ペンネーム:おっくせんまんおっくせんまん


「そうだ! マイブームの話をしよう!」



 ふと思い立って電車で数駅の繁華街に出た日曜日の昼下がり。ここは全国チェーンのカフェ、ドトーノレの窓際の席。目の前にはスティックシュガー5本入りのゲロ甘コーヒーを飲む年の離れた従兄がいた。


「ニッコニコとキメェ顔晒してんじゃねぇ」

「それが数年ぶりに会った可愛い従妹に対しての物言いか!?」

「その顔で可愛いを名乗れるほどの自己肯定感の高い女に育って兄ちゃんは嬉しいよ」


 詳細は省くが、数年行方をくらまし続けていた従兄との再会である。口も態度も悪いが一人っ子の私には実兄のような存在で、幼い頃から後ろをついてまわっていた。その度に「金魚のフン」と吐き捨てられたが。

 その従兄と偶然すれ違い、反射で確保、近くのドトーノレへと連行したわけだ。抵抗されたが結局大人しくついてきてくれた従兄は微ツンデレ属性かもしれない。(余談だが、近年は絆されてくれたのか誕生日にはプレゼントをくれるようになり、行方が分からなくなっていた間も毎年家に送ってくれていた。というわけでやはりツンデレ属性なのではないかと思うわけである)

 とにかく最悪だが割と良い従兄との邂逅にはしゃいでいるわけで、最近何してたとか今どこにいるとか従兄に尋ねるも返答はどれも素っ気なく、「ろくろ回してた」とか「羽合(はわい)」とか絶対適当言ってるだろ! という感じで諦めて私は自分の話をすることにした。兄ちゃんバカ高卒なのに英語話せるんか。

 最近あったこと、家族のこと、思いつく限り話尽くすともう外は夕日が差していた。私がほぼ一方的に話している間も兄ちゃんの反応は変わらずと言った感じだったが、それでも嫌がっている様子はなかった。やはりツンデレ略。一度ふとなにかに気づいたかのように顔を上げて辺りを見渡した後、ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた瞬間があったが、そういう笑顔の時は触れない方がいい。きっとろくな事を考えていないとこれまでの経験から学んでいる。

 さて、もう日が暮れ始めており、時間的にお開きも間近になってきたところだが、ここで解散になるとまた数年会えないかもしれないと思うと兄ちゃんを帰し難く、なんとか話題を出そうと頭を捻っていた私に思い浮かんだのが、「そうだ! マイブームの話をしよう!」である。


「兄ちゃん聞いてよ、最近友達の動向を見てるのが楽しいんだ。人間観察ってやつ」

「馬鹿なオマエは知らないと思うから教えてやるけどそれってストーカーって言うんだぞ」

「ちっがうよ!! あとストーカーくらい分かるし! してないし!!」


 口を開けば小馬鹿にした笑みを携えてのコレである。ちくしょう。毎回相手取っていると話が進まない、ここは私が大人にならねば、と自身に強く強く言い聞かせ話を続ける。


「いつもつるんでるやつらが三人いるんだけど、男二人に女一人ね、それぞれ、えぃ……A斗、I子、U次って言うんだけど」

 テーブルの端に置いてあったアンケート用紙と鉛筆を取り、三人の名前を書き込む。なけなしの良心がはたらき、伏字を使った。A斗のAの部分の漢字をほとんど書いてしまったがウニにして見えなくした。書き損じは✹ウニ✹になる運命なのだ。



【アンケート用紙の裏】

✹A斗♂   I子♀


   U次♂



 先に登場人物の説明をしよう。(従兄は私の交友関係興味がなく、一番付き合いの長いA斗のことすら知らない。私が話題に出したことはあるかもしれないが、面識はないし、きっと従兄は話も覚えてない)

 まずA斗。A斗は私の幼稚園からの幼馴染で小中高とずっと一緒の男だ。非常に面倒見がよく、自分でもちゃらんぽらんの自覚がある私は昔からずっとお世話になっている。A斗のおかげで無遅刻を十年ほど続けられている。やば私お世話になりすぎ!?

