ご先祖は心の中で生きている。
【今週の自戒】
ご先祖は心の中で生きている。
人生で避けられないことが
2つある
一つは死ぬこと
もう一つは生きること
あるお坊さんの言葉より。
自分が死ぬことも考えない
思いもしないで【今だけ】を
生きている人がいました。
おそらく自分一人でこの世に来た
自分一人でなんでもできる。
そんなことで生きているんだと感じる。
たくさんのご先祖さんが居て
自分がいることを思いもしない。
この数ヶ月、あちこちで溢れかえる
海外から押し寄せる人たち。
日本の伝統文化に興味を持って
たくさんの外国の人が来ている
その渡航の今だけを見ていたら
未来は日本には来ない。
そんな風にも感じます。
ご先祖さんが
後から来る我々のために
残してくださったことを
未来に繋げていく。
そのためにも、我々自身が、
ご先祖を大切に
歴史、文化、伝統を大切に。
お盆を前にやってくる台風
日本人に喝を入れてくれている
そんな気がしました。
まずは手を合せて。合掌
今週も
よろしくお願い申し上げます。
ご先祖さんに感謝する1週間に。
【日本の伝統文化を伝える】
元春日大社宮司・医師、葉室頼昭(はむろよりあき)氏の心に響く言葉より…
祖先の伝統を受け継ぎ伝えるということと、生命が伝わる仕組みとは同じだということをいつも申しあげていますが、国の生命というのも、これと全く同じです。
歴史を見れば明らかなように、国といえども自国の伝統文化を伝えなくなった国は滅びるのです。
敗戦で、日本はそれまでの歴史を全部否定してしまいました。
そして子供に昔からの歴史伝統を伝えなくなってしまったのです。
これによって、完全に日本の国は滅びる運命でした。
そのままなら、現在の日本はありません。
けれど今、経済大国などといわれるほどの発展をとげているのは、日本の伝統を守ってくれた人々が大勢いたからです。
そして、その伝統の一つは、神社のお祭りにあります。
お祭りを、戦後の大変なときにもずっと守り続けてきた方がいたからで、そういう人々のおかげで日本は滅びずに続いてきたわけです。
同じ形のお祭りを毎年くりかえしますが、それは、昔の伝統を理屈ではなく形で子孫に伝えているわけです。
すべての生物が生命を受け伝えていくために、細胞中の遺伝子を子に伝えていくこと、それは理屈ではありません。
これと同じように、生命の本当の原点をあらわしているのが祭りです。
昔の日本人はこういうことを直感的に知っていたのでしょう。
ですから、日本人は世界でも稀なる優秀な民族だと思うのです。
戦後の厳しい時代でも、伝統を守り伝えてくださった多くの尊い方々のおかげで、現在も私たちは生活させていただいているのです。
昔の伝統を伝えるということが、いかに大切なことか、覚えておいてほしいと思います。
今の若い人たちは、おじいさんやおばあさんの話を「古くさい」「関係ない」などといって聞かなくなってしまいました。
また、日本の歴史を知ろうともしません。
これは大変なことです。
何とかして日本の伝統文化を伝えなければ、日本の将来は危機におちいります。
伝統文化を受け継ぎ、死ぬまで子孫に伝えていくというのは、私たちの義務のひとつです。
最近では、お年寄りもこの義務をはたさなくなってしまいました。
「老後は 趣味や遊びで自由に楽しく生きる」という人が多くなりましたが、ただそれだけでは真実の人生ではありません。
死ぬまで伝統文化を伝えること、これが本当の人生だと私は思っています。
『神道感謝のこころ』春秋社
致知出版の藤尾秀昭氏のこんな話を思い出した(月刊致知 2011・1)
『渡部昇一氏に伺った話である。
氏は若い頃、ギリシャのスニオン半島を二週間ほど旅し、ポセイドン神殿はじめ多くの遺跡を見た。
帰国後、石巻(いしのまき)に行った印象が忘れられないという。
石巻には港を見下ろす丘に大きな神社がある。
その祭りを町を挙げて祝っていた。
海を見晴らす丘に海神を祀(まつ)るのはギリシャも日本も同じだが、 ギリシャの神ははげ山の中の遺跡と化している。
しかし、日本の神は豊かな鎮守(ちんじゅ)の森に包まれて社に鎮座し、住民がこぞって祝っている。
「古代ギリシャ文化はもはや死んでしまったが、古代日本文化はいまもまさに生きているのです」
この事実は何を物語るのか。
ギリシャ神話は有名だが、神々の系譜(けいふ)は神話の中だけで完結、断絶し、 いまに繋(つな)がっていない。
これに対して日本は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の系譜に繋がる 万世一系の天皇という具体的な存在を軸に、我われの祖先は目に見えないもの、 人知を超えたものを畏敬し、尊崇(そんすう)する心を、 二千年以上にわたって持ち続けてきた、ということである。
そしてこの民族の魂は今日もなお生き続けている、ということである。
目に見えないものへの畏敬、尊崇の念は、自らを律し、慎む心を育んでいく。
同時に忘れてはならないのが、我々の祖先が絶えず後から来る者のことを考え、 遠き慮(おもんぱか)りの心を持ち続けたことだろう。
詩人の坂村真民さんはそういう先人の祈りを象徴するような詩を残している。
《あとから来る者のために
田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を 川を 海をきれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ》』
伊勢神宮を表す言葉のひとつに「常若(とこわか)」がある。
常若とは、常に若々しいということだが、 これは式年遷宮(しきねんせんぐう)という神事によっても継承されている。
式年遷宮とは言うまでもなく、20年に一度、神宮で使われる装束や、神具のみならず、 全てのお社を古式にのっとり、新しくつくり替えられる儀式だ。
この儀式が1300年にわたり、ずっと続けられている。
だからこそ、1300年前の神事が当時と同じ装束で、同じ神具を使い、同じ神殿で、 同じ祝詞(のりと)で、同じ舞(まい)や演奏を続けることができる。
このような文化や様式が1000年以上にわたって 当時と全く同じように継承されているのは、世界でも日本だけだ。
他の国々では、遺跡や廃墟と化している神殿も、日本では伊勢神宮だけでなく、 鎮守の森とともに、全国津々浦々に残っている。
しかも、そこでは今もなお祭りが行われている。
西行法師が、伊勢神宮に初めて参拝したときに詠んだ有名な歌がある。
『なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる』
神宮で西行法師が感じた、「かたじけなさ」や「ありがたさ」は、今でも我々の心をふるわせる。
あとから来る者のために、日本人は目に見えない大切なものを連綿として伝えてきた。
日本の魂やよき想いを伝えるため…
日本の伝統文化を守り、伝えることができる者でありたい。
上記の【日本の伝統文化を伝える】については人の心に灯をともすより引用しています。