主総会で決議をすることにしているそうです。

社長の決断という勇気が
いつまでもなければ1歩も進まない。
勇気さえあれば行動が伴い
結果、次へのあるべき姿に向かう。

お寺の写真のようにドラえもんでさえ
22世紀23世紀になっても
勇気を生み出す機械は持っていないし
のび太に貸すこともできない
まさに現在の生成AIも賢くはなっていっても
勇気を持って行動するのは、自分自身。
とこれはドラえもんが
教えてくれているのかなと思った次第です。

一歩踏みだすことが
ますます大切な時代になっていく
ドラえもんのお話から
勇気を持って行動することの大切さを
感じ入り実行していきたいと思います。
今週もよろしくお願い申し上げます。

【山伏修行は「うけたもう」】
羽黒山伏・大聖坊十三代目、星野文紘(ふみひろ)氏の心に響く言葉より…

ここで少し、修験道(しゅげんどう)について紹介しましょう。
「修験道」とは、山に入って厳しい行をすることで気づきを得る、日本古来の教えです。
「修験」とは「修行得験(とつけん)」「実修実験(じっしゅう)」の略語で、「身体を使って修める・験(しるし)をつかむ」という意味があります。
山岳信仰をベースに密教や道教、神道、陰陽道などを包括したもので、もともとは日本全国に広がっていました。
現存する行場は 山形の出羽三山だけでなく、奈良の大峯山、和歌山の熊野三山、福岡の英彦山(ひこさん)などいくつもあります。

もともと山伏は、「半僧(聖) 半俗」 と言われるように、修験道者としての「山の修行」と、生活者として生業をもって暮らす「里の行」の両方を行き来する存在が多かったようです。
現在も、神社・お寺に属する一部の修験者以外に、里の生業をもって行をする山伏が各地にいます。
修験者にとって「山」は神の棲む聖なる場所。
修行で山に入ることによって、擬死再生(ぎしさいせい・生まれ変わり)を果たすと考えられているのです。

山伏とは、『山』で『人」が『犬』になる、と書く。
一人で山に入り、 四つん這いになって走り回る。 それが、山伏のやることだ。
それ以上は、やってみなけりゃ わからない。
「山伏とは」『修験道とは」を、頭でわかって、なんになる?
そんなことを考えていても、結局は外側にある知識をあてにしているだけだろう。
山伏は、自然のなかに身をおいて、犬になる。
もしくは、赤ちゃんに戻るんだ。
赤ちゃんは、考えたりしない。
「感じる」ことの優等生。
みんな、生まれた時はそうだったんだよ。
それがさ、育っていくあいだにいろいろな知識が入って、 みんなと同じように良い子になって、 テストで〇をもらうのをがんばって。
どんどん、「感じる」は封印されていくんだよ。
「『感じる』ってなんですか?」と聞くなよ。
それを聞く時点で、「感じる」が 完全に封印されている証拠だよ。
山に入って修行して、感じたことを考える。
山伏が修行をとおして歩く道、「修験道」とはそういうものだ。

山伏修行の最中は、無言だ。
ただただ、黙って山のなかを歩くんだ。
一つだけ、言っていい言葉がある。
それは、「うけたもう」。
なにがあっても、『うけたもう」だ。
修験道は基本的に、「うけたもう」の精神だ。
そもそも、神仏習合だろ。
祝詞も唱えるし、 お経も真言も唱える。
山岳信仰に道教や仙人思想も入っているしね、すべてを取り込んでいくんだ。
「鬼』っているだろう。
一般的には悪者にされているけれど、 修験道では鬼も仲間だ。
鬼も取り込んで、神様にしちゃうんだ。
『うけたもう』ってね、 『委(ゆだ)ねる』ってことだよ。
そこにはさ、信頼があるんだ。 『うけたもう』の世界には非人間的なことは出てこない。
だから、『うけたもう』できるんだよ。
修験道はね、ゆるやかなんだ。
なんでも吸収しちゃう。
境界線は曖昧だよ。
もともとと日本って、 そういうところのある国だよ。
だから、それでいいんだ。

『野生の力を取り戻せ』(渡辺清乃・女山伏)日本能率協会マネジメントセンター

修験道とは、考えずに「感じること」だという。
「感じること」は、思考や、論理を超えることができる。

現代人にもっとも欠けていることの一つ。

行徳哲男師の「感奮語録」の中にこんな言葉がある。

『福沢諭吉は言った。
「盲目社会に対するは獣勇(じゅうゆう)なかるべからず」
一寸先が真っ暗闇の時代を生き残るには、獣の勇気を持つことである、と彼は言うのである。
盲目社会、現代がそれに当たる。
獣の勇気とは何か?
獣は考えない。
ゆえに、迷わず、こだわらず、とらわれない。
金や財産、名誉や地位を失っても、ほんの一部を失ったにすぎない。
しかし、勇気を失ったらすべてを失う』

『現代人は考えすぎる。
しかし、考えて解決する問題など皆無である。
問題を解決するには行動するしかない。
考えることは行動にブレーキをかける。
考えるから行動しない。
行動渋滞が起きる。
行動しなければ証(あかし)は何も得られない。
禅の教えにもある。
「行ずれば証はそのうちにあり。行ぜずして証は得ることなし」と。』

「うけたもう」とは「すべて宜(よろ)し」と肯定し、自分を委(ゆだ)ねること。
人生の先達に「こうしたほうがいい」と言われたとき、「ああだ、こうだ」と言わず、「うけたまわりました」と全面肯定すること。

スタンフォード大学のクランボルツ教授が発表した「プランド・ハップンスタンスセオリー」という、「キャリア形成の8割が偶然によって決まる」といわれる理論がある。
人から頼まれた仕事や、オーダーされた仕事を引き受け続けていった結果、色々な偶然やご縁が重なり、意外にうまくいってしまった、というようなことだ。
「うけたもう」とあまり深く考えずに、肯定し、受けてきた結果が、成功に結び付くということ。

野生の力を取り戻し…
「うけたもう」の人生を歩みたい。

上記の【山伏修行は「うけたもう」】については人の心に灯をともすより引用しています。

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