建築業界から海外に来て実感出来る自分の存在、その1。
ボクはイタリアに来るまで日本から出たことが無かった。漫画、アニメの見過ぎで外国が本当にあるのかさえ心の底から信じていなかった。田舎に住んでいた事もあって外国人と見る機会もほとんど無かったと言っていい。全ては画面の向こうの話だった。
しかし大学生の時にたまたまボクをお世話してくれた教授達がイタリアに留学経験があってイタリアで彫刻を勉強する事はボクにとって通過点の一つとして人生の中にセットされていた。そこから教授の言う事をそのまま真に受けるのがシャクだのといつまで経っても反抗心剥き出しで約10年の建築業界で職人を経験してからイタリアに来た。そこでやっと自分の存在や日本、世界について考えたり気付いたりするようになった。そのことを書くシリーズその第一回。
◼️日本、建築業界の中にいた時の狭い考え。
よく海外に出て広い視野を持った、とか言う人間がいるがそれは事実だと思った。しかしその根本には友達も家族も日本の環境も全て失って改めて自分で考える事が強制的に増える事があると思う。
ボクは長い期間、建築業界で職人をしていた。この業界は底辺根性というか悪い言い方だけど性格が捻くれていった人間が比較的多い。建築に限らず職人気質の人間は一般的に変わり者が多いと言われるが建築業界は変わり者気質に嫉妬、妬みの感情がプラスされてると思う。陶芸などの工芸の分野と違い自ら選んでこの世界に入った、という人間が少ない。何かの理由でそれしか選べなかった人間の割合が大きい。だから大卒の人間やホワイトカラーに深い嫉妬の念を持っていた。
しかし「職人はこうであるべきだ!」という固定概念と自分達の境遇を正当化させるための洗脳がそこにはあった。
会社の仕事が無くなった時、会社のホームページを作って仕事が来だした時に、「お前は職人としてそんな事をしに来たのか?」とよく言われた。ボクがホームページ制作で宣伝出来るスキルがあったから働けるようになったという事も分からない集団だった。とにかく職人一筋。今まで先輩の職人さん達と上手くやってる方だと思ってたけど何だかなぁ、、、と思った。
しかしボクは途中から仕事のメインが文化財修復に切り替わって日本の文化を考えさせる機会が増えたのが結果的に興味を海外に向けさせた。ボクは下っ端だったけど日本の歴史を学び文化庁の人達と日本の歴史的建築をどうやって保存しようか、と話たりする機会が今までのコスト削減、効率化のみを追求す方針と全部とは言えないが違い面白かった。
しかしそこからまた会社の仕事が激減した期間があって仕事を休む機会が増えてきて大学時代に持っていた海外へと興味が復活して今に至る。色々本を読み過ぎた。
イタリアは日本人にとってほぼ全てが思い通りにいかないと言っていい。正直、日本人に期待出来るクォリティーを常に下回る結果が返ってくることがほとんどだ。しかしそこに自分の存在を見直す機会があると気付いた。
それは世界の現実だった。自分は日本にいた頃より大切にする存在ではない、何者でもない。むしろ欧米人にとって黄色人種は見下される存在だという社会の現実を突きつけられる事だった。
まぁ、これも日本人からしたら身勝手この上ない話だが現実だ。
続く。