 続いてI子。I子は中学からの付き合いで、紆余曲折を経て意気投合、今では一番の親友だ。I子は私スキスキ女で何をするにも一緒♡という可愛い女の子である。

 最後にU次。U次は高一で同クラ隣席となり、すぐ仲良くなった。趣味が同じってのは強い。U次は私以上のぱやぱや男で、私が面倒を見ていると言っても過言では無い。(A斗がいれば即座に「過言だろ」と断言するだろうがここにA斗はいないのでセーフ)


 「へぇーー」と非常につまんなさそうな声が聞こえたが、面白いのはここからだ。

 この三人、それぞれがそれぞれに片想いしている。四人でつるんでいるはずなのに私だけハミゴなのは何故……と思わないでもないが、地獄のトライアングルがスクエアになったところで修羅場が加速するだけだし、私は同級生は恋愛対象外である。おっと私の話はどうでもよかった、つい自語りしてしまうのは悪癖だ。

 そしてここが一番重要なところなのだが、このトライアングル、一方通行である。一方通行である。大事なので二回言った。分かりやすく図解しよう。先程の用紙に書いた、名前の隙間に矢印を付け加えた。

「地獄のトライアングル、っと」

 顔文字もつけちゃえ、とペンを置き、従兄に用紙を見せる。



【アンケート用紙の裏・追記】

地獄のトライアングル( ゚д゚ )

✹A斗♂ → I子♀

   ↖   ↙

    U次♂



「ふぅん」

 分かりにくいがこれは少し関心を引けたようだ。ヨシヨシと口角を上げていると従兄がペンを手に取り『こっち見んな』と書き込んだ。兄ちゃん古のネットに通じてるのか……!


「泥沼だな。俺なら縁切ってるわ。関わり合いになりたくねぇ」

「私は兄ちゃんみたいにスーパードゥラァイじゃないの! あと別に泥沼にはなってないし」

「は? どう考えても泥沼だろ。どうせオマエが気づいてないだけだろ」

「いやまじなんだって」


 というのも三人とも自分の気持ちを隠して生きるのがかなり上手い。一番近い距離で見ていた私が最近ようやく気づいたくらいで、一見全く分からない。なんなら私が一番愛され位置にいる気はする。みんな何かと私を構うし、休憩時間は大抵私の周りに集まっていることが多い。だがそれはカモフラであり、実のところは――、というわけである。上手く私を使いおって……! むかっとなる気持ちがゼロとは言えないが、それ以上に私は彼らのことが大好きなので、矢印だけ見るとどこも絶望的だがどうにかどれかひとつでも成立してくれたらと心から思うくらいには彼らのことが本当に大好きなのだ。大事なことは二回略。


「まぁいろいろとね、確固たる現場を見てしまったワケで。この地獄の一方通行って事実は揺るがないのよ」


「――誰が誰に懸想してるって?」


 はて。今ここにはいないはずの声が聞こえたぞ。栄、A斗の声に似ていた。

「いーちゃん? 私その事実知らないわ」

「飯尾、現場って、なんのこと?」


 おっ?おっおっおっ(^ω^)

 さらに二人、非常に聞き覚えのある声が。すぐ隣から聞こえてきた。

 ギギギ、と5-56を必要とした機械の動きで横を向くと、そこには、お察しの通り、A斗、I子、U次の三人がいた。もはや伏字も意味をなさないな。本名はそれぞれ栄斗、亜衣子、侑次だ。安直で悪かったな。ちなみに発言した順もそれである。

 あといーちゃんと飯尾とは私のことである。あいうえおカルテットと呼ぶやつはセンスないが意外と気に入ってたりするのは秘密だ。(補足:飯尾=EO)

