「選択的夫婦別姓」に絶対反対の人は何が心配なの?アラサー男の疑問
2021年3月19日、岡山県議会が「選択的夫婦別姓の導入に反対する国への意見書案」を賛成多数で可決したという。新聞各社の報道を読む限り、野党が全て反対に回ったが、与党の自民党議員の数の力に押し切られた格好だ。
一方、国会の自民党では、賛成派による議員連盟が発足する見込みである。
最初に明言すると、アラサー男性の筆者は「選択的夫婦別姓制度」に賛成である。この制度が「選択的」を前提としており、同姓を希望するカップル・家族に何ら不利益を与えるものではなく、シンプルに婚姻方法の選択肢を増やすだけだと考えるからだ。
賛成派にも、必要以上にジェンダー論と絡めたがる一派がいる。もちろん、イエ制度と性別の役割は密接に関係がある。また、結婚する男女のうち、96%が男性側の姓に変更する現状も看過できない。この圧倒的な偏りをもって、これまでに結婚した女性全員が男性側の姓を名乗りたくて本名を変更したと考えるのは不自然だ。だが、男女どちらの姓を選択してもよい制度が半世紀以上も運用されている以上、「なぜ日本国籍の女性の多くが男性側の姓に変えるのか」は、選択的夫婦別姓制度の導入のメリット・デメリットの議論からはいったん切り分けて考えたほうがいい。
まずは性別に関係なく、「子供が生まれた場合の姓の決め方」「家族の絆への影響の具合」「社会生活を営む大人に本名の変更を強要する不便さ」あたりにフォーカスすべきだろう。なお、「姓」「氏」「名字」は厳密には異なる語句だが、本稿は読みやすさを優先して「姓」に統一することをご容赦願う。
子供の姓をどうするの?
両親の姓が異なる場合、子供の姓はどうするのか。絶対反対派や疑問派から必ず挙がる質問である。これは、きょうだいの姓、父方・母方優先、姓の合成、創姓等、海外や過去の日本の事例を見ても様々な運用パターンがあり、「確実にこれがベスト」といった解答例が定まらない問いでもある。賛成派でも意見が分かれる質問だから、特に絶対反対派は急所とばかりに攻めてくる。
ひとつ確実に言えるのは、両親(あるいは保護者)と子供の姓が異なるからと言って、現代の家族の絆には何ら影響を及ぼさないということだ。家族の関係性なんて姓で決まるものではなく、姓が一緒でも悪化する家庭は悪化する。保護者(祖父母とか)と姓が異なっても、仲の良い家庭は仲がいい。
参議院に提出された断固反対の請願を読むと「とりあえず俺らは大して困ってねぇんだよ!」という感情論を小難しい言葉で語り、屁理屈をこねている。彼らの主張では「子供の心の健全な成長のことを考えたとき、夫婦・家族が一体感を持つ同一の姓であることがいいということは言うまでもない」そうだが、論理の飛躍としか言いようがない。子供と保護者が同じ姓の家庭は非行に走らないのか。別姓の国際結婚のカップルのご家庭は子供が健全に育たないのか。育児に主体的に関与しなかったおじさんの加齢臭がぷんぷんする詭弁だ。
下記の主張に至っては、もはや頭がくらくらしてくる。
「別姓を望む者は、家族や親族という共同体を尊重することよりも個人の嗜好(しこう)や都合を優先する思想を持っているので、この制度を導入することにより、このような個人主義的な思想を持つ者を社会や政府が公認したようなことになる」
そんなに全体主義の国家体制が好きなら北朝鮮や中国にでも引っ越したらいいのにね(まあ、この2国は夫婦別姓だけど)。
また、よく「親と姓が違うと子がいじめの対象になる」なんて指摘を見かけるが、いじめはいじめる奴が悪い問題である。論点のすり替えではなく、本当にそうなのだ。いじめの加害者は理由を選ばない。まさか、反対派は学生時代に姓が変わった同級生をいじめた経験でもあるのかな。
「子と親の姓は同じで当然」という価値観は、選択的夫婦別姓制度が浸透すれば容易に変わる価値観である。
家族の一体感が失われる?
