見出し画像

自己啓発は可能性の文学

おはようございます、スギモトです。

本日は、”自己啓発は可能性の文学”という話をしていきたいと思います。

ちょっと僕の中でメンタルブロックが一つ外れたので、そのへんを語りたいなぁと思っております。

よろしかったら聞いて下さい。

〇はじめに


このnoteはスギモトが毎日考えたことをちょこちょこまとめていくウェブログとなっております。ほんのちょっとでも自分が前に進んでいる、と思い込むためにやっていることなので、結構破れかぶれです。

〇まえおき


本日は、loomというアプリ?(Google chromeの拡張機能}を発見しまして、それが面白かったので紹介します。

PCの画面を撮りながら画面の左下にワイプで自分を表示することができるサービスです。
画面共有と自分の顔・声が同時に録画できます。

しかも、保存の方法がURLでの保存(自分のストレージを使わない)となるのでめちゃくちゃおすすめです。

英語のみのサービスとなっていますのでその辺は大変ですが、スギモトは適当に遊んでいるだけでも楽しかったので、良かったら検索してみてください。

loom です。ちなみにHPへ行くと実際に制作会社のCEOがloomでloomの紹介動画を上げています。いい感じの兄ちゃんです。

〇自己啓発は可能性の文学

そんなこんなで、本題です。

自己啓発本というジャンルがあります。僕も意識的に読むようになったのは最近なのですが、これは20世紀のアメリカで生まれたジャンルになります。

※ビジネス本ももしかしたら、自己啓発と同じでアメリカ生まれかもしれません、僕は現在の理解では、2つともごっちゃになってます。

僕も、自己啓発本と言われるとなんとなく、味気ないなぁとか人に伝えるときに”自己啓発本がすき”と伝えるのに、気後れしてしまうことがありました。

なんとなく、微妙にいやーなニュアンスが含まれている気がしていたんすね。

ただ、昨日パラパラめくっていた本の中で、自己啓発本は”可能性の文学”という言葉を見つけて、めちゃくちゃきれいに自分の中の悪いイメージみたいなものが払しょくされたんですよね。

こういうことってありませんか?

言葉は大事です、それだけで苦手意識を取り除けることもあるので

〇可能性とは?

さて、なぜ”可能性”という言葉が使われているかといいますと、身分制とか階級制とかのあった時代を考えてもらうとわかりやすいです。

ヨーロッパやアジアでは身分というものがあってたいてい生まれで人生が決まっていたんですね。

商人の息子は商人だし、男か女か、長男か次男以降か、みたいなもので人生が決まっていました。

しかし、身分性みたいなものがなんやかんやで崩れて、たった一人の人が裸一貫で立ち上げた会社でなんにでも挑戦できるようになってきました。

そのやり方、方法論をまとめた書籍がいわゆる自己啓発本となります。

あなたは努力すればなんにでもなれる、というのがこのジャンルの基本的な趣旨かなぁと思っています。

哲学とも、学問ともちょっと違う、実践的(即物的?)なジャンルとなっております。

生まれはアメリカですが、おそらく日本でも大人気ですよね。

〇今度は文学のほうの説明

それじゃあ”可能性”の方はなんとなくわかったとしまして、

なぜ文学なのか。

僕は、基本的にただの図書館通い(勉強好き)なので大したことは言えませんが、いくつか思うことを適当に話します。

文学というものは、言葉でできた作品のことだと思っています。

照明、音楽、美術、役者、脚本、演出などで出来上がったものを舞台作品というように、言葉で作られた建造物(実体はないですけれど)を文学というと思っています。

なので、まぁ小説など娯楽に振っていてもギリ文学かなぁと思います。

※ギリ、とついたのはスギモト的には小説は文学ではないものもあるといいたいのですが、そこで目くじらを立てるのもこどもっぽいよなぁという謎のプライドが働いてのギリです。

もう1個条件を思いついたので、それを追加しますと歴史があるかどうかです。積み重ねがある程度ボリュームがあると初めて文学と呼ばれるようになるのかな、と思います。

自己啓発の走りはおそらく鉄鋼王カーネギーさんかなぁと思っているのですが、まぁ詳しくはわかりません。それでも身分制が崩れていったアメリカで自己啓発本が生まれ、育っていったというのはありそうだなぁと思います。

〇文学ということは

つまり、文学ということは研究ができるということで、そこには一定の知識の集積があって学ぶときに大事なのは、現在の流行から入るのではなく源流となった名著というものを追っていくのがいいのかな、と思います。

いま本屋に並んでいる書物も大事なのですが、流行にたぶん流されて行ってしまうと思うので、古典になっている作品を読んだ方がコスパがいいと思います。

そして、そういう本の知識はより多くの人と話が合う可能性が高いじゃないですか、そういった面でも流行を追いかけるより、それまでの歴史をさかのぼりたいという欲求があります。

入りは、今流行しているモノから入っていくと思うのですが、そのうち物足りなくなったりしてきて、ベストセラーや名著を調べておっていくようにみんななります。

音楽で例えるとわかりやすいのですが、クラシックがあって、それが即興を重視するジャズになって、それがR’n’R、R’n’Bになったりして、そこからFUNKとかPUNKとかが生まれてって、現在はミクスチャーで何でもありのそのまた向こうみたいになっているじゃないですか。
#雑な理解

こういうのって今目の前に届けられているモノだけを見てしまうと、こんなの作れるの天才やんけ!って思ってしまうのですが、よくよく分解してみるとルーツがあって、本人はその膨大な知に少しのオリジナリティ(それでも才能がいるとおもいますが)を足しているだけなんですよね。

種がわかるとより面白くなるのが文学と思ってます。

〇まとめ


自己啓発は可能性の文学ということについて語りました。

めちゃくちゃ適当にしゃべっております。内容に間違い等があると思いますので、よくよく気を付けてください。

〇あとがき


こんな感じで毎日2000字くらいを目安にブログを書いております。

ここまで読んでくださった方本当にありがとうございます。

以上です。

いいなと思ったら応援しよう!