「どこ」って大事
先日、一週間以上体調を崩してしまった。久しぶりの40℃。ここまで熱出ると一人暮らしあるあるの体調崩している時に寂しくなる独特なあの感情出てこないんだ、ただただしんどかった(笑)皆さんも気をつけて下さい。。。
そしてカフェゼミの日にその熱が被ってしまい参加出来なかった。なので今回は大橋さんのマガジンを読んで思ったことを書こうと思う。
http://www.bionet.jp/2017/10/01/families-prologue-in-families-on-the-move/
移動する家族、僕には馴染みの薄い言葉だ。地元である岡山にいた時は、転校生なんてほとんどいなかったし、それはマンガやドラマの中だけのものだと思っていた時もあった。(単に住んでいたところが岡山の中でも田舎だったというのもある)僕自身も両親が学校の教師だったため転勤したとしても県内のため一度も引っ越しというのを経験しなかった。
だが上京してみてると生まれた時から転勤族という人。海外にずっと住んでいた帰国子女。こんな人たちに沢山会い、それは全然珍しくないということを知った。そんな人たちに対して、寂しくないのかなというのが素直な気持ちだった。もちろん寂しいという人、全然そんなことないという人、どちらもいた。僕だったら絶対寂しい(笑)上京したばかりの時は地元の友達に電話かけまくっていたっけなー。
大橋さんのマガジンの中で紹介されていた人物はネパールから日本に来たビサールさんの物語だ。簡単に要約すると、若いころ日本に来てから、ネパール料理屋を開いた。ネパールに帰省中奥さんと結ばれ、奥さんもまた日本に来た。娘もできてこのまま日本でネパール料理屋を続けながら暮らしていくのかと思っていた。「理想の暮らし」を実現しているように見えたからだ。ところが、アメリカのシカゴへ移住してしまうという話しだった。なぜ移住したのか。それはビサールさんが奥さんと娘のことを1番に考えたからだ。奥さんの英語教師になるという夢を叶えさせてあげるためにアメリカの大学院に行かせてあげること。また、娘がアメリカの小学校で英語を使って学ぶことで、将来の選択の幅を広げられると考えたようだ。
ビサールさんは日本好きだなって思って日本に来た。そして家族のためにアメリカに行った。躊躇なくどんどん外国に行く。いいと思うところに飛び込む。でもマガジンを読んだらわかるのだけれどもビサールさんもただ飛び込むだけでない。色々考えてる。案外用意周到なのだ。でもそもそも彼にとって外国で暮らすこと自体苦ではないんだろう。しかもそうしたいからそうしているんだろうな。僕だったら嫌だって思ってしまう。母国がいいなーって。だって日本好きだもん。育った環境が違うからなんとも言えないけど。でも自分の行きたい場所に躊躇なく飛び込むことは見習わなくては。
インターンシップの情報も解禁されて、大学卒業後のことも徐々に考え始めてきた今日この頃。どんな仕事をしたいの?何をしたいの?考える日々。マガジンを読んで思った。生きていく中での選択肢ってホントに色々ある。どこで住む?誰と暮らす?何をして暮らす??どうやって暮らす?何通りもあると思う。その何通りの中をあと一年で探すのは無理だと思う。
でも今の自分にとってどこっていうのはとても大事なんじゃないかって。すごいヒントだった。ピーンと来た。将来「どこ」で「何」をするか。
僕はこれまで2つの場所に住んできた。高校生までいた岡山、大学生からいる東京。大学卒業後、僕はどこに住むのだろう。いや、どこに住みたいのだろう。実は僕の中で答えはもう決まっていたりして。
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