反対派の主張で最も奇々怪々なのは「選択的夫婦別姓制度が導入されたら、家族の一体感が失われる」というものだ。この主張は、本当にどこから突っ込んでいいか分からない。現在までに日本で結婚して姓が変わった娘さんや息子さんとは、もう家族ではないという認識なのだろうか。逆に、姓を強制的にひとつにまとめている日本の家族は、どこも一体感が保たれ、いつも仲良くやっているご認識だろうか。まさか妻や夫が姓を変える手続きが面倒だから、首の皮一枚で離婚の危機を回避しているとでも言うのか。それ、根本的な問題解決になっていないのでは?
磯野家の長女のサザエさんは、本名はフグ田さんだけど、磯野カツオくんとも磯野ワカメちゃんとも仲良くやっている。そういう設定のテレビアニメが、お茶の間でごく自然に長く親しまれてきている。元総理大臣の佐藤栄作と岸信介が兄弟なのも有名だ。
姓が同じというだけが「家族の証」でないはずだ。戸籍に2つの姓を載せて何の不都合があるのか。今だって外国籍の方と日本国籍の方は別姓を選択できる。日本国籍者同士の離婚でも、現在の姓を名乗り続けるか、旧姓に戻すかを選べる。姓が家族の一体感の証なら、反対派は「離婚したら別家族なのだから必ず旧姓に戻せ」と主張しないと筋が通らない。姓が一緒でも違っても、同じ戸籍に載ってかつ構成員が家族と認識していたら家族だろう。
客観的に家族かどうか分からない?
そもそも客観的に家族関係を知らせる必要がある状況とは? 役所でも企業でも学校でも幼稚園・保育園でも病院でも、個人の続柄を「名字が一緒だから」なんて薄弱な根拠で判別して事務処理をする法人組織は今だってないだろう。仮にあったら、かなりヤバいと思う。
あなたの会社や学校に佐藤さん・鈴木さん・高橋さん・渡辺さん・田中さん(日本の上位5姓)は何人いらっしゃるだろうか。筆者が以前勤めた職場には「山田さん」が男女計4人もいた。でも、誰も彼らが夫婦や家族だなんて思わなかった。いくらでも同じ表記の姓がある日本で「姓が一緒だから家族だろう」という安易な推測は今現在だって成り立っていない。これは大企業やマンモス校に限らず、姓に偏りがある地域でも同様である。ちなみに、筆者の地元には工藤さんがいっぱいおり、工藤姓の識別性は弱かった。
もしかして世の中では私が知らないだけで、道端で会った人に家族であることの証明を求められる機会が多いのだろうか。たとえば、公園で幼い子供を姓が異なる祖父母やいとこ、ママ友が面倒を見ていたら「姓が違う人が子供と一緒にいる!」とか大騒ぎになっているのか。幼稚園なんて姓どころか「〇〇ちゃんのところのママ・パパ」と子供の名前で判別する場面のほうが多い気がする。
「姓が同じだから夫婦・家族だろう」という価値観は、選択的夫婦別姓が定着したら容易に変わる部分の話である。
夫婦同姓は日本の伝統だ!
これについては、今さら私が書くまでもない。伝統ではない。
優先度が低い!
