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自己紹介(写真家としての自分)
前置き(言い訳)
しばらくは自分語りに徹します
まだ何者にもなっていない無名の自分がいくら「自分語り」をしたところで、赤の他人は全く興味を示さない。
自分が他人の自己紹介を聞き流しているのと同じく。
とはいえ自分自身のことが分かっていないまま発信しようとしたところで、結局誰かのコピーになってしまい、世にあふれる雑多な情報が増えるだけ。
続かなかったブログやnoteを前にして、「結局、自分は何をしたかったんだろう…」ってなる。
今まで、ずっとその繰り返しだったのだ。
…ということで、このnoteではしばらく自分語りをし続けます。
こんな自己満足の自己紹介や日記を読んでいる時間があったら、どうか他の方の有益な情報を読んでください。
自己紹介:写真家としての自分編
「カメラ歴」は「一応1年3ヶ月」
「カメラ歴」を問われると少し返答に困ってしまいます。
一眼レフカメラに触れたのは2022年の11月だから「1年3ヶ月」になりますが、それまではiPhoneで気ままに風景を撮ってはFacebookや Instagramに投稿し、友人から好評を得ていた時期が数年間続いていただけでした。
iPhoneを手にしたのが2012年だからカメラ歴「+10年」になるのでしょうが、気ままにやっていただけなので「歴」と言えるのかは微妙です。
カメラには嫌な思い出は一つも無かった
初めてカメラを手にしたのは、小学6年生の遠足で「写ルンです」を持って行ったのが最初です。
(「あれはカメラじゃない“レンズ付きフィルム”だ!」と怒らないで下さいね(笑))
遠足の行き先は茨城県奥久慈郡大子町の「袋田の滝」で、初めて見るものばかりだから、フィルムの残りを気にしながら一回一回撮るのがシンプルに楽しかった。
しかし節約しすぎたせいで全36枚中残り8枚分残したまま家に帰り、残りは家で自分が作ったLEGOブロックを撮るのに使っていました。
残り1枚となったある日、最後は何を撮ろうかなとワクワクしながら考えていたら、なんと、2つ年上の長男(私は次男です)が私からカメラを取り上げて、おもむろに私の顔に向けてパシャリとやってしまったのです。
あとで現像したときには、最後の1枚には、写ルンですを構えた兄に向かって手を伸ばして阻止しようとしている私が写っていました。
自分の大事にしているものを勝手に使われるというのは、子どもにとってはショックなことです。
2つ上の兄には知恵でも腕力でも勝てないわけですから、その兄が私のモノを勝手に使ってしまったという既成事実ができてしまった以上、これから先、兄が大人になって家を出るまで私は自分のモノを兄に好き勝手に使われることになるのです。(大袈裟ですが、子どもの目線で考えるとそうなります)
しかしそのとき、一部始終を見ていた母が、珍しく兄を叱りました。
ここで補足説明すると、両親は兄に対しては甘く、たとえば兄弟喧嘩になったときには、兄は軽くたしなめられる程度で、私がこっぴどく叱られました。
小学1年生のとき、私が描いている絵に兄が勝手に筆を加えて台無しかされたことがあったのですが、そのときも母はニヤニヤしてその様子を眺めていただけでした。
叱られた経験に乏しい兄は、その後、社会に適応できなくなってアラフィフになった今も実家にひきこもっています。
その母が珍しく兄を叱りつけ、兄はボソボソと私に謝り、私はその後家を出るまでの数年間、自分のモノを勝手に使われる不安からは解放されて過ごすことができました。
唯一嫌な思い出が残らなかったのがカメラだったということです。
ちなみに絵を描くことについては、前述の体験から、鉛筆や筆を使って描くのに膨大な精神的ストレスがかかってしまい、図画工作の授業で絵を完成させたことはついに一度もありませんでした。
衝撃を受けた事件、そして「君は写真をやれ!」と背中を押される
それまでは「気ままに撮っているだけ」だった日々に変化が起きたのは、2022年7月。
安倍晋三元首相が屋外での演説中に銃撃により暗殺されるという事件が、日本中を震撼させました。
私は政治的にも信条的にも特に強く安倍さんを支持していたわけではありませんでしたが、なぜかその後数週間にも渡って、身体から気が抜けてしまったように何をする気にもなれませんでした。
会ったこともなければ、その思想に傾倒したこともない。全く他人なのにも関わらず、1人の人間の死がもたらす衝撃。
これだけ国内外の多くの人から尊敬されている政治家が亡くなってしまったのに、今、生きている自分は、何をやっているんだろうか?自分には何が残せるというんだろうか?
43才にもなって、柄にでもなく考えました。
そのことをとある友人に話したとき、
「君は、写真をやれ!ボクはお世辞なんて言う性格じゃないし、下手なものは下手だとハッキリ言って嫌われちゃうんだ。でも、君の写真は、もっと見てもらうべきだよ」と言われ、スイッチが入りました。
あくまでこれは私の場合ですが、「気ままにやっているだけだよ」というのは、どこか言い訳が入っていました。
自分が唯一特技だと思える写真が、世の中の誰にも刺さらないものだったと判明した場合の、自分が傷つかないための、逃げ向上でした。
そうして逃げ切ってしまうのもまた人生ですが、私の写真を見た誰かに何かしらプラスになることがあるなら、そんな自分のつまらないプライドが傷ついたところで大したことはありません。
この世界にはたくさんの不思議が身近に溢れていて、退屈して生きるには勿体ない。
私は、写真を通して伝えていきます。