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企業の社会貢献活動について考える2

前回は、企業人には2つの顔と2つの言語があると述べました。

一つが企業人としての顔と言語、

二つめが地域市民としての顔と言語。


今回は、それは何に影響をうけて発生したのだろうか、

社会学、都市社会学、コミュニティ論のアプローチから探ってみると、

それは『場』に影響されてきた歴史があります。


昭和初期、私を含め読者の多くも生まれる前の頃の話です。

当時は、働く場所と生活の場所が一緒のケースがほとんどでした。

つまり「職住一致」だったのです。

時々街角にまだ見れるのが、一階が店舗、二階が住まい

「店舗付き長屋」です。

これが当時の「職住一致」の『場』だったのです。

店舗付き長屋

同潤会アパート

同潤会中之郷アパート (出典:東京―昭和の記憶)http://www.dagashi.org/tokyo/oshiage2.html

同様に上掲の同潤会アパートですが、

一階が店舗、二階が住まい、三階が賃貸(だったと思います)

これについてご興味がある方は、

東京大学大学院教授 大月敏夫 先生の著書に頼るとよろしいかと思います。

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この形態は江戸時代の町に遡ることができます。

通りに沿って店を開き、その二階が住まいになっていました。

街区を囲む建物の裏手には、小さなコミュニティができていました。

江戸の町

出典: 「絵でみる江戸の町」 http://bn.shinko-web.jp/recall/000674.html

「職住一致」のこの時代には、2つの顔と2つの言語は、

存在していなかったと思われます。


戦後の復興期、焼け野原から立ち上がり超右肩上がりの経済発展の時代、

地方から都市への人口の流入の様子は、NHK大河ドラマの「ひよっこ」や

ちょっと古いかもしれませんが、太田ひろみの歌「涙のハンカチーフ」

で象徴される時代です。

そうです、大量生産・大量消費の時代、「マスの時代」に突入しました。

何も家電が売れた、家が売れた、服が売れた、というだけではありません。

娯楽もマスだったのです。

TV番組も、歌謡曲も、今のように多様ではなく

ほぼ同じ番組、同じ歌を歌っていたのです。

つまり、情報は発信者側にあり、

消費者は、それを選択する権限くらいしかなかったのです。


この時代、「仕事」は都市の「職場」に行き、

「住まい」は満員電車で片道1時間以上・・・

都市化によって「職」と「住」の分離が行われたのです。

「職住分離」です。


時を少し飛ばしますが、通信・インターネットの出現です。

企業は消費者の購買行動をチェックするようになりました。

もう、みなさんがご存じのPOSデータです。

何時何分に何歳位の男or女が、何をいくつ買った…。

売れない商品はどんどん排除され、新しい商品が出ての

生き残りループが始まりました。

私から見ると、企業がとっていたのは、購買行動というよりも

売れ筋情報です。

でも、ここにない情報があります。

消費者の顔、声、会話、立ち振る舞い(手に取るまでの迷い)などです。

現在では、ICチップやスマートカメラなどIoTとAIによって

この不足情報も解消される時代が始まっています。

しかし、そこでも足らない情報があります。

ヒューマン・タッチ です。

AIが進化しても、ロボットがサポートしても

その部分はアンドロイドを待つしかない?のかもしれません。


話しを戻しますが、

日本経済が右肩上がりの成長期にあって

時代と共になくなりそうかな、と思っていたら

テコ入れ=再起を賭けた取り組みをみせる企業があります。

(その企業全体の戦略や収益等はここでは触れません)

みなさんの近くにもあります(あった)でしょうか、

「街の電気屋さん」

街の電気屋さn

昭和のビジネスモデルが、令和に生まれ変わる

期待を込めて思いたいのです。

これぞヒューマンタッチ・マーケティングである。


この2回目は、少し都市学の方に振れましたが、

・1つの顔、1つの言語は、「職住一致」による

・2つの顔、2つの言語は、都市化による「職住分離」による

・上記は「場」のあり様によって、異なる

ことを述べてきました。


次回は、企業の社会貢献活動を

ヒューマンタッチ・マーケティングを紐解きながら

考えてみたいと思います。






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