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【まいにち短編】#10 美味なるものは…

私、藤村美香はとても緊張をしていた。特に直さなくても大丈夫だろうが、つい髪を触ってしまう。
一応お気に入りのワンピースと、ちょっといいアクセサリーを着けてきた。
ちょっとはマシに見えるだろうか。

待ち合わせまであと10分ある。
誰かを待つというのは久々だった。こんな気持ちで待つことも。

振動に気付いて、スマホを取り出す。
『今、着きました。どこにいますか?』
待ち合わせ相手が到着したらしい。

『西口ロータリーの時計台の前にいます。黄緑色のワンピースを着ています』
少し震えながら、文字を打った。
土曜日の駅前は、なんというか穏やかで毎日こんなだったら…と願ってしまう。

しばらくして
「ミーさんですか?タツです。お待たせいたしました」
待ち合わせ相手が到着した。写真通り、そこそこ整った顔をしていたのでほっとする。
じっとりとした視線を感じる。彼は今何を思っているのだろうか…。
「えーっと、とりあえず…移動しましょうか」
促されるままに、彼に付いて行く。


「ここです。予約しておきました。入りましょう」

到着した場所は、ずっと前から気になっていた綺麗なお寿司屋さんだった。

「戸塚様ですね。お待ちしておりました」

タツさん、戸塚っていうのか…。
本名も知らない相手と、まさか今日ここに来ることになろうとは…。

流されるままに、カウンター席に着席し、おしぼりをいただく。
彼に手が震えているところを見られないように、ゆっくりと手を拭いた。

「えっと、改めまして、タツです。本名は、戸塚達也って言います。よろしく」
「あ、私は藤村美香と言います。よろしく願いします」

次の言葉を探す。
初対面の相手と、一体何を話したらいいのだろうか…。

「えっとー…、実は僕こういうの初めてで、はははっ緊張しますね」
「わ、私もです。緊張してて…、その…」
「やっぱり、チャットとは違いますね…はははっ」

チャットと違う、とは私の容姿のことだろうか…。それともコミュニケーションが、ということだろうか…。
いけないいけない、言葉一つ一つ気にしていたら乗り切れない。
とりあえず、会話をしよう。確か、IT系のベンチャー企業でエンジニアをしているとかなんとか言っていたような…。

「そうですねー…。タツさんは、えっと、今日はお休みですか?」
「あ、はい。基本土日休みなんで」
「へー…」
うーん…、なんだろう、この…。初めて言った美容室で感じる居心地の悪さと同じような感じがする。

「と、とりあえずお飲物頼みましょうか。タツさんどうしますか?」
「あ、僕、生で」
「じゃ、じゃあ私も生にします」

飲み物が運ばれてくる間、無言の時間が流れる。
気まずい。チャットだとそこそこ普通に話していたのに、何を話したらいいのかわからない。

「じゃあ、今後ともよろしくということで、乾杯」
グラスを重ねる。とりあえず、今後を期待されたので良しとしよう。


目の前に、綺麗に飾られた茹でタコの切り身が並ぶ。
丁寧に、お箸てすくって、口の中にゆっくりと運ぶ。

「ミーさんは、舞台鑑賞が趣味なんでしたっけ」
突然話が始まったので、急いでタコを飲み込こんだ。

「んっ、あ、はい。そうなんです」
「どういうものを見るんですか?」

そう言えば、この人プロフィール欄に漫画好きって書いてあったな…。もしかすると…。

「あーえーっと…、いわゆる2.5次元ってやつで…」
「あー、へー、なるほど。流行ってますよねー。うちの会社でも好きな人いますよー」
「タツさんは、確か漫画が好きなんでしたよね?」
「ええ…、まあ…。ワン◯とか読みます」
「へ、へー。いいですよね…ワン◯…」

あーーーークソーーーーー。騙されたーーーーーーーーーー。
話はまた途切れてしまう。何喋っていいのかいよいよもってわからないな…。

続いて、カツオを特製の出汁でつけたものが並んだ。
赤色の切り身は艶々と輝いて、綺麗だった。

「ミーさんは、確か双子のお兄さんがいらっしゃるんでしたよね」
口に運ぼうとした瞬間にまた話しかけられる。邪魔しないでくれよ…。
「あ、はい、そうです」
綺麗なカツオをさっさと食べたくて、おざなりな返答をしてしまう。
「ご家族は、仲がよろしいんでしょうか?」
くっまだ続くのか…。
「あ、はい、そうです。そんな感じです」
「へえー。なんだかそんな感じしますね。わかります」

今の会話で、一体何がわかったのだろうか…。


「ごちそうさまでした。お腹いっぱいになりました」
「いえ。美味しかったですね。また来たいです」
「…………。」

お腹はパンパンに膨らんだのは本当だ。けれども味をよく覚えていない。
お店を出て、二人で駅の方向に向かう。

「あ、あの…時間も早いですし、二軒目どうでしょうか?」

お腹いっぱいだってほんの数秒前に伝えたじゃないですか…。

「いえ、ちょっと用があるので、これで失礼します。ありがとうございました」
「そうですか…。ではまた…。後ほどチャットしますね」
「はあ…。ありがとうございました。では」

急いでイヤホンをする。早足で駅の改札を目指す。
後ろは絶対に振り返らない。もう無理だ。違ったんだ。

あのお寿司屋さんは、前を通るたびにずっと気になっていた。
食べログを見たり、インスタを見て、いつか行ける日を楽しみにしていた。
仕事がうまくいった時とか、大好きな彼が出来た時とか、そういう特別な時に来ようとずっと思っていた。

こんな気持ちに、なりたくなかった。

チャットでは、そこそこ話が合うと思っていた。
顔も悪くなかったし、これが運命の出会いというやつか、とすら思ったこともあった。

でも違った。

スマホを取り出して、マッチングアプリを起動する。
彼のプロフィールを開いて、ブロックボタンを押した。

あの寿司屋さんは、もっと違う人とまた来れますように…。

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