「イタリア人を殺しに来た」と言われる留学生。
初めまして。イタリアで彫刻をしているスギモトユニです。ボクはイタリアのアカデミアでよくこう呼ばれます。
「イタリア人を殺しに来た日本人」「まだ戦争を続けている日本兵」
後から聞いた話だと今までボクのような日本人はいなかった、と教授達に言われました。納得も出来たし理由が面白かったので今回、記事にしようと思いました。
これでアナタも日本兵と呼ばれるかも、、、。
◼️「イタリア人だからね、、、。」という言葉では絶対に許さない。
周りのアジア系の学生は揃えてこのセリフを言います。ボクもその気持ちが分かります。カラーラの人間に日本のような事を期待する事は出来ないからです。
ここはイタリアだから、、、と割り切る事も可能でしょう。しかし彼らがアジア人を舐めているのも「アジア人は何も言ってこない。」と思わせてるのが原因なのは明らかです。
だからボクはカラーラのイタリア人を絶対に許しません。
今まで自分の制作活動に関してイタリア人を許した事は一度もありません。徹底的に責任を追求しますし追い詰めます。逆にボクはイタリア人に徹底的に追い詰められ嫌われる覚悟もしています。「殺すなら殺される覚悟を持て。」と誰かが言っていましたがボクもそう思います。
しかしボクを丁寧に扱わないと大変な事になる、と彼らも分かったのか以前より関係が良好になりました。やはり日本人は大人しい性格が悪影響を与えてるように思います。当たり前ですが同じ人間だと思う事が大事だという事です。
逆に舐められてる日本人は大変な目に遭っています。特に女性はペットのように扱われている。そしてこの状況を勘違いして喜んでいる。ホント、犬や猫のような扱いを受けているのを見てきました。そもそも彼らのような人間は白人に対して憧れがあるからある意味、望んだ状況だと言えるかもしれませんが。
◼️徹底的に争う。
イタリアは盗人の国だとボクのおじいちゃんが言っていましたがそれはまぁまぁ的を得ています。それはアカデミアの製作室でも体験することができます。作品を制作するにはたくさんの道具が必要ですよね。
にも関わらずアカデミアの学生のほとんどは自分の道具を用意していません。どうしてるかというと平気で他人の道具を無許可で持って行きます。最低、貸してあげても又貸しは当たり前で高確率で何処かへ行ってしまいます。
ボクは長い間、職人の世界にいたので道具への思い入れはノコギリやトンカチ一つにも強いです。だから何処に何があるか分からないのは耐えられません。
だから無許可で道具を持っていかれた場合、ガチでキレます。
首根っこ掴んで「お前、今度やったら殺すからな。」と言った事は残念ながら一度や二度ではありません。でもボクは本気なんだから仕方ないんです。作品作るのに友達要らないですよね。生きるか死ぬか。お先真っ暗な未来に突き進む時に妥協は禁物だなぁと常に念じています。
正直アカデミアカラーラの生徒の教養が低い事が残念で仕方ありません。体験すれば分かりますがマジで迷惑ですから。綺麗事では済まない。(涙)
◼️食事は一緒に食べて協力は必ずする。
2年間、イタリアに住んでみて分かった事はイタリア人も外国人の得体の知れない部分を避けている、という事です。現在は増え続ける大量の中国人学生に辟易しています。大量の中国人はその殆どが信じられないくらいイタリア語を話すことができません。そして中国人グループから出ようとしません。だから黄色人種=中国人=迷惑という印象が彼らには非常に強い。黄色人種の第一印象が悪いのも納得です。
そのイメージを破壊するためには彼らと積極的に関わる機会を作らないといけない。ボクという人間が真剣に勉強しに来た日本人だと分からせないといけない。だからボクはどんなに怒った後でも昼食は一緒に取ります。
食材の買い出しから調理、テーブルの準備まで積極的に関わるようにしてから本当に丁寧に扱われるようになったと思います。
イタリアは分かり易いほど友達には優しい、知らない人間には適当、です。今は分かりやすいからイタリア式の方がボクに合っています。
残念ながら中国人は呼ばれませんし来ません。だから煙たがれるんだよ、とボクは思ってしまうんですが彼らはイタリアにそもそも興味がないみたいです。他に目的があるらしく中国共産党の影を見てしまい不気味です。
◼️まとめ
ボク以前の日本人は争いを避けて生きているようにイタリア人には見えていたようです。だから喧嘩上等で単独行動のボクが「日本兵」に見えるようです。別にどう呼ばれようと興味ないんですけど。
世界のどこの国でも偏見はあるものです。これは事実として言いたいのですが本当に中国人がイタリアの田舎アカデミアにも多い。そして街に馴染まず彼らのコミュニティを形成している。それをたくさんのイタリア人が不愉快に思っている事実。そしてこの状況からイタリア人はボクが日本人と分かった途端、手のひらを返すように友好的になる現実。
この背景を知ればイタリア人の態度も理解出来るのです。
しかし偏見を破壊するにはその国のコミュニティに飛び込むしかない。馬鹿に出来ない人間だと分からせる力技しかない、とボクは思いました。
どこ出身だとか関係ない。戦争(精神的でボク個人的な)しかない。
世界の何処にいようが一緒なんだと思います。