 って自語りしてる場合ではない。


「なっなんで」

「亜衣子に『いーちゃんが知らん男といる!誰よあの男!!』って呼び出された」

「栄斗に同じく」

「な、なるほど……?」


 いやなるほどじゃねー。どゆこと? あと栄斗の裏声キモッ。


「いーちゃんッッ! 誰なのこの男! 散々私の可愛い可愛いいーちゃんを蔑み罵り叩いて! 何度私が飛び出しそうになったことか!!」

 「お前のじゃねーけどな」「亜衣子のものじゃないでしょ」と同時に両隣の男からツッコミが入るがそこでは無い。いつからいたんだ君たち。


「兄ちゃんって呼んでたけど何!? いーちゃんお兄さんいなかったわよね? 兄活!? PならぬBなの!? は!?!?!?」

「ちょっちょっと亜衣ちゃん落ち着いて……。店内だから、声落として、深呼吸して、」


 要らないと思って言わなかったのだが亜衣子はたまに視野が狭くなり暴走してしまう癖がある。そういう時はぎゅっと抱き締めて背中を摩ってやると落ち着くのだ、これは経験から得た知見。

 隣に座らせよすよすしていると徐々に亜衣子の様子も落ち着き、静かに私を抱きしめている。亜衣子が大人しくなったところで、ずっと立ったままの二人を従兄側のソファに座らせ、一旦話をする体制に入る。この隙に従兄の紹介をしておいた。亜衣子からの殺意が凄まじかったので多少脚色した説明になったが。

 余談だが男二人に従兄側に座るよう促した瞬間、従兄は嫌そうに眉間に皺を寄せ荷物を壁にするように間に置き自身はめいっぱい端っこに寄っていた。感じ悪っっっ。


「三人がここに来たわけはわかんないけど、とりあえず、うんわかった(ことにしとく)」

「さっきの訳分からん勘違いについての弁明はあるか」

 ……断罪の時間がやってきたようである。もしかして処刑台に立たされてる? そう思ったら亜衣子からの抱擁も拘束に思えてきた。亜衣子は今正面向いた私を横から抱き締めている。

 ちなみに従兄はもう興味が失せたらしく、好きにしてくれのポーズでスマホを触り始めた。


「でも、私放課後の教室で栄斗が亜衣ちゃんに迫って拒否られてるの見たし、拒否ったからには他に好きな人いると思って、そしたらもう身近な人間は侑次しかいないから亜衣ちゃんは侑次が好きだと思って。で、侑次は、普段から私と同じ、いやそれ以上に栄斗に面倒見てもらってるじゃん? 惚れてもおかしくないなって」


「証拠ゆっる! それのどこが『確固たる』だよ! ちゃらんぽらんの突飛発想もいい加減にしろ!!」

「ヒンッ 怒鳴るなッ。栄斗の怒鳴り声怖いんだよ!」

「う、悪い。それに亜衣子に迫った覚えもないぞ、お前は一体何を見たんだ……」

「私も心当たり無いわ。もしそんなことあったら迷わず金的してるもの」

「ヤメロ。絶対ヤメロ」

「あら? フリかしら」


「……やっぱ仲良いじゃん。この際まじで付き合っちゃえば?」


「ハァ゛?」

「……」

「いいねソレ」

「ヒンッ」


 軽い気持ちで思いついた提案を口にした瞬間、栄斗からの地を這うような低音と真横の亜衣子からのブリザード。ちなみに賛成の声を上げたのは侑次だ。

「そしたら俺はライバルが消えてくれるし最高〜。二人とも付き合っちゃいなよ」

 と続けたが侑次のハートは鋼で出来てんのか。二人のこのプレッシャーをものともしないなんて……。エッ私が四天王の中で最弱ってだけ?

「ん? 侑次、ライバルってことはやっぱ好きな人いるんじゃん! しかも競ってるんじゃん??」

 やっぱ私なんも間違ってないじゃん! とご機嫌になったのもつかの間。

「うん、飯尾が好きだよ」

「ホァ」


 ?????

 I beg your pardon?


「あちょっと先に言わないでよ」

 とブリザードを仕舞った亜衣子が私に向き直り、今度は花を背後に舞わせながら「私いーちゃんが好きよ。Loveの方で」と。

「ホヘ」


「俺もだ」

「!?」

「俺もお前が好き」

「え、栄斗サン……?」


 お、乙女ゲルートが開通しました……? は????

