男性育休を終えて職場に戻ったら想像以上に両立が大変で、これがマイノリティであることの大変さの一端なんだと気がついた
私の背景
200日の育休から早くも1年半が経ちまして、子供も2歳になりました。小4の上の子と2人の育児に妻と一緒に日々向き合っています。
働く環境としては非常に恵まれていると感じていまして、会社にはとても感謝をしています。リモートも活用しながら、バランスを模索しながら働いています。
一方で、恵まれた環境でありながら「自分自身が思った以上にバランスが取れない!」「精神的に落ち込む…」と感じることが多々あります。
これが今まで育児家事の多くを負担してきた女性が感じてきたことで、男性が経験する機会が少なくて感じ取りにくかったことかもしれないと感じまして、書き残しておこうと思います。
まず最初に言いたいのは「男性育休」は「職場復帰」が第二のスタート
男性育休から復帰すると、待ってましたとばかりに仕事が再開します。歓迎されることは大変嬉しいことなので本人も頑張ります。一方で育休中に確立してきた育児家事のルーティンも継続させていこうとします。
ここに最初の関門があります。シンプルに「まわらない」です。
仕事は頑張りたい、頑張ろうとする。でも終業時間にはきっかり終わらせなければいけない。
周りに迷惑をかけたくないけど子供の体調に振り回されて遅刻、早退、終日休むことが多くなる。日をまたぐ出張は行きにくくなる。夜の予定は入れられない…。
育児家事もしっかりやりたい、頑張ろうとする。
でも当然育休と同じようにはまわらない。今までの1/3くらいの時間で終わらせなければいけない。単純に子供たちとの関わる時間が減る。
やりたいことに対して1日24時間しかない。終わらない。まわらない。
そうなると矢印は自分に向いてきます。「仕事ができない自分」「育児家事ができない自分」に対して、自己嫌悪モードに入ってきてしまうこともあります。
自分はめちゃくちゃありました。
でも育児も仕事も長距離走です。今日乗り切れれば…、今週乗り切れれば…、で何とかなる話ではありません。
ぽっかり空いてる男性側のロールモデル
だからこそ「育休復帰後」にどのような日々をつくっていくかが非常に大切です。そしてここに男性育休の盲点があるとも感じています。
女性の場合、これまでの社会的慣習を含めてノウハウや両立のロールモデル、周囲の一定の理解(十分なものでないにしても)があるように感じます。
会社の中でも、インターネットでも、雑誌でも書籍でも情報に触れることができます。一方で男性に関してはほとんど無い状況です。
ロールモデルも十分な情報もないままで本人も周囲も気づけないまま、「あれ、うまくまわっていないな」状態に突入してしまう。
企業が「男性育休取得100%」を目指していく大きな動きがあることは大変好ましいことと思います。
その一方で「育休後」の視点を欠くとうまくパフォーマンスできない方や、うまくまわらずに心が折れてしまったりする方がでてきてしまうかもしれません。
そうならないために、まず認識をあらためなければならないのが「仕事と育児家事の両立」という言葉で想起されるイメージです。
「仕事と育児家事」の両立ではない!「仕事」と「育児」と「家事」と「家族コミュニケーション」の並走だ!
