Life Story 17:母と同じだ。心の痛みが分からない
自分のダークサイドを知ったと同時に、母のことも初めて理解できた。
母は強く人生を生きてきた。自分の中の弱さを否定し、ネガティブな感情を感じないようにして生きてきた。そうしなければ辛くて、強く生きていけなかったんだろう。
そうして母は「人の弱さや、心の痛みが分からない人間」になった。
私も母と同じだ
・・・私ははっとした。
今まで、弱さを克服しようとする、そんな自分の生き方を疑ったことはなかった。
「ネガティブな気持ちを排除して、ポジティブな未来だけを考えて、自分の弱さを克服して自立して生きる。」
この生き方に非の打ちどころなんてないはずだろう?
誰もが理想とする正しい生き方だと思っていた。みんな感情に振り回されず、自分みたいに生きればいいのに、とそう思っていた。
でもそれは自分自身を虐待する生き方でもあった。
自分の中にいる「幼いころの自分自身」はずっと助けを求めていた。
そんな弱い自分自身を叱りつけ、出てくることを拒んだ。強くなれと言い聞かせ、自分自身の心を虐待してきた。
その望み通り強くなり、感情を凍らせ、心に壁を作り、機械のように自分自身を行動させてきた。
そのせいで私は母のように「心の痛みが分からない人間」になってしまった。心の弱さや痛みを見ても、ネガティブな感情は反射的に跳ね除けてしまい受け止めない。自分自身についても、他人に対しても同様だ。
グループカウンセリングの他の参加者に対しては、依存的な彼らと自立した自分を比較して優位に立ち、見下した気持ちを持っていた。上から目線でアドバイスすることもあった。
急に、そんな自分が恥ずかしくなった。
彼らは感じる心を持っているし、他人の痛みも分かる。
自分なんかよりよっぽど優れた部分があるじゃないか。
仕事においても、部下が仕事で悩んで、心の苦しみを打ち明けてくれたことがあった。私はポジティブに考えて頑張るように励ました。
でも、それで良かったのか?
家族に対してはどうか?
私は家族にとって、良き旦那であり、良き父親だと思っていた。忙しくても、幼稚園や小学校のイベントは欠かさず参加した。妻にはいつも感謝を伝えていた。
家族は幸せで何の問題もないと思っていた。
でも本当だろうか?
後悔の念が湧いてきた。
妻や子供と一緒にいても、仕事のこと、未来のことばかり考えていた。
今この瞬間を感じようとしてなかった。
家族との時間をもっと充実させることができたはずなのに・・・。
いろいろな人間関係について振り返るとはっとする思いだった。
母に対して嫌だと思っていたことを、自分自身がやってきたことに気づいた。