1985年に女性差別撤廃条約を締結して国際社会に「女性に不利なっている制度は改善します」と約束しました。そして1993年からはもっと突っ込んで議論しているんですが、いつまで引っ張るんですかね。最高裁も2015年に国会で議論しろと言っていて、もう6年経ちましたよ。
東北大学大学院・水野紀子氏のウェブサイト(2001年6月17日)
http://www.law.tohoku.ac.jp/~parenoir/uji.html
「選択的」を見出しから削るマスコミ各社の愚行
マスコミ各社の記事で見出しを付ける、編成部だか整理部だかの記者連中に申し上げたい。記事を配信するときに見出しから「選択的」を削って「夫婦別姓、賛成派が意見書」みたいに整えるのをやめてほしい。配信を受けるYahoo!ニュースやライブドアニュースのタイトル担当の人たちもだ。これではまるで結婚しても必ず別姓になると誤解してしまう。
私は同姓を選びたいカップル・家族の選択を阻むつもりは毛頭ない。「姓が一緒のほうが家族っぽいよね」と感じる人の価値観も尊重されるべきである。ヨソはヨソ、ウチはウチだ。
日本一長い姓「勘解由小路」さんが途絶えかけた
もう15年くらい前だろうか。全国の珍しい姓を紹介するテレビ番組で、日本一長い姓として5文字の「勘解由小路(かでのこうじ)」さんを取り上げていた。平安京にあった通りの名に由来する歴史ある姓だが、本家のお子さん4人が全員女性で結婚時に夫の姓に変えたため、「勘解由小路」姓が、山口県に住む90歳近い当主の男性だけになってしまった。番組では娘さんの1人がなんとかこの姓を後世に残そうと、自らの子供2人をお父さんの養子に入れる形(?)で勘解由小路姓を名乗らせ、姓の断絶を回避したと表札を写しながら解説していた。
この時のお子さんたちが現在、どのような姓を名乗っているのかは分からない。しかし、選択的夫婦別姓制度が導入されていれば、娘さんが姓を維持したり、旧姓である勘解由小路に戻したりすることもできただろう。
強制的夫婦同姓で婚姻を繰り返していけば、当然、姓の種類は減る方向にしかならない(実際には外国籍の方の移住で全体の種類は増えているらしい)。絶対反対派の方々は、日本由来の姓の多様性を失わせることには賛成なのだろうか。
世論は「選択的夫婦別姓制度」に賛成している
最近の選択的夫婦別姓を巡る世論調査やアンケート調査を羅列する。保守派寄りの時事通信を含め、どこも賛成派が反対派を大幅に上回っている。自民党支持層ですら67%が賛成というではないか。反対派が話す「賛成派は個人主義者」の根拠はどこだろう。
少し古いが、2017年の内閣府の調査は明確に反対派の傾向が見て取れる。要は、おおむね60歳以上の方なのだ。
現在の法律では、婚姻によって、夫婦のどちらかが必ず名字(姓)を変えなければならないことになっているが、婚姻前から仕事をしていた人が、婚姻によって名字(姓)を変えると、仕事の上で何らかの不便を生ずることがあると思うか聞いたところ、「何らかの不便を生ずることがあると思う」と答えた者の割合が46.7%、「何らの不便も生じないと思う」と答えた者の割合が50.7%となっている。
(中略)
年齢別に見ると、「何らかの不便を生ずることがあると思う」と答えた者の割合は18~29歳から50歳代で、「何らの不便も生じないと思う」と答えた者の割合は60歳代、70歳以上で、それぞれ高くなっている。
性・年齢別に見ると、「何らかの不便を生ずることがあると思う」と答えた者の割合は男性の18~29歳から40歳代、女性の30歳代から50歳代で、「何らの不便も生じないと思う」と答えた者の割合は男性の60歳代、70歳以上、女性の70歳以上で、それぞれ高くなっている。
これからも夫婦同姓を選べる
相変わらず何を言いたいのかよく分からない記事になってしまった。
筆者が「選択的夫婦別姓制度」を巡る問題を調べるようになったのは、筆者の本名の姓が非常に珍しい姓であり、以前お付き合いしていた女性もまた神職由来の珍しい姓だった経験からだ。どちらもご先祖様から永く受け継いできた姓であり、私も彼女も愛着を持っていた。残念ながら彼女とは私の未熟さが原因で別れるに至ったが、今後また結婚を考える方と巡り会った時に、どちらの姓を選ぶかは重要な問題だと実感した。
とにかく言いたいのは、選択的夫婦別姓(同姓)制度は、同姓を希望する方々に何も不利益をもたらさないし、具体的な害を与える制度でもない。絶対反対派の方がおっしゃる「家族の一体感」に姓の同・不同は関係しない。姓が異なる夫婦の存在は、日本の伝統を壊したり同姓の方の生活を脅かしたりするものでもない。
追記 : 反対派から賛成派に転じた自民党・田村琢実 埼玉県議のインタビューを載せる。約400人いる自民党議員のうち、絶対反対派は50人だそうだ。
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