育休復帰後は仕事と育児家事の両立と思っていたのが自分の甘さだったと今では思っています。
「育児家事」と表現している内容の理解が浅かったのです。理解が浅いということは具体的なタスクのイメージや、その負担、掛かる時間の把握が甘くなるということです。
個人的には世間の男性(主語でかいですが…)の認識が「解像度が低いまま」になっていると感じます。これが放置されるとひたすら当事者が辛いという状況が続くことになります。
我が家の場合は2歳児と小4がいる環境を前提に「育児家事」を分解すると、こんな感じです。
【育児】
・朝ごはんを食べさせる、歯を磨く、片付ける。これだけでも大仕事。
・おむつを替える、着替える、髪を結ぶ。
・一緒に遊ぶ、絵本を読んだり、散歩に行く。
・保育園関連の対応をする。準備する。送り迎え。
・帰ってきて遊ぶ。
・お風呂に入れる。着替える。
・夜ごはんを食べさせる、歯を磨く、片付ける。
・絵本を読んで、寝かしつける。
・次の日の保育園の準備をする。
・小4の子と一緒に勉強する。
【家事】
・朝ごはんの用意
・夜ごはんの用意
・毎日2回洗濯機をまわす(4人家族だとこれでギリギリ)
・部屋を片付ける(子供2人のおかげで部屋が賑やか)
・掃除、ゴミ捨て(可能な範囲で…)
・日用品の補充
・買い物
【家族とのコミュニケーション】
ここでいう家族コミュニケーションとは家族団らんみたいなことではないです。(もちろん団らんは大事)
ここで言いあてたいのは「企画する」時間のことです。大事なのに見過ごされがちなので項目を分けました。上記の育児や家事のところではあえて「考える」要素は抜いて書いています。
家事育児における「企画する」時間について、仕事に置き換えると私は理解しやすいと感じます。
上の育児や家事に書いたのは「やることが決まっていることをやる」タスクです。
例えば、「今日はにんじんとじゃがいもを駅前のスーパーで買って帰ってきて」と言われて買い物をする家事。これは仕事に置き換えれば言われた指示をその通りにやるだけという点で「コピーを取っておいて」という仕事とそんなに変わりません。
でもそのタスクが生まれる前提には「企画する」時間があります。
買い物をするということは、今ある食材をもとに好みや栄養を考えて献立を計画して、足りない食材を洗い出すプロセスが存在します。家計に大きく響く要素なので安い食材に代替したり、買うタイミングを考慮したり、買うスーパーを使い分けたりするかもしれません。
総じて「やることが決まっていることをやる」よりも「企画する」方が大きな労力を使います。
ですが身体を動かすわけではないので、(比較するものでもないのに)比較して、「俺だってわざわざスーパー行って重い荷物もって帰ってきたり、ちゃんと家事やってるじゃないか」的な主張がでてきてしまいがちです。
でも仕事において「コピーを取ってくる」仕事と、「新しい企画をする、その企画に必要な情報を集めて、比較検討して決断する」仕事を同列で語りますか…?
と言われるとその違うが理解しやすいように私は思います。
ということで家族コミュニケーションに該当する企画とは下記のようなことがあげられます。
・日々の献立を考える
・週末の予定を計画する
・家族旅行の計画をする
・家(住まい)の長期計画を考える
・資金計画を考える
・子供の教育のことを考える
【時間配分】
これらのことを毎日していくと大体次のような配分になります。
・育児:2~3時間くらい/日
・家事:1.5~2時間くらい/日
・家族コミュニケーション:0.5~1時間くらい/日
ここに睡眠時間(準備含めて)8時間とすると、合計で14時間です。残りは10時間しかありません!ここに通勤時間+業務時間を押し込む必要があります。家から会社までの往復をドアtoドアで1.5時間とすると8.5時間です。休憩時間含む所定労働時間ギリギリです。
この時間感覚は世の経営者の方々の中にもっと広まっててほしいなと個人的には思います。
「時間」「出社」「出張」で自己肯定感が爆下がり
そんなわけで非常に厳しい「時間」の制約が発生しますが、仕事をしていると自分のペースで進められることもあれば、そうもいかない場面も頻繁に発生します。
とりわけ瞬時に精神的に追い込まれるのが「定時を超えるような会議」や「定時に近い時間帯にちょっとした用事を依頼される」ような場面です。
独身時代などで後ろの時間に制約がなければ、気にすることなく1〜2時間の残業で対応するみたいなことは良くある景色です。
でも育児をしてるとそうはいきません。
前述のとおり、基本的には仕事に割り当てらえる時間は通勤時間を含めて10時間です。後ろにはまだまだやることが山積みです。
