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手塚治虫さんと同い年に気付く。

【今週の自戒】
手塚治虫さんと同い年に気付く。

人を信じよ、しかし、その百倍も自らを信じよ。

会社倒産の経験も乗り越え、自身の能力を
日々積み上げ、見事後半生で復活を成し遂げた
手塚さんの言葉に重みを感じつつ。

今から35年前にお亡くなりになった年齢
それが60歳。今の自分と同い年に気付く。
比較対象にもなりませんが、
人生の長さよりも生き様と、
改めて染み入ります。

そして
信じるに値する人かどうかも大切

その人の周囲にいる人を見れば
だいたいその人がどんな人かがわかる。

信じる、信じられる人になるためにも
まずは自分を信じて日々の好奇心に
善き好奇心を育み自分を客観視できるように。
今週も
よろしくお願い申し上げます。

【人生は、好奇心に始まって好奇心に終わる】

精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…

オーストリアのザルツブルクというところで生まれたモーツァルトは、35歳という若さで亡くなりましたが、ベートーヴェンなどの、他のどんな作曲家よりも、熱烈なモーツァルト・ファンが、圧倒的に多いのはよく知られたことであります。
私も、モーツァルト解説本の「推薦文」を書いたことがありますので、どうしてこんなにモーツァルトの曲は多くの人を魅了し続けるのか、私なりにわかってはいるつもりです。
そんなモーツァルトを、50代の私の友人は、いみじくもこう言ったのです。

「クラシック音楽は、モーツァルトに始まってモーツァルトに終わる」と。

そう言えば、「釣りは、フナに始まってフナに終わる」という言葉もありました。
「釣りバカ」には常識の名言だそうです。

そこで、これらのふたつの言葉になぞらえて、私は次のように言いたいと思います。
「人生は、好奇心に始まって好奇心に終わる」と。

人生を面白くするか、つまらなくしてしまうか、それは、時代のせいでも国のせいでも、また他人のせいでもありません。
自分のこころの持ち方ひとつで、どちらにも変わってしまうということです。
ですから、自分の不幸を誰かのせいにしたがる人は、生涯、こころから納得できる幸せは得られないでしょう。

生涯にわたって幸せを感じるこころの持ち方とは何か、を考えてみたとき、私のこころに浮かぶ言葉は、やはり「好奇心」の一語です。
好奇心をひとつのキッカケにして、何でもプラス方向に、目を向けることを教えてくれた最初の人は、母・輝子でした。
父・茂吉もまた、同じく、超のつくくらいの好奇心の持ち主でしたから、こと好奇心にかけては、私は生まれながらにして、恵まれていたということになるわけです。

「好奇心のかたまり」という、人間としての品格を感じさせないような言葉もありますが、それは好奇心そのものにあるのではなく、その人間の問題です。
私が、あえて好奇心とモーツァルトを同じ舞台に乗せたのは、極めたい最高の対象として、同列に考えてみたいと思ったからです。

『人生に必要な100の言葉』青春出版社

「大病にせよ、大失敗にせよ、人生のすべてを観察というか、好奇心の対象として眺めるゆとりを持つ限り、人は必ず再起できるものなのだ」
城山三郎氏の言葉だ。

何か大きな問題が自分に降りかかってきたとき、自分を客観視できる人はその問題に押しつぶされることなく、いつか必ずそれを解決できる。
反対に、それを主観的にしか見られない人、ひとりよがりで、独善的な見方しかできない人は、表面的で狭い視野になってしまい、問題を本質的で深い所まで掘り下げることができない。
好奇心のある人は、面白がって考えることができ、柔軟で幅広い見方ができる。

「好奇心というのは道草でもあるわけです。確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる」(手塚治虫)
好奇心とは、新しいことや、知らないこと、珍しいことなどに対して、興味や関心を抱き、それをもっと知りたい、手に入れたいと思う心。

「人生は、好奇心に始まって好奇心に終わる」
いくつになっても、好奇心を忘れない人でありたい。

上記の【人生は、好奇心に始まって好奇心に終わる】については人の心に灯をともすより引用しています。


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