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【オススメ本】藤山浩『日本はどこで間違えたのか』KAWADE夢新書、2020
田園回帰1%理論で有名な島根は持続可能な地域社会総合研究所所長の藤山浩氏による近著。サブタイトルにもあるようコロナ禍で噴出した「大規模・一極集中・グローバル」の弊害を歴史的に振り返る書となっています。
目次は以下の通り。
(目次)
第1章 戦前から抱えていた日本の間違いの「構造」近代史篇
第2章 性急な成長で露呈した「集中」の矛盾 1960年代
第3章 受け止められなかった成長至上主義への「警鐘」 1970年代
第4章 未来より目先の利益を優先した「バブル」の代償 1980年代
第5章 30年続くことになる「停滞・閉塞」の始まりの実相 1990年代
第6章 「新自由主義」が日本を劣化させていった 2000年代
第7章 「誤魔化し・隠蔽」で危機的な現実が見えない 2010年代
第8章 「地元」から日本を再構築する具体的ビジョン 2020年代以後
私が特に印象に残ったのは下記の通り。
・GNPやGDPには、公害を出した企業の売り上げは計上されても、失われた自然や健康そして生命の価値はマイナスとして反映されません。私たちにとって真に大切なものの価値を、どのように経済や社会を評価する尺度の中に織り込むか、いまも引き継がれている問題なのです(p.46〜47)。
・自然と共生する循環型の社会や経済を本気で実現していく時代にあっては、再生可能な資源やエネルギーを豊かに有する中山間地域こそ、持続可能な未来に先着できるのではないかという展望もだんだんと広がっていったのです(p.121)
・地方都市の周辺の山間地に数多く存在した小さな町や村は、この「平成の大合併」で数多く姿を消して行きました。この「平成の大合併」がどれだけ必然性のあるものだったのか、私には大いに疑問です。(中略)2019年にドイツ・オーストリアなどの地方を視察して回りましたが、日本のような無茶な大合併を進めたところは一つもありません。むしろ数百人規模の小さな村が多数存在している(p.127)。
・日本では重要な政策決定の結果が後でしっかり検証されることがあまりにも少ないように思います。縁辺部の小さな自治体を潰した行政の大規模・集中化は、結局何をもたらしたのでしょうか。「自己決定権」を失った地域の多くは衰退の一途をたどっています(p.128)。
・日本という国は、まずは組織、それも大きな昔から組織に属していることが高く評価されます。このように組織と個人の関係が固定化するのは、組織自体が、時代が流れても、あまり進化していないからでしょう(p.155)。
・この60年間、いや日本の近代史全体に共通する「間違い」は、社会・経済・政治を横断した絶え間ない「一局集中」化志向です。その陰で、一番破壊されてきたものは、地域社会における暮らし、循環、自己決定権ではないでしょうか(p.183)。
・グローバルな「将棋倒し」を防ぐためには、暴走する「大規模・集中・グローバル」から一定程度「切断」されても生き残り得る、強靭な小地域を作っていく必要がある。(中略)これから必ず循環型社会に向かう上で、「小規模・分散・ローカル」の設計原理による地域に根ざした循環の作り直しが要請されている(p.191)。
以上です。今のさまざまな混乱は近年始まった訳ではなく、その原因は戦後ずっと、大規模・集中・グローバルだけで突っ走ってきた結果である、というのが藤山氏の分析であり、私も共感する所です。
さすればアフターコロナの国や地域はどうあるべきか。そのヒントは小規模・分散・ローカルにあると思われます。
つまり、コロナぐらいの全世界が頭を打つインパクトがないと分からない、変わらないのが我々の性ということでしょう。
この警鐘を受け、間違いの連鎖を断ち切れるか否か。我が国(民)は試されてますね。