そういう状況に身を置くと、この仕事の終わり時間を合わせなければならない感覚がある人と、そういう感覚がない人との間にはどうしても意識のギャップが生まれてきます。
定時間際の話に限らず、日中の会議の時間が予定時間よりも伸びることに誰も違和感を覚えないとか、優先度が曖昧なままでタスクが投げ込まれることが普通になっているとか、そういったところに表れます。
この環境が続くと自分だけが会議に参加できなかったり、自分がやるはずだった仕事がほかの人にまわっていくという出来事がじわじわと積み重なっていきます。
その結果、「自分はこの組織で十分な貢献ができていないかもしれない」という感情が芽生えます。
すると周りに申し訳ないという気持ちまででてきたりします。
周囲はそんなことは無いよと言ってくれたとしても、当事者の中で勝手に芽生えて育っていってしまうのでやっかいです。
これと似た状況におちいる場面が「出社」と「出張」です。私の場合はリモート多めのハイブリッドワークで非常に助かっている部分がありますが、仕事の種類や会社によってそのバランス感は異なると思います。
例えば自分が「出社」したいと思っても、家族の状況でリモートを選択せざるを得ない場合は特に子供が小さいうちは多く発生します。
「出張」だっていけるのであれば行きたいと思っていても、その選択を自分がとれない環境に置かれることがしばしばあります。
「時間」「出社」「出張」で十分に自分が応えられないと感じた時は、勝手に自己肯定感が爆下がりしていきます。
こういう環境(仕事の進め方に関する感覚)では自分だけの努力ではどうしても限界だと感じられることがあり、当事者となる働くパパママにとってはパフォーマンスを出す前に「あきらめ」を生じさせてしまうことがあるかもしれません。
そうなりますと「静かな退職」や、メンタル上の不調につながっていく可能性も否定できません。
リモートワークによって「出社」と「出張」の調整方法に幅ができたのは本当に素晴らしい社会の変化と思います。
一方で「時間」についてはまだまだ長時間=頑張ってる、であったり多少の残業は当然するべきものという感覚あたりは是正していく必要があり、時間あたりの生産性をもっとみていく必要が企業においてはありそうです。
存在でなく、「事情」をスルーされることが辛さの根源
小さな場面で「自分が必要ない」「自分の立場が理解されていない」「自分のような状況の人が考慮されていない」という感覚が積み重なっていくことが、これまでの日本社会においては、あるいは企業においてはマイノリティの方々が感じてきたことなのかもしれません。
決して、表立って誰かが否定しているわけではない。
むしろ歓迎する言葉は発している。だけどじわじわと自己肯定感が下がっていく。挑戦する気持ち、期待を超えたいと思うようなポジティブな気持ちが削られていく。
この状況を超えていくには環境をマジョリティ側にあわせる(無理をする)か、圧倒的なエネルギーやスキルで突破するか。そういうことを続けてきたのだと感じます。
「男性育休後」はその意味で、(ここでは多くの日系大企業においては)マジョリティだった男性にとって、「マイノリティ」を理解する大変に貴重な機会でもあると強く感じます。
「育児をしているかどうか関係ないよ!多様な働き方歓迎!」の言葉だけでは解消できない深い溝
上記で書いた「自己肯定感の爆下がり」は、会社組織や周囲の同僚が「仕事と育児家事の両立」を受け入れているかどうかに関係なく発生します。
例え上司や同僚が「育児家事と両立しながら働いていることを応援しているよ!」といったところで、日々の業務で心に発生する「申し訳なさ」で自然発生してしまうからです。つまり言葉だけでは解消できないのです。
ここに対して有効なのは周囲からの「積極的な関与」だと感じます。
状況が変わりますが、個人的な経験として印象的だった外国人の同僚とのチームワークでの出来事があります。
その方は会話では日本語が流暢だったのですが読み書きはまだ苦手に感じていました。チームメンバーはみんなでその方を歓迎していましたし、信頼しあっていました。国籍なんて関係ない、って言ってました。でもそんな中にあってもオンラインのチャットグループは「日本語」でやってしまっていました。
その方はそのチャットグループのやり取りを通してチームの中で疎外感を味わっていました。
ある時にその方からチャットの会話についていけなくてすみませんと謝られて、恥ずかしながらはじめて気が付きました。
「みんな歓迎している」「国籍なんて関係ない」と言っていましたが、その姿勢が疎外感を生み出していたのです。めちゃくちゃ反省しました。
