100km歩いた話
私には念願の目標があった。いや目標は山程あるのだが、……それこそ山の数だけあるわけだが、100kmを歩きたいという夢があった。
はじめに
この目標樹立のきっかけは約4年前に遡る。友人と「歩くのってどこまででも行けるくない?」「走るのと違って限界ないよね、限界を知りたい」という会話から、50kmウォークが執り行われ、数人で楽しく歩いた。その後も何度か徒歩企画がなされていたが、都合が合わない回も多く、その友人は100kmを歩いたが私は歩けていないと言う状況だった。
熊野寮のエクストリーム帰寮にも2年連続で出場した。去年は60kmで出し70kmくらい歩いて帰ってきたが、終わった後に大文字山に登る余力は残っていた。今年は予定があり、35kmで出し45kmくらい歩いて帰ってきた。何が言いたいかというと、全体的に消化不良だったのである。
年末で予定が空いていた12/27−28、私は100km歩くことを決めた。
初めは1人で行こうと考えていたのだが、貴重な2人の仲間__友人Aと後輩Bとしよう__と、1人の拉致してくれる後輩Cを得て、ありがたくも往路は4人の楽しい旅路となった。
今回のセルフエクストリーム帰京について
エクストリーム帰寮のルールだと地図は見ては行けないことになるのだが、今回のセルフエクストリーム帰京は完歩が目標なので、地図の使用をOKとした。また一緒に歩く内の後輩Bは予定があり途中離脱しなければならないため、飛ばされる候補としては鉄道の通る、大阪の南の方や和歌山の北の方、京都の北西の方、京都の北の端や福井の南端の方からルーレットで決めることになった。なお明石や三重、湖東という手もあったが、私が以前歩いたことのある道が含まれていたので除外した。
ルーレットの針が指したのは福井の小浜であった。
友人Aが薄手のアウターしか着ていないことに不安を覚えるが、暑がりだから大丈夫と言うので、1人の後輩の見送りを受け、車に乗り込んだ。
福井の旅路
後輩Cの運転してくれる車は京都から鯖街道を通り、朽木、福井、と進んで行く。全くもって平和なドライブであった。まるで嵐の前の静けさのように。途中福井への峠越えでみぞれ雪が降っていたこと以外は………
ちょうど100km離れた小浜市阿納の岬に着いたのは、京都を出発して2時間強、27日の15時だった。
一歩車外に出た瞬間、寒さを感じる。しかも先ほどの峠の天気が予知したように、小雨が降っている。友人Aは折り畳み傘を持っていなかったので送ってくれた後輩から長傘を借り、いざ出発である。
歩き始めてすぐ、友人Aが手の寒さを訴える。ほら見たことかと思いつつ口には出さなかった。地味にずっとみぞれのような雨が降ったり止んだりで体力と熱を奪っていく。雨はまだ20時ごろまで断続的に降り続くらしい。この天気予報を見ていたら京都の北は候補から外したのに、と3人でぼやく。
若狭湾沿いで地元の土産屋を見つけ、食料を買い込んだ。魚の燻製はもちろん、ただの薩摩芋スティックや生姜糖も美味しくカロリー源になりそうだ。
ここから小浜市街に出て、途中までは小浜線沿いに東向きに滋賀との峠を目指し、湖西線沿いに歩いていくつもりだ。
晴れてくると、傾いた太陽に若狭湾が照らされてキラキラと美しかった。しかし日が傾いているとはつまり夜が来るということで、あっという間に夕暮れが来る。小浜市に出る頃にはすっかり夜の景色だった。
小浜は都会だった。何件もあるコンビニに感動しつつ、友人Aも手袋とニット帽を手に入れた。そして大量に食料を腹の中に詰め込んだ。福井から滋賀の峠越えでは、およそ7時間ほど、コンビニや店がない。日が落ちた途端、既に底冷えの気配を感じていた。寒いということはその分カロリー消費も多くなるということだと言い訳をし、常にない量の買い食いを繰り返した。途中のファミマで小浜から京都まで歩くんです、と店員さんに話すと、信じられないという反応が返ってきた。
小浜線の最後の駅である上中を通り過ぎたのが20時ごろ。後輩Bは明日、午前にバイト、昼にランチ、夜に忘年会という過密スケジュールらしい。しかしここで帰るのは物足りないと、峠を越えてから湖西線の始発で帰ることにしてくれた。申し訳ないという思いと裏腹に、峠越えの人数が増えることに安心している気持ちも、どこかにあったことを認めねばなるまい……。
滋賀へ
峠越えは道の両端に雪が積もり冬景色が楽しめた。もしくは楽しんでいたのは私だけだったかもしれない。少なくとも後輩Bの顔には疲労と眠気が滲んでいたように思う。なんば歩きで少しでも疲労回復を図っていた。
鯖街道の熊川宿の道の駅を通る。途中で何度も動物の気配を感じたり、暗闇に光る数対の目を見たりした後では、道の駅と車を見るだけで安心感を覚えるようになっていた。
気付くと、友人Aはどこかに傘を忘れてきていた。身軽そうだった。
段々と口数が少なくなっていく。まだ30km地点くらいだが、この企画のしんどいところは眠気に打ち勝たねばならないところだ。仮眠を取らずどこまで行けるか__そういう、単なるウォークと別の大変さもある。
午前2時ごろ、ようやく滋賀側の近江今津に抜け久々のコンビニに入った。後輩Bは、2駅先の安曇川駅で始発に乗ってもらうことにした。滋賀のJRあるあるで、一駅の間隔が広すぎて全く辿りつかない絶望感があった。
安曇川のコンビニで足を休めようと早めに着いたのだが、そこにはイートインスペースがなく、1時間近く、寒い中で座ったり店内で立つ羽目になってしまった。情報収集不足ですみませんでした……。
そして5時過ぎ、安曇川で帰る後輩Bを見送る。約45km地点である。最後に見た後輩Bの顔は、今までになく清々しい笑顔だった……。
お疲れ様でした。可哀想な後輩、私を嫌いになっても限界徒歩は嫌いにならないでください(?)
