私が世界と関わる入り口(自分語り)
※今回の記事は「自分語り」です。私の個人的な思いなので、友人や知り合い以外の人が読んで得られるものは、多分ないです。
生まれ故郷の昔の姿を見てきた
3日前(12月16日)、友人が運営しているギャラリーへ写真展を観に行った。
(写真展の情報はコチラ↓)
(写真展に関する新聞記事はコチラ↓)
「人工都市つくば」とは、筑波研究学園都市(茨城県つくば市)のことだ。宇宙開発や筑波大学などで有名だが、その歴史は1980年代に始まった。
それまでは特筆するもののなかった田舎の平野で建設が始まり、1985年にはつくば科学万博EXPO85が開催され、1998年には東京と直結されたつくばエクスプレス(TX)が開通(それまでは高速バスか隣町の土浦市がつくば市への入り口の役割を担っていた)。
私はその筑波研究学園都市の出身(1979年生まれ)で、TXができる直前までを過ごし、当時は高校生なりに資料館に出入りして街の歴史を勉強していた時期もあったから、当然、写真展のタイトルを見ただけで興味を惹かれた。
展示には大勢の人が訪れたので作家の齋藤さんご本人と話すことは叶わなかった(私が生きている年数よりもずっと長くつくば市と関わってきたのだから当然だ)が、
私は生まれ育った街の姿ーー建設中の中心市街地や万博のパビリオンや高架道はもちろん、そこにいた人たちの顔、平野に築かれていく盛土、取り壊されていくパビリオンの姿までーーを見られただけでも充分だった。
カメラは私と「世界」が関わる入り口
写真展の後で創作意欲を刺激された私は、真っ直ぐに帰宅せずに、ギャラリーの向かいにある公園に入って気ままにあちこちにカメラを向けてみた。
この「二の宮公園」は、中心市街地から地続きの遊歩道が伸び、屋外プール施設、テニスコートを備えた計画された運動公園だが、
その外見的な特徴を挙げるとすれば、↓この時計台だ。
この近辺なら(正式名称は知らなくても)誰もが二の宮公園といえば連想されるランドマーク。
40年前から知っている時計台を撮っていて、懐かしさも覚えたが、
同時に、この変わらない風景に対して自然と言葉が浮かんだ。
「ただいま。帰ってきたよ」と。
私の中身、本質的なところは、この学園都市で過ごした18歳までの頃と何ら変わっていないと思う。
なんとなく、「自分には居場所がない」との思いが、通低音のように心の奥底にある。
一つ違うのは、その手に一眼レフカメラを持っているということだけだ。
それが、私がこの世界に関わる入り口なのだ。
最近読んだ本、辻村深月の『スロウハイツの神様』の一場面を思い出す。
私は今、同じく小さい頃から慣れ親しんだ隣町の土浦市に住んでいて、これからも住み続けるだろうけど、1つだけ、叶えたいことができた。
このつくば市内で自分の作品を展示したい。
あまり良い思い出もなくて、何かで賞をとったこともなかった記憶もないこの街に、昔と少し違った今の自分で、また関わりたい。