「国籍なんて関係ない」わけないのです。その固有の事情を理解した上で、必要なコミュニケーションをとらなければならなかったのです。勝手に日本人(マジョリティ)に置き換えてしまってました。
育児との両立の話も同様に感じます。
「みんな両立しながらの仕事を歓迎している」「育児をしていようがしてまいが関係ない」なんていう風にしてはダメなのです。
組織の側から見れば固有の事情に目を向けて、関与していかないと取り残してしまうことになります。
当事者の側からも固有の事情を伝えていくコミュニケーションが大事ですが、それができるかどうかという「クウキ感」も、やはり組織側の話だと感じます。
「言っているかどうか」「歓迎しているかどうか」よりも、結局は日々の業務の中での会議の設定のされ方、仕事の任され方、出社や出張といった具体的な場面においてどのようなコミュニケーションがなされるかなのです。
機会が制約がない人に比べて減るように感じる場面があるのは一定は仕方がないことかもしれません。
ただ、そこでどのような言い方をされるか、それだけでもだいぶ当事者の心持ちは変わってくるのではないでしょうか。
そしてそれはエンゲージメント向上、あるいは離職率の低減に効いてくるのではないかなと思います。
「言い方ひとつ」で印象は180度変わる(こともある)
育児をしながら働く上で制約が生まれる時があること自体はあります。これはハイブリッドワーク時代におけるテキストコミュニケーションの難しさと共通かもしれません。
テキストコミュニケーションは相手の感情や相手の意図が対面時と比べて難しくなります。なので送った側はフラットな気持ちでも、受け手側がネガティブ(怒っているのかもしれない、嫌われているのかもしれない等)に翻訳してしまうことが発生します。
だからこそ伝える際に意図とセットで伝える。感情を文字にして伝える。冷たい印象にならないような工夫をする。といったことが大事になります。
育児をしながら働いていると(これは他のマイノリティの方の場合も同様かもしれませんが)、ここまで述べてきたように自己肯定感の低下を伴っている場合、テキストコミュニケーションにおいて余計にネガティブ寄りに翻訳して受け取ることがでてくるかもしれません。
だからこそ発信側はそうならないような言い方を普段以上に気に掛けることは、相手が意図通りに受け止める可能性が高まることにつながります。
これは対面においても同様で「あなたを排除する意図はない」ということを言葉にして伝えることが、当事者のパフォーマンスを落とさない動機づけに直結するのかもしれません。
「なんでまわりが気を遣うの?」「本人が頑張ればいいじゃん」問題
「育休から復帰した男性」のためになんでまわりが変わらなきゃいけないの?と思われる方がいるかもしれません。
理解しておかなければならないのは「育休から復帰した男性」のためだけのことではないということです。
人それぞれ事情を抱えながら働いています。育児だけではなく、障がいがある方もいますし、LGBTQ+の方もいますし、介護しながら働かれている方もいます。闘病しながら、持病を抱えながら、けがをしながら働いている方もいます。
そうした方々を含めれば、「自身の体が健康体で、家族も一様に何ら配慮する事情もなく、時間を気にすることなく働ける」方が本当にマジョリティなのか、という疑問に至ります。
そうでない方も一様に無理をして働いているのが現状かもしれません。
企業が「男性育休」を進める意義
ここまでの話をまとめると下記のようなことが言えます。
・小さな「事情のスルー」が自己肯定感を下げる
・そのスルーが発生する場面は「時間」「出社」「出張」
・「時間」に関しては制約が発生するのは仕方ない一方で「事情がない」人も少ないはずでみんなどこかしら無理してる
・となると根本的には「時間生産性」が大事になるはずでここの議論がもっと企業中で盛り上げていく必要がある
・「出社」「出張」はリモートワークで解消されたことも多い一方でコミュニケーションの気遣いはより大事になっている
・コミュニケーション能力を高める(アップデートしていく)ことは大事
これらのことを企業は環境面から変えていかなければなりません。
環境を変えるにはマジョリティが変わらなければなりません。日本の企業の多くにおいてそれは「男性」です。だからこそ「男性育休からの復帰後」を通じてマジョリティ側の変化のトリガーを引く層が一定数以上を占めることは非常に大切です。男性の中で20-30%までくれば変化していくと信じています。
そのためにも「育休から復帰したら元通り」であっては意味がないのです。企業は「男性育休取得」を推進していくのであれば、その先まで追い続けることが真の価値なのではないかと感じています。