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客人の気持ちになってみる。そうすれば全て感謝に変わる

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【今週の自戒】
〜客人の気持ちになってみる。そうすれば全て感謝に変わる〜

伊達政宗の時代の【客】と今の時代の【客】は
些か違うように思います。
私がしっくりくるのは【客人】
今の時代はどうしても金銭が付き纏う
客人として招かれる場合かなと

30数年前、当時お世話になった
明治生まれの御大先生。
会社に昼過ぎくらいに電話が入り、
『杉浦さん、今日夕方お越しなさい』と
上司に報告すると渋々行って来い。
鹿児島の高台にある先生の自宅へ
当時自分の営業車両のバイクで。

先生のご自宅玄関先で
お手伝いの方から、
はいと手渡されるのが
浴衣とタオルのセット。
促されるままにお風呂をいただき
客間に通され、
大きな大きな和室に
食事の設え。
先生も私も浴衣で
焼酎を酌み交わして談笑と夕ご飯。
まさに【客人】としての扱い、
出された食事は完食
お酌された焼酎は全て飲み干す
ノーはなし。
これでもかと出てくる珍しい食材を
いただいた記憶が懐かしいです。

まさに好き嫌いを言えることもない世界を
何度も体験させていただき。
【客】という意味を理解できました。
感謝の重みを同時に学ばさせてくださったこと
伊達政宗の言葉とともに思い出しました。

客人であり、人生という旅人になる
心持ちを大切に。
今週も
よろしくお願い申し上げます。

【旅人の話】

致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…

ある町がありました。
一人の旅人がその町にやってきました。
町の入り口のところに一人の老人が座っていました。
旅人は聞きます。
「おじいさん、この町はどんな町?」

おじいさんは聞きます。
「あなたが今までいた町はどんな町でしたか?」
旅人は答えました。
「いやあ、前にいた町は嫌な人ばかりでろくな町じゃなかったよ」
「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じ町です」

また別の日に旅人が来る。
「おじいさん、この町はいったいどんな町ですか?」
おじいさんは聞く。
「あなたがこの前にいた町はどんな町でしたか?」
「私が今までいた町は、すばらしい町で、人々は親切で、あんなによい町はありませんでした」
「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じ町です」と答える。

これは逸話です。
言い方はいろいろあるようですが、昔からある有名な話です。
二人の旅人が来た町は同じなんです。
結局この逸話の言いたいことは何か。
環境というものは「その人の心が決める」ということです。

我々が何のために学ぶのかというのは、環境をよりよく作るために学んでいるわけですね。
結局環境を作るのはその人なんですね。
その人の心が環境を決める。
環境に左右されるのではなく、環境を作れる人間になりたいものです。

最後に、昭和の碩学(せきがく)安岡正篤(まさひろ)先生の言葉を紹介します。

「環境が人を作るということに捉われてしまえば、人間は単なる物、単なる機械になってしまう。
人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以(ゆえん)がある、自由がある。
即(すなわ)ち主体性、創造性がある。
だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。
人間が出来ないと環境に支配される」(安岡正篤一日一言/致知出版社)

『はじめて読む人のための人間学』致知出版社

小林正観さんは、幸も不幸もないという。
病気や災難も同じで、それを「不幸だ」と思う人もいるし、「自分へのメッセージだ、(教えてもらって)ありがたい」と思う人もいるからだ。
つまり、同じ状況(環境)でも、それを「最悪だ、ツイてない」と思うのか「最高だ、ツイてる」と思うかは、その人の心が決めるということ。

自分の住んでいる町や勤めている会社、通っていた学校を、「ヒドイところだった、不幸」と思うのか「いい人ばかりだった、幸せ」と思うのか。
すべては、見方次第、考え方次第、その人の心が決めている。

人はみな旅人だ。
人生という旅をしている。
その旅の中で、色々な人に出会い、色々な所に住み、色々な仕事をする。
その遭遇(そうぐう)した様々なシーンを、「楽しいと思ったのか、つまらないと思ったのか」、「面白いと思ったのか、くだらないと思ったのか」、「いいところだと思ったのか、ヒドイところだと思ったのか」。

人生が終わってあの世に旅立つとき、聞かれることが一つあるという。
それが、「人生を楽しみましたか」。

人生を「ああ、面白かった」と言って、あの世に旅立ちたい。

上記の【旅人の話】については人の心に灯をともすより引用しています。

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