クレア・ビショップ「『人工地獄』10周年記念再版本への序文」について

 もう一昨年のことになるが、2012年にクレア・ビショップの『人工地獄』原書が刊行されてから2022年で10年となった。それを記念して同年VERSOから10周年記念再版本が発売された。それに際してビショップが「10周年記念再版本への序文 (Preface to the Tenth Anniversary Re-edition)」という文章を新たに執筆し、10周年記念再版本に増補されている。これは、ビショップがこの10年を振り返り、その間に社会で起こったことを受けて、自分の考えに生じた変化や、『人工地獄』に見出した盲点などを語ったものである。この文章の存在自体、特に日本ではあまり知られていないだろうし、ビショップなりのここ10年の総括としても非常に興味深いので、簡単にまとめて紹介してみることにしたい。
 まず、ビショップは、10年経って『人工地獄』に立ち戻ってみると、その元々の議論の多くはいまだ有効であると思うが、この本における二つの大きな盲点にいっそう明白に気づくようになったと述べている。すなわち、人種とテクノロジーという盲点である。
 『人工地獄』は大いに冷戦後の地政学の産物であるとビショップは述べている。1989年から1991年にかけての転換は、政治的行き詰まりの感覚に至り、それは、中道主義的なネオリベラリズム、すなわち「ポスト政治」の状況であった。1990年代には、リベラル・デモクラシーが勝利したのは明らかであるように思えたので、問題は、どんな形態を民主主義が取るべきかということになった。その結果が、水平的な構造と倫理的な枠組みに対する強い関心である。
次の10年間(つまり2000年代)において政治的なムードはますます麻痺状態のムードとなり、2003年の反戦デモの失敗以後、抗議活動への信頼が失われた。欧米中で、抗議活動を表現・上演・再演したアーティストもいれば、集団性の喪失を嘆き、「集まる(come together)」ことの必要性を主張したアーティストもいた。これらの作品はすべて、あきらめという抑圧されたトーンを持っていて、参加型アートは、政治の遠回しの代用物となった。参加型アーティストたちがコンセンサスを好むことはしばしば、第三の道の中道主義による、窒息させるような円滑な活動を再現することへと帰着した。『人工地獄』は、こうした争いの排除に対抗してはっきりとした形をとり、それに対して撹乱(disruption)と軋轢(friction)を求めた。
 しかし、2012年(『人工地獄』が刊行された年でもある)以降、参加——少なくとも言説としては——はほとんど完全に、視覚芸術から消失した。制度的な観点からは参加型アートは過去10年にわたって次々と成功を収めていたが、こうしたことは主流の雑誌、美術館、ビエンナーレにおける現代美術に関わる議論にとって中心的な役割を果たしていなかった。その代わり、過去10年間の関心事は、二つの明確な段階に分けることができる。一つは、ポストデジタル、思弁的実在論と非人間中心的(non-anthropocentric)なもの(だいたい2011-16年)。オブジェクト性、物質、ポスト人間的な行為主体性を支持して社会的なものの問いを主に脇に追いやった。もう一つは、アイデンティティ(特にブラック、障害、先住民、クィア、トランス)の問いであり、2016年に本格的に現れた。自律的な美術作品で、しばしば絵画と写真のような伝統的メディウムにおいてラディカルな主体性を主張した。
 参加の言説の人気が落ちたことに関しては二つの理由がある。すなわち、オキュパイ・ウォールストリートと、ソーシャル・メディアである。オキュパイは、それ以前の20年とは質的に異なる政治的力学を持つものとして新たな10年を印しづけた。つまり、異議と動員への顕著な移行であり、抵抗の芸術的表象からその実現への進展である。2016年には、美術史家でアクティヴィストのイエイツ・マッキー(Yates MacKee)が、オキュパイは「ソーシャリー・エンゲージド・アートの目的/終焉(end)」の表れであると主張することができた。今や現実世界での運動構築へと成長したということである。2010年代を通して、アート・アクティヴィズムの絶え間ない豊かな流れは、アートマーケットの範囲外で生じてきた。その注目を浴びる例としては、投資の引き上げ、脱植民地化、ボイコット、組合化を求める、美術館での抗議活動がある。参加の戦略は、こうしたグループのいくつかで活用されているが、参加は今や、それ自身のためのプロセスではなく多くの政治的戦術の一つとなった。
 2013年以降、ブラック・ライヴズ・マターの興隆は、社会的関係に対する異なる語彙を解き放った。参加という語を顕著に避けるのである。そこで用いられたのは、空間の再要求、集団的知、共同的な治癒といったレトリックであり、こうした新しい態度を要約するようになった語は「ケア」である。それは、ブラック・フェミニズムのケアの言説を中心に置くものである。そして、シモーヌ・リー(Simone Leigh)の《Free People’s Medical Clinic》(2014)といった作品をビショップは例に挙げている。
 ここ5年ほど、パフォーマンスの様式としての儀式が顕著なやり方で復活している。先住民の認識論に関心を持つヨーロッパのアーティストと、南北アメリカ大陸にいるファースト・ネーションのアーティストによるものである。そこで儀式は暗黙のうちに、政治的行動という西洋の認識論を拒否し、土地や精霊、世代を超えた知といった、個人の行為主体性を超えた力を求める。1990年代・2000年代のアーティストたちが、不利な立場にある他者に対して恩恵を施す人の役割を引き受け、または逆に、そうした差異を作品の一部として見せびらかしたのに対して、ブラックと先住民のアーティストたちは、自分自身のコミュニティに作品を向け、公開性(publicity)と私秘性(privacy)との間の関係を注意深く扱う傾向がある。