 突然の、青天の霹靂、藪から棒、空から槍……。何を言ってるんだ、私にも分からない。


「に、兄ちゃん、わ、私は友人同士が地獄の片想い一方通行をしていると思ったら、その友人たち全員から愛の告白をされていた……。何を言っているか分からないと思うが私にも分からない…………」


 我関せずオーラを放っている従兄が最後の頼みの綱だと助けを求めて(?)みるが結果は芳しくなく、「良かったじゃん、モテモテで」と返された。

 いやそうじゃ、違う、そうじゃない。




信用ならない語り手と聞いて浮かんだ「AはBのことが好きだけどBはCのことが好きでCはAのことが好きって主人公は認識してるけど本当はAもBもCも主人公のことが好き」ってのを書きたかったです\(^^)/力尽きました



蛇足:

てか兄ちゃん乱入にそこまで驚いてなかったけど

ああ気づいてたからな

は?

外からチラチラ見てる三人衆の視線がウザくて。でふと気づいたらそいつらが店内の近くのテーブルにいたし聞き耳立ててるぽいし、なんかお前の話す三人に似てるし当事者かなって。面白いことになるかと思ったけどそうでも無かったわ

悪魔か?






「私の神さま」



 私にとってまだ過去になっていないのだが、過去の話をしよう。これは私がまだ中学生の時の話。本当に言葉の通りコドモで、私の世界は狭かった。

 私の世界は家と学校と、そして私の神さまで構成されていた。私の神さまは同級生の男の子だった。ちょっとヤンチャで喧嘩しては怪我をよくこさえているような男の子だった。でも彼の言うことは筋が通っていて、しかも堂々としたものだから本当に眩しく映った。

 一度、不良に絡まれたことがあった。カツアゲだった。私よりずっと背が高くて、荒らげた声でお金を要求されたら、中学生のなけなしのお金であっても早く解放されたくてお金を差し出してしまう。きっともう泣いていた。手が震えてなかなか財布を開けられなくて、モタモタして余計不良の怒りを買って、それでまた震えて指が動かない悪循環。

 瞬間、視界から不良が消えた。代わりに私と同じくらいの少年が立っていた。少年が不良を飛び蹴りして倒したのだと気づいたのはその後だった。現れ方も突飛で、飛んで現れた少年の背中には羽が見えた。――これが少年が私の神さまになった瞬間だった。

 突然のことに怯んだ不良を少年はさらにボコボコにした後、私に向き直り「あんなやつに金渡そうとすんじゃねぇ!」とデカい声で言い放った。大きな声を浴び、その拍子で止まっていた涙がまたぼろりとこぼれた。それを見た瞬間少年は女子を泣かせてしまったとアタフタし始め、それが、先程の振る舞いのどれとも噛み合わなくて、おかしくて笑いがこぼれた。

 助けてくれた少年はまた絡まれないようにと、あと泣いてた女子はほっとけないと私を家まで送ってくれた。

 少年は同じ中学だったようで、学校で再会した時にはまた涙が溢れてしまった。おかげでよく泣く女子として認識されてしまった。泣いてばかりだとウザがられるだろうかと思ったのだが、彼にウザがっているような様子はなく、むしろ受け入れている様子で、「泣いてばかりで心配だから、泣く時は俺のそばで泣いて」とまで言った。

 少年はいつだって優しく私を包み、ゆるし、受け入れた。時に厳しいことを言われることもあったが、全部正しかった。神さまだった。

 いつからか学校の空き時間は彼と過ごす時間になり、休日も一緒にいることが多くなった。必然的に不良と会うことも増えたが、隣にはいつも彼がいたので怖くはなかった。神さまがいる、守ってくれる。私に安心をくれる神さまがだいすきだった。

 しかしそんな時間も長くは続かない。私の転校が決まった。転勤族って訳でもないのに、父に異動の命が下ったらしい。つらくてつらくて、どうにかして抗いたくて、でもまだ14歳そこらの私は親の庇護下から飛び出して一人で生きていく覚悟も想像も出来なかった。でもこの時すでに自分の世界の中心になっていた神さまから離れて生きることも想像が出来ないのも確かだった。

 私は親について地方へ旅立った。別れが悲しくて、別れを告げることすら出来なくて、彼には何も言えなかった。クラスが同じわけじゃなかったのできっと彼はなにも知らなかった。突然姿を消して申し訳ない気持ちがなかったわけじゃないけど、別れを告げるってことは「神さまが居なくても生きていける」という意思表示な気がして、到底できなかった。嘘でも言えなかった。

