構想約半年のアクリル板
君の未来には、得体の知れないウイルスの感染が世界中に拡大し、マスクを着用するのが当たり前の生活をすることになる。そう言ったところで、5年前の私だったら、信じようとしないに違いない。
感染症対策のために色々なことが変化した人もいれば、実は、10年前も今も、全くもって何の変化もない生活を送っている人もどこかに居そうだ。ニュースでは、変化ばかりを伝えるし、変化していないとおかしいかのようだから。実際、この感染症が人間の社会や、人間の在り方にどれだけの変化をもたらしたのかということは、本当のところ、どうだろうか。
3年前の私と、今の私は、違う人間だろうか?そう聞かれると、全く変わっていないようにも思える。
それでも、よく分からないウイルスによって、何となく不自由を被っていることについて慣れたりはしない。未だに「なぜ?」という気持ちは拭えない。
2021年、安全飲食なんちゃら制度に登録するため、カウンターのお客さんとお客さんの間を仕切るアクリル板を作ることにした。
構想を立ててから、実現するのに、ほとんど半年かかった。この時間のかかりようからみても、私は、やはり相変わらず私だった。
そもそも、アクリル板で、カウンターの横と横のつながりを断つことについては、納得がいかず、動き出すのに時間がかかった。
見知らぬ人同士も、カウンターでたまたま席が隣り合うことで、始まる話がある。そのためのカウンターなのに、人と人との間に声が通りにくい板を置くのは、カウンターのあり方を破壊するようにも思えた。
制度の規定を満たすための要項に何度も目を通して、「おかしい」と思うと、電話をした。
規定では、アクリル板はテーブルの奥行き分だけでよかった。食品の部分は、守られるかもしれないが、衝立は、人と人の間まで遮る必要がなかった。
これでは、自分の飛沫が、相手の食品にかかることを避けられても、隣り合って会話をすれば、元もこもない。
おまけに、自分が他店を利用する際もアクリル板によって、声が聞こえにくくなれば、アクリル板を避けて、言葉を聞き返すのに顔を近づけ合う人々の光景をよく見る。遮断されることによって、かえって顔が近くなるとは・・・。
「これは、対策と言っても、実際のところ形だけのパフォーマンスになるのでは?」と以上のような理由を述べて、担当者に聞いてみたところ、相手も生活の中でそのような経験をしているのか「そうですよね・・・。」という返答。
「パフォーマンスのために税金で補助金が出るんですか?」とも言ってみたが、相手もそれが仕事なので、致し方なさそうな元気のない返答しか返ってこない。なんて正直で人間味のある担当者だったのだろう。
私も致し方ない気分で、アクリル板の衝立を作ることにした。
こうして、自分のなかで折り合いをつけた私は、素敵な衝立を作ってくれる人を探すことにした。
9月 Makino Yurinaさんと会うことになった。
事前にお互いのことをほとんど知らなかったので、何から話していいのかも分からず、ドギマギした。お見合いをするのはこんな気分かな?と思った。
「私もなぜ自分が今ここにいるかよく分からないんです。」とMakinoさんは初めて会った時に言った。
妙な出会い方だったが、Tetugakuyaならよくある話かもしれない。
友人とそして、半空の暖君が出会いの流れを作ってくれたことだけは確かだった。
アクリル板の形や大きさを決めるのにも、時間がかかった。
あーだこーだ話し合って、窓を思わせるようなデザインをベースに考えることにしたように思う。
Makinoさんは、何度も試作品を作り、生地を取り寄せては、試してくれた。私たちは、打ち合わせの回数も重ねた。
両サイドに白いレースのカーテンがついており、座った人が気分で、上げ下げすることができる。嫌な人が隣に座ったら、レースのカーテンを閉めればいいのだ。今思えば、そんな私の馬鹿な提案についても、真剣に取り組んでくれた。
レースのカーテンが美しく上げ下げできるような仕組みを工夫するのに、Makinoさんは、相当なエネルギーを使われたに違いない。
12月、季節が変わりすっかり寒くなったころ、大人の事情で、未完成のままアクリル板を置かざるを得なくなった。
美しく生地を取り付けるには、どうすればいいのか、思案して、Makinoさんは、縫い付けるための小さな穴をアクリル板の周りにびっしり開けていた。この小さな穴を開ける作業が、ものすごく大変だったに違いない。
実際に、何枚ものアクリル板を設置するとき、私たちは、あることに、気がついてしまった。
アクリル板には、両面に保護紙がついており、保護紙を剥ぐ前のアクリル板をカウンターに並べると、向こう側が見えず、閉塞感が酷かった。
透明度が高いから、圧迫感がないが、レースのカーテンがついたものが、ずらっと幾つも並ぶと、空間に閉塞感が出てしまう。
あれだけ打ち合わせを重ねて時間をかけてきたのに、レースのカーテンを取り付ける案自体が無くなった。Makinoさんは、嫌な顔ひとつせず、「なるほど。そうですね。」と言って受け入れてくれた。
12月24日 レースのカーテン抜きの試作品を試す。
生地は2種類に絞られていた。
きっちりと裾の縫われた試作品と、もう一枚の生地を比べようと、Makinoさんが、無造作にアクリル板を覆った。
その無造作にできた生地のヒダが美しかった。
この無造作に布を掛けられたようなデザインを再現できないかを考えることになった。また、あらかじめアクリル板の淵に沿って開けられていた穴は、結局使わないことになったようだった。
年も明けた2022年1月10日 Tetugakuyaでは、コンサートがあったのだが、その夜Makinoさんは、作業のほとんどを仕上げられることになった。
アクリル板ひとつひとつにその場で丁寧に糸を入れる。
翌朝の2時まで作業は続いた。
構想半年近くのアクリル板が完成した。
ようやく、一つの終わりを迎えた。終えたところで、改めて自分がかけてきた時間に自分で驚いてしまった。
それはともかく、常連さんの反応は、上々だったように思う。
私だけが、お客さんの反応を直接受けていることが、もったいなくて仕方なかった。この反応をMakinoさんに伝えたかった。
そこで、お客さんには、感想を書いてもらうことにしたのだった。
それらは、これから彼女に送るところだ。
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