気を取り直し、友人Aと歩きだす。まだ辺りは暗く寒く、後輩Bの置き土産のマグマというカイロがとてもありがたかった。友人Aは70km地点の和邇駅までは頑張って、その先はそこで考えると言う。流石に私も、まだ半分行っていないのか……と思うと、嫌気は差してきた。そもそも既に70kmくらい歩いた気分なのに……。
さらに2時間ほど歩き、白鬚神社でちょうど朝日が昇ってくるところに行きあう。鳥居とパステルカラーの空の組み合わせが美しかった。眠気も少し醒めてきて、これなら歩けそうだ。私は白鬚神社の展望台に朝日を観に上ったが、Aは下で休んでいた。
Aに異変が起きたのはその直後だった。後輩Bと別れた後くらいから時々ぼやいてはいたが、今や膝から下が全部耐えられない痛みらしい。次の北小松駅で帰らせてほしいと言う。
残りフルマラソン一個分を1人で歩くことは容易に承知しがたかったが、仕方なく懇願を聞き入れ(?)分かれることになった。Aが平気そうに歩いている私を、バケモノを見るような目で見ていた。気のせいだと信じたい。
1人での旅路
雪を戴いた比良山系が、右手にずっと見えて美しかった。琵琶湖沿いの道は風が強く山からも遠かったので、山沿いのバイパス横の道を辿っていく。アップダウンはやや多くなるが、山の息吹を近くで感じられるならば背に腹は変えられなかった。
比良まで来ると、大学のワンゲルで何度も行っている、武奈ヶ岳の登山道とも行きあった。今シーズンも雪山で複数回行くことになるだろう。近くに温泉もあることを知っていたので正直かなり心惹かれたが、あまりゆっくりもしてられないのでパスする。きっと今日武奈ヶ岳山頂は雪と天候に恵まれて武奈ヶ岳ブルーが楽しめることだろう。どうして私はこんなところを1人で歩いているのか……。
眠気に耐えかね座り込むと、とても心地良く眠りに落ちそうになった。ぽかぽかとした陽気を感じる。太陽ってすげー。
仮眠したい気持ちを抑えて、慌ててドーピング、もとい残りのエナドリを喉に流し込み意識を回復させた。エナドリのおかげか休んだおかげか、しっかり歩けるようになっていた。
蓬莱の辺りで、猿の集団と出遭う。猿も上高地で見て以来見ていなかったから少し驚いた。
その後会った老夫婦が、まさに今歩いている住宅地に、つい3、4週間前まで熊が数回出ていたことを教えてくれた。ということは全然武奈ヶ岳でも、今日歩いていた福井の峠でも出うるということで。うん、おそらく冬眠しててくれて良かった……と思った。冬眠しているかは知らんけど。
和邇では、平和堂のスーパーに寄り大休憩を挟む。流石に70kmで、私の足にも痛みが出てきていた。左右非対称な歩き方で、左足の甲だけが鈍い痛みを訴えている。とは言え続行はできそうなレベルだ。
気合いを上げるためにまるごとバナナを買って、外に出てかぶりつこうとすると、
__ガンッ__
衝撃が襲い、まるごとバナナは足元に転がっていた。
__トンビだ。
「しんでくれーーー」
駐車場で絶叫してしまった。
手から無くなった時の絶望感とは裏腹に、幸い、土がついた面積はほとんどなく、そこだけ取り除けば美味しくいただけそうだ。心配して声をかけてくれた周りのお客さんに、恥ずかしくなりながらもお礼を言って歩き出す。
これが和邇和邇パニックなのかもしれないなどとくだらないことを考えていると、トンビに襲われたアドレナリンの効果もあってか、いつの間にか足の痛みは消えていた。
琵琶湖大橋と言うとかなり近づいてきたように思えるが、まだ堅田なのである。そこから山科までは、おごと温泉、比叡山坂本、唐崎、山科、の順番で駅がある。京都まではおよそ6時間くらいある。
二度目の夜が比叡山坂本辺りでやってきた。眠気にも波があり、大丈夫な時は大丈夫なのだが、しんどい時は本当に耐えられなくなりそうだった。痛みもだいぶ引いたような気もしていたが、やはり痛くなる時もある。
1時間ごとくらいに次のセーブポイントもといコンビニを探し、1時間区切りで足を動かす。もはやこの辺りになると作業だった。辛いのが、夜になると、コンビニで止まる度に、次に動き出す時身体が冷えて寒くなることだ。けれど足も全身も疲れているので、止まらないわけにもいかない。ダウンに加えてフリースも持ってきておいたことがまだ救いだ。
しかも何より辛いのが、もう80km歩いているのに、まだ5時間も歩かないとゴールできないことだ。前100歩いた友人も、最後の10、20が辛いと言っていた気がするがわかりみが深い。