 残りの中学生活も、家からほど近い進学高に進学したあとも、神さまのことは忘れなかった。少ないながらも友達ができても神さまのことは忘れられなかった。友達には出身地に好きな人がいると勘違いされたが、彼を好きなことに間違いはないのであえて訂正もしなかった。

 大学進学を機に、私は出身地に帰ることにした。一人暮らしをする自信はあまりなかったけど、家事の手伝いはしていたのできっと大丈夫、と言い聞かせ、なにより、彼と会えるかもしれないというまばゆい希望が私を奮い立たせていた。親を説得し、無事大学も決まり、引越した。

 久しぶりの地元だ。あれから一度も帰ったことは無かった。畑だったところは民家に代わり、個人経営の飲食店は全国チェーンのファストフード店に代わり賑わいを見せていた。それでも通っていた中学は変わらず建っていたし、私が着ていたものと同じ制服を着たかわいい中学生たちがいた。

 ふと、随分成長してしまったなと俯瞰した。成長したと言っても身体だけだ。きっと中身はあの頃と変わらない泣き虫のままだ。それでも私は彼の言いつけを守って、一度も泣かなかった。隣に彼がいないから。つらいことがあっても泣かなかった。彼に会えなくて辛くて、私がこうして彼に思いを寄せている間彼は何をしているんだろう私なんて忘れて学生生活を満喫しているのだろうかと想像しては胸が張り裂けそうで、でも何も言わなかった私が悪い、と自己嫌悪に陥った。

 でもこうして地元に戻ってきたからには、どうしても彼に会いたかった。彼が私を忘れていようと構わなかった。一目でもいいから、神さまをもう一度目にしたい。

 神さま探しは難航した。それもそうだ、あれから四年以上が経っている。身長も伸びているだろうし、髪を染めていたり髪型を変えていたら一見気づかないかもしれない。見た瞬間気づくと信じたいがこうも見つからないと見逃している可能性を考えてしまう。そもそもこの町にいないかもしれなかった。私のように進学とともに親元を離れているかもしれない。手がかりもない。私は大学の空き時間にずっと町を歩き回り地道に探し回った。諦めきれなかった。

 そして二年目の夏を迎えたある日、裏路地を歩いていると角から突然現れた影に勢いよくぶつかった。影はガッシリとしていてひょろひょろの私は簡単に弾き飛ばされて地面に尻もちを着いた。一体何にぶつかったのだ、と顔を上げると、――路地の隙間から光が差し、ホコリがキラキラと光って、金に綺麗に染められた髪の毛がキラキラと光って、わたしの神さまを彩っていた。

「お、まえ……」

 絞り出したような声だった。ばっちり目が合って、目が逸らせなくて、瞬きで彼の姿を遮ってしまうことすら惜しくて、目を開け続けていたら涙がこぼれた。

 彼はしばし呆然としていたが、次第にゆるりと頬をゆるめ「泣き虫は相変わらずなんだな」と少しカサついた親指で涙を拭った。

 会えた。会えた会えた。数年分の涙が溢れた。視界がぶれて彼の姿の認識が甘くなる。それが嫌で必死に泣きやもうとしたけど、全然止まらなくて、加えて彼が存分に泣けと言わんばかりに優しく背中を摩るからより一層あふれ出た。彼も相変わらず私に安心を与えてくれた。彼は品の良いスーツを着ていて、お互いに大人になったんだとまた少し涙が増えた。

 どのくらい経ったか、落ち着きを見せた私に彼は「少し待ってろ」と私を置いて歩き出した。置いていかれて不安になったが彼が待ってろと言ったから待つ。程なくして彼は濡れたタオルとペットボトルの水を持って帰ってきた。軽く頬を拭かれ、ペットボトルを渡された。飲めということだろう。キャップは空いており、大人しく飲んだ。

