ファンは知識や情報を語らない
1人の音楽ファンとして、音楽に関わることを文章にする上で、
・観ればわかること
・聴けばわかること
・調べればわかること
をわざわざ言葉にする必要はないなと改めて思ったというお話なんですけど。
04 Limited Sazabysが明日9月4日にリリースするニューシングル「SEED」の形態が“缶”であることが発表された。
本作がCDではない特殊形態になることは以前よりアナウンスされていたが、本日より全国地上波で放送のテレビスポットにてその形態が缶であることが明らかに。 缶はプルトップ式で、中に音楽や映像を楽しめるダウンロードカードなどが封入されている。また缶にはダウンロードカードと同じコンテンツを収めたCDとDVDが特典として付属する。
04 Limited Sazabys、明日発売ニューシングルは“缶” - 音楽ナタリー
(https://natalie.mu/music/news/346140)より
露骨な例えを出すと、自分の作る記事には改まってこんな文言は載せることはしない。
他を調べればいくらでも出てくるし、自分が改めてやる必要がないから。
ニュースサイトでもなければ、"ここに色んな情報が載ってます"的なメディアを作りたいという気持ちはハッキリ言ってないのだ。
もうちょっとありそうな例えを出すと、好きなアーティストの新譜の感想・レビュー記事を作る時に「この曲はこういう構成でこういう内容が歌われています」的なことを書くことがある。
普通にありそうな事例だし自分も意識せず書いてることもあると思う。
けど、これも言ってしまえば「聴けばわかる」ことだ。
「この曲はこういう想いや背景があって〜」という話は本人に聞かないとわからないけども。
感想でも批評でもなく説明になるのであればそこにスペースを割く必要はない。文章だって本来少ない文字数で密度が濃くて伝わりやすい方が良いはずだ。
じゃあ、自分のように作り手と聴き手の間に入って何かをやろうという人は一体何を伝えられたら良いのだろう。
イチから説明やガイドがないと楽しめないものは、なるべく作りたくない。音楽だってアートだって表現だって本来そういうものだと思っている。
だけど、自分も含めて人は元々知らないものにはなかなか関心を持たない。そして知らないことを恐れて事前の準備をしっかりする。
旅行に行くときも、観光ガイドやインスタグラムに載ってるオススメスポットを調べて、そこについて知ってる状態で行く。
同じように、ライブに行く時も曲を予め予習して、何なら盛り上がり方が決まってるのを覚えて、みんなで同じ格好をして臨むのだ。
最初から解答解説を見て問題を解くような、ネタバレを聞いてから映画を観るようなことが色んな所で起こっている。そうした楽しみ方が当たり前になっているから特に抗うつもりは無いのだけど。
それでも、知識や情報を持ち過ぎると、やっぱり物事の上っ面だけをなぞるような楽しみ方になってしまう気がしてならない。
ただ観ただけ、ただ聴いただけ、もちろん調べただけでは出てこない感想や解釈が、はたまたそんな事を考える間もなく熱量高く語ってしまう言葉の方が、よっぽどリアリティが詰まっていると思う。
そんな声を集めて、届けて、それが伝播して更なる声を呼ぶ。
いま自分が音楽ファンとしてやりたいのはそういった場所作りだったりする。