「似てる」をいっぱい見つけたらきっと幸せになれる、という話
それはArtsyというサイトでアート作品を検索したときに起こりました。
検索に「takuro sugiyama」と入力。
そうして出てきた作品(↓のやつ)をクリックするまではよかったんです。
しかし・・・。
そのページを下にスクロールして僕は目を疑いました。
「Most Similar」、つまり「この作品に最も似ている作品」として
こんな絵や
こんな絵が
「ほーら、そっくりでしょ?」と言わんばかりに表示されていたからです。
「似てる」ってなんだ?
この経験から、僕が「似てる」の概念を見失ったことは言うまでもありません。
いや、むしろ僕は「似てる」の深淵を覗き見ることができた、と言った方が正しいでしょう。
ここで僕らにとって重要なのはArtsyのアルゴリズムではなく、そもそも僕らが似てると思っているものは本当に似ているのか?ということです。
2種類の「似てる」
手始めに、以下の会話を読んでみてください。
パウロ:お前ってジョナサンに似てるよな
ノッコ:え、どこが?
パウロ:中指の動きとか
ノッコ:なにそれー
この会話で分かるのはパウロの指フェチ度、ではなく、観察力です(指フェチの確率は高そうだけど)。
別の言い方をすれば、彼の個性(独自の視点)が「似てるよな」の一言に表れています。
ジョナサンとノッコは何かしら似ているのかもしれませんが、中指の動きを見てそう思うのはきっとパウロぐらいでしょう。
一方、双子で生まれてきた子供たちは誰が見ても似ています。
同じような目、鼻、口、眉毛・・・そこに異論をはさむ人はいないと思いますが、その「似てる」はありふれていて凡庸、つまり無個性です。
個性的な「似てる」と無個性な「似てる」。
なんだか深淵が見えてきませんか?
「本当に似ている」って?
ここで当初の問いに立ち返りましょう。
そもそも僕らが似てると思っているものは本当に似ているのか
ネコとトラは同じネコ科の動物なので、たしかに似ています。
ですが、そこに僕らの感動はありません。
じゃあ2人の友達をジーーーっと観察して、語彙が似てることを発見したらどうでしょう?
思わず「うわぁ!似てる!!」と言いたくなってしまうんじゃないかと思うんです。
同じ「似てる」という言葉を使っていても、僕らの中には無機質で何の価値もない「似てる」と、感動をもたらす「似てる」がある。
本当に似ているとは、それが客観的にどうかという話ではなく、それが僕らの中にある「本当」に触れるかどうか、ということなのです。
解像度を高めると個性が際立つ
(一見すると似ているようには見えない)AとBの何が似ているのか。
その独自の視点を発見することは1つの個性です。
僕には僕にしか発見できない「似てる」があり、あなたにはあなたなりの「似てる」がある。
ニュートンやダーウィン、アインシュタイン、グレゴリー・ベイトソンなど偉人と呼ばれる人たちは、誰も気づかないほど解像度の高い(深淵にある)「似てる」を発見した人たちでもあります。
別に偉人を目指す必要はないけれども、感動がある日常の方が生きてて絶対楽しいですよね?
だったら、僕らだけの「似てる」をいっぱい見つけましょう。
それが個性を発揮しながら幸せに生きるコツでもあるのです。