「今、何してるの」

 彼が問いかけた。「ここから二駅の××大学に通ってるの」「名門じゃん」「ちょっと頑張ったの」「一人暮らし、してるのか?」「うん、大学のすぐ近くのマンション」とぽつりぽつりと短い会話を繰り返した。彼の問いに私が答える。いつの間にか私たちは路地の壁を背にして腕がぴったり触れ合う程の近さで座っていた。彼は今も私の神さまだった。彼のとなりは、すごくあんしんする。だんだん、まぶたが重くなり、私はいつの間にか彼の肩に頭を預けて寝入ってしまった。

「見つけちゃったら、もう……。なんで、帰ってきちゃったの」

 そう言ったのは誰の言葉だったのか。


 目を覚ましたそこは一面コンクリートの壁で温度を感じない部屋だった。部屋に置いてあるものも最低限で、ドアがひとつあるだけ。よくわからないままドアに手をかけ、部屋を出た。

 先程の部屋とは打って変わって豪奢な部屋だった。「おはよう」と昔と変わらない顔つきで彼が挨拶した。疑問は尽きなかったが、私が何も言わないと無視をしたようで、同じようにおはようと返した。

 隣おいでと彼が座っている座り心地の良さそうなソファをポンポンと叩いた。大人しく彼の横に収まる。ニコ、と微笑みいい子と言わんばかりに撫でられる。神さまは昔から優しかったが今のように接触は多くなかった。少し不思議に思いながらも、静寂に負けて何も言えずじっとしていた。心地の良い静寂であった。

やがて彼が先に口を開いた。

「ねぇ、なんで黙ってどこか行っちゃったの?」

 なんと言ったらいいか分からず、上手く言語化もできず、あ、とかの喃語みたいなのしか口から出ない。

「……なんで、今更、俺の前に現れたの」

 彼は俯いて、少し、なんだろう、苦しそうで、まるでなにかを悔いているような、そんな声で尋ねた。それに答える答えも私は持ち合わせてなくて、また口を噤むしかなくて。それでも彼は気にしていないのか続けた。

「俺、決めてたんだよね。きっと次に会った時は、会えちゃった時は絶対手を離さないって」

 ねぇ、俺を拒む? と彼は眉を下げまた微笑んだ。下手な笑顔だった。そして、私の腹に硬い物が当てられていることに気づいた。

「答えて」

 視線だけ動かしてそっとそれを確認した。銃だった。どうして日本でとかどうして彼がとか困惑に陥りかけたが、彼の顔を見てそんなことはどうでも良くなった。

 神さまが、私の神さまが辛そうな顔で微笑んでいる。

「なにを、したら貴方はまた笑ってくれるの。なんでもする。貴方が欲しいもの全部あげる。……私に、何ができる?」

 掠れた声だったけれど静かに、彼から目を離さずに心からの言葉を。迷いなどなかった。彼は昔も今も変わらず私の世界のすべてだった。

 彼は少し目を見開いて、そしてほっとしたような顔をして、私がそう答えるとわかっていたような顔だった。やっぱり君はそう言っちゃうんだよねと。

 そして彼はそっと身を寄せ、慈しむように、まるでいっとうだいじな宝物に触れるような、心いっぱいの手つきで私を抱き締めた後、「ごめんね」と呟いて引き金を引いた。

「もう遅かったんだ、さいごに会えて良かった。身体だけでも良かったけど、君の心も俺の手の中だ」

 そしてもう一発。私にさっきのような衝撃はなかった。重い何かが倒れる音がして、その後部屋に慌ただしく複数人が入ってきた。私はもう目を開けていられなくて、でもまだ耳だけは働いていて、でもそれも時間の問題だと察していた。

 色んな人が近くで騒いでいて、口々に騒ぐもんだから聞き取ることも、できなくて、でも、確かに「かしら」ということばがきこえたきがした。

 さいごに、ふりしぼった力で ほんのすこし目をあけた。キラキラと光る あかいじめんのまん中で 神さまが目をとじて 光っていた。さいごまで 神さまは 神さまだった。まんぞくして 目をとじた。でもかれは、めをあけて わらっているすがたが いっとう うつくしくかがやいていたなぁと、いのちのおとがきえるなかで しあわせなきおくを おもいかえした。

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