【まいにち短編】#21 私のためのエッグベネディクト
鍋に水とお酢を入れて湯を沸かし、卵を落とす。
イングリッシュマフィンをトーストし、ほうれん草とベーコンを炒める。
トーストしたマフィンにベーコンとほうれん草とポーチドエッグを乗せて、こしょうと特製のソースをかけて、今日も朝ごはんが完成した。
友人からもらったちょっと良い海外のコーヒーを入れながら寝ぼけ眼の彼を呼び、
アンティーク雑貨屋で買ったこの家にある家具の中で一番お気に入りのテーブルに座る。
手を合わせてから、さっき作った朝ごはんを一口一口味わいながらじっくりといただく。
彼はスマホをいじりながら、どうでもよさそうに私のつくったエッグベネディクトを食べる。「今日も面倒臭い会議がたくさんある」と愚痴をこぼしながら。
私はこの時間が大好きで、一番大切だ。
毎朝食べるエッグベネディクトが私の1日の源になると思っているし、それが当たり前だと思っていた。
けれども、どうやら私とは朝食のあり方が違うらしいと気付いたのは
一緒に暮らすようになって1週間も経たないうちだった。
大好きな彼と一緒に朝食を食べる。それが、ずっと憧れで幸せの形だと信じてきたのに。
「ってかさー、俺がせっかく必死に考えた案もすぐ却下されるんだよ。
ほんとあの課長、自分が決めた事しかやんないし会議の意味あんのかよってね。あ、テレビ付けるよ」
「うん…」
テレビからはチンケな音楽と可愛い顔をしたキャスターが今日の天気について淡々と喋っていた。
今日の最高気温は37.5度だそうだ。
夏は洗濯物がすぐ乾くので、好きだ。
暑いのはいやだけれど、洗濯を干している時に吹くカラッと乾いた風と絵のような雲と青い空が広がる夏が、大好きだ。
「はあー、今日も暑そうだなー。俺夏嫌いなんだよねー」
「そう…」
いつからだろう、私の好きなことを、彼に好きだと伝えられなくなってしまったのは。
「てかさ、朝ごはんももっとサクッと食べれるもんにしてよ。お茶漬けとかさ。ギリギリまで寝てたいし。稼いでくるのも大変なんだよ?」
「……」
いつからだろう、私の大切なことを、彼に大切だと伝えられなくなってしまったのは。
「あ、今日飲み会で遅くなるから。夕飯はいらないけど、アイスだけ買っといて。あ、やべこんな時間…」
それだけ言って、彼は荷物を持ってテーブルを立った。パタんとドアが閉まる音がした。
いつからだろう、朝食が美味しいと感じられなくなったのは。
私が1週間前から荷物をまとめていたことに、きっと彼は気付いていない。
エッグベネディクトを食べなくなっても、私が去っても、きっとすぐにそれが彼の日常になるのだろう。
私がエッグベネディクトを食べる場所は、やっぱりここじゃない。
最後に食べ終わった食器の後片付けだけをして、この家を去った。
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