 過去10年間におけるケアへの転回が持つ一つの効果は、言説としての参加の「白人性(whiteness)」を露わにしたことである。ビショップは『人工地獄』においてアメリカからの例を避けようとしたため、残念なことにこの本もまた白人性を補強してしまった。その結果、リック・ロウやシアスター・ゲイツといったアーティストたちが除外された。この本を改訂するとしたら、アメリカでのブラック・ソーシャル・プラクティスを図表化する章を入れるかもしれない。過去10年にわたるソーシャル・プラクティスにおける最大の変化を最もよく見ることができるのは、ブラック・アーティストの作品を通してである。そこで行われているのは、歴史を引き合いに出し、都市の再生とインフラに取り組み、デザインに新たな注意を払うことである。それ以前の形態のソーシャル・プラクティスは、執拗に現在主義的で、現代において急を要する問題に焦点を当てる傾向があった。インフラへの注目はまた別の重要な展開であり、短期間のミクロトピアが、長期間の制度構築に取って代わられている。シアスター・ゲイツのRebuild Foundationは、デザインに対する新たな強調の良い例である。ゲイツの作品は、1990年代・2000年代における反美学的態度とは対照的に、明白な美学を持っている。
 『人工地獄』の第二の盲点は、デジタル・テクノロジーに対する参加者の関係である。TwitterとFacebook(2006)、iPhone(2007)、Instagram(2010)の隆盛から数年しか経っていない時に書いたので、『人工地獄』は、参加とソーシャル・メディアとのいかなる関係も発展させ得ていない。ソーシャルメディアは遍在し、巨大な観客に届くという点において効果的であり、ドーパミンを少しずつ与えて満足させることができるため、主にそれによって過去10年にわたって参加に対する芸術的関心が失われてきた。美術館は、鑑賞者のエンゲージメントとしてデジタル・テクノロジーを採用することを通して参加型アートの終焉に手を貸している。集合的な文化生産からマーケティングと観客数増加へ向けられていて、またパターナリスティックであり一方向的であるからだ。エンゲージメントとは、参加が死でゆく場所である。
 『人工地獄』で私が行った、参加型アートの定義は明白に、直接会う(in person)というものであった。つまり、人々の集団が、共有した場所と時間で、一緒に物事を行うことである。意味の構築は、身体化され位置付けられなければならなかった。結果として、私は、「インタラクティヴ」と「参加」との間に防疫線を引くことになったのだが、振り返ってみれば、この決定は、デジタルとライブ、ヴァーチャルとリアル、パブリックとプライベートとの豊かな相互作用を無視していた。
 ここ10年、言説としての参加が、アセンブリや、エンゲージメント、ケアのような競合するいくつかの用語に分裂するのが見られた。もちろん、その中でケアが最も普及しているように見える。ケアは、危害(harm)と対立しており、敵対(antagonism)にも対立している。『人工地獄』は、エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフによる、敵対としてのラディカル・デモクラシー理論に支えられている。私は、ジャック・ラカンの倫理に依拠し、社会に対する義務という罪悪感ではなく「欲望」に起因する個人の心的必要としてアートの制作を捉えようとした。しかし、こうしたアーティストのモデルは、リバタリアン的個人主義と居心地悪く共鳴する。『人工地獄』で提案された芸術的主体性と、現代リバタリアンの「どんな犠牲を払っても自由を」という態度は、とても異なったやり方で繰り広げられるが、共通の根を持っている。両者とも、撹乱(disruption)を活用し楽しんでいる。オルトライトによって、侵犯(transgression)というものが横取りされている。
 10年前には、敵対と撹乱が政治的な常態になるかもしれないとは考えられないように思えた。今日、多くの人々が人工地獄に生きている。振り返ってみると、私の本は、2000年代の特権的な北ヨーロッパの世界観によって甘やかされているように見える。極右がソーシャルメディアを道具として利用して、分断と不信の種を蒔くという事態が生じた。激怒、憎しみ、疑念が日常生活の情動となり、新たな種類の政治的疲労と幻滅を誘発して、それゆえケアと自己ケアへの撤退が魅了的になっている。「参加」と「社会的関与(social engagement)」という用語が、ネオリベラルな90年代の個人主義とプライヴァタイゼーションに取り組む手段となったように、ケアは、ナショナリズム的で白人優越主義的な2010年代への支配的な反応となっている。ケアとエンゲージメントは、機関(institution)と企業による取り込みから免れていないし、ケアへの批判は、ケアの限界に注意を促している。私たちが目撃しているのは、言説としての参加の終焉というよりも、今日の風潮の政治的ニーズに適合するためのその変容である。

 これが私なりの要約である。すでに『人工地獄』を原書なり邦訳なりで持っている方は、改めて10周年記念再版本を入手する気にあまりならないかもしれないが、e-bookならセールの時に比較的安価で購入できるし、他にもいろいろと興味深い論点があるので、関心を持った方はぜひ、この序文を実際に原書で読んでみてほしい。

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