ようやく大津まで来た。馴染みの景色に涙が出そうになる。まだ3時間は歩かないといけないのだけれど……。
Googleマップの指し示した道に行こうとすると、小関越えの方向だった。__いやいやいや……これは流石に無理ですわ……
小関越えというのは、最短距離ではあるのだが、特に女子が夜に1人で歩くことは躊躇われる、人気の全くない真っ暗な場所を、通らされる道である。夜に行ったことはないので想像でしかないが、昼間でもそうだったので夜では尚更だろう。
京津線沿いへ回ることにし、その分、大学ではなく京都市役所ゴールに変更した。終電の時間が迫っていることに気付いてしまったのである。回り道すれば、スタート地点からちょうど100kmくらいだったというのもある。
今までのペースで休んでいては、家に終電で帰れるかわからない。そう思った瞬間に沸々と元気なのかよくわからないエネルギーが湧いてきて、足が自然と動いた。やってやろうじゃないか。できるだけ休まず歩こうじゃないか。
京津線沿いの道は、いわゆる逢坂の関というやつである。Googleマップの時間すら巻く早さでひたすら足を動かした。家の方向に帰れる道と合流した時は死ぬほど心が揺れたが、気持ちに蓋をして足を進めた。ここで諦めて90+nkmの記録になったら、もう一度歩かないといけない。それが何よりも苦痛だった。二度と歩かないために今歩くんだ。そう心に言い聞かせた。
山を二つ越える頃には、一度水を飲むために立ち止まった以外無休憩なこともあって、10分ほどは巻いていたように思う。
三条京阪からのラストスパートが何よりも大変だった。「いけいけ、がんばれ、もういけるぞ、よしよし」と呟きながら歩いた。
ついに22:42、京都市役所になんとか辿り着いた。満身創痍だった。自撮りを残したのだが、今にも寝そうな顔が映っていた。
帰りに乗った電車ほど、ありがたみを感じるものはなかったし、最寄りから家までの道ほど、しんどいものもなかった。
SNSにあげた記録に来ていた、友達などからのおめでとうメッセージや反応が、とても嬉しかった。
しばらくは全く歩きたくない。またいつか歩きたいと思う日が来るのだろうか。
今回の記録
100km
12/27 15:00→12/28 22:42 計31:42
気温 最低1℃(夜、福井と滋賀の間で)
最高8℃くらい?
・服装
シャツ、ハイネックのシャツ、セーター
ダウンコート
短スパッツ、厚手のズボン
登山用靴下
タウンユースのスニーカー
・防寒着
フリース、スキー用手袋、ネックウォーマー、マスク、ニット帽、カイロ
・その他
ヘッドライト、バンドエイド、ティッシュ、ビニール袋
・買ったもの
飲み物、食べ物たくさん、エナドリ(400+150+100くらい)
・負傷
膝(転倒による傷)
足の裏の水脹れ→次の日には治っていた?違ったのかも?
筋肉痛→翌々日もまだあり
倦怠感→翌昼まで
・反省点
スニーカーが内股のすり減り方をしていて、左右対称でない痛みが出た 歩き方を改善したい…
あとがき
結論としては、100kmウォーク、きつかった……。仮眠せずにやるのはちょうど100くらいが、少なくとも私にとっては限界でした。ただ仮眠があれば、そしてラスト3時間のように無休憩とかいうバカなことをしなければ、もう少し歩けそうな気もします。勉強に余裕があれば、来年のエクストリーム帰寮は100で出して帰ってきたいところ(果てしなく無理そうな香り)。
なんにせよ、100km歩けたというのは自信にはなったし、2025年も登山中心に色々なことに挑戦していきたいですね。まずは今シーズンの雪山と、3月初めのフルマラソンと、トレランシューズを買ってもらったのでトレランを始めることかな。私の尊敬し続ける弊ワンゲルの前部長のように、体力をつけたいです。いつか先生のように、医師を全うしつつ山を駆け巡りたい。
まあ流石に勉強しろという話なんだけど……でも学生最後ってのも今しかできないことなわけだし、どちらにも全力でやっていきたいです!
最後に、一緒に歩いてくれた友人A、後輩B、拉致してくれた後輩と見送りに来てくれた後輩、本当にありがとうございました!
また友人たちでも、弊ワンゲル部員でも、異常徒歩サークルの皆さんでも、一緒に歩きましょう!