怒りの霧が晴れた瞬間
生きていると、大なり小なり、許せること、許せないことに遭遇する。若いときは許せないことばかりで、時にはその怒りからくるモヤモヤで朝まで寝られないこともあったが、時を経て、今は許せることの割合が大きくなってきた。のはずなのに、心の隅に、何かがずっとくすぶっていたことがあった。
「刺せるものなら刺してみろ!」
セミの鳴き声が鳴り響いていた、朝の出来事だった。家の中で物騒な怒号が飛び交っている。
父とおじいが、また喧嘩している。頭に血が上ったおじいが小さなナイフを我が息子、父に向けて、ものすごい剣幕で怒鳴っている。
中学生の兄が止めに入る。妹は半泣き。私はというと、もうやめなよ、と冷静を装っていたが、毎度毎度のこの親子喧嘩に本当に嫌気がさしていた。
父は、いつも私とおじいに向かって「お前たちはガージュウ(意地っ張り)だ」と私とおじいを一括りに怒鳴っていた。だから私は父が嫌いだった。おじいもいつも怒鳴られる私を不憫に思っていただろう、いつのまにか妙な連帯感でお互いを励ましあっていた。
子供ながら、父のおじいに対する態度は目に余るものがあり、孫の私が年寄りを守らないと、という正義感にいつも駆られていた。
中学生になると、私もご多分に漏れず、おしゃれに興味を持ちはじめた。友人の家で色付きのリップを付けてみた。初めてのことで、うれしかった。
家に帰ると、父が開口一番「このずべ公が!」と私を見て怒鳴った。何十年も前の事だが、あの光景はいまでも鮮明に思い出せる。楽しかった時間がまさに、逆転した瞬間だった。
もともとは、おじいをいじめる父が嫌いだったが、もうおじい云々ではなく、思春期的な要素も相まって、父への嫌悪感は日に日に増していった。
高校を卒業したら絶対に父から離れる。沖縄を出る。心に決めた。
初めての一人暮らし、ホームシックは皆無だった。晴れて父の干渉から逃れたという嬉しさで、実家を想うことは一ミリもなかった。
あれから数年後、私も結婚し、子を授かることができた。私がいた時からはずいぶん時も経っているし、父との関りもまあ何とかなるだろう、と思い、実家に戻って里帰り出産することにした。
結果、何ともならなかった。
相変わらず高圧的な父の態度、もうすぐ出産予定日なのに「帰れ」と怒鳴られ、私も売り言葉に買い言葉で「じゃあかえるよ」と言い放った。だが、お腹の子が止めたのか、お腹が張ってそれどころではなくなってしまった。実家になんか帰るんじゃなかった。泣きながら、心底そう思った。
威圧的な父だったが、孫ができると、こうも人格が変わるのか、と母がとてもびっくりしていた。今まで、知らない子が泣くと「うるさい」と怒鳴っていた父が、今や孫と同じくらいの子が泣こうものなら、「大丈夫?」と優しく心配するそう。どうやら、孫と重なるそうだ。孫様様である。あんな傲慢な父だったが、角が取れずいぶんと丸くなってきた。
あるママ向けのセミナーに参加したときの事だった。そのセミナーの最後のワークで「あなたは明日人生が終わります。最後に、誰と話がしたいですか?目の前の人をその思った相手だと思って、最後の会話を交わしてください。」
不思議なことに、私がふと思った人は、父だった。大嫌いな父だった。なぜだかよくわからなかった。
セミナー終了後、講師の方を囲んでのランチ会に参加した。そのワークの話になり、最後に話したい人は誰だった?と聞かれ、なぜが大嫌いな父だったんです、と話した。
「お父さんの事、許してあげたら。心に引っかかっているんでしょ」
と講師の方が私に向かって言った。
なぜ許さないといけないの?
「お父さんも、その頃(私の小中時代)仕事で忙しかったとか、ストレスがたまるようななにかあったのかもしれないよ。お父さんにはお父さんの理由があったんじゃないかな。いま、親になったからわかることもあるでしょ」
父を許す?
なぜか、涙が出てきた。止まらない。父を許すことができない。
講師の方が言うことは分かってはいるけど、だからといって許そうという気分にはなれなかった。
しばらくして、母が亡くなった。
久しぶりに父と、兄、妹、私と家族がそろった。母のこれからの葬儀のことなどなど話をしていた時、急に父がこう言った。
「いままで、お母さんに子育ては全部任せていたサー。なんにもできなくてごめんね。あと、いつも強い言い方をしてごめんね、仕事の癖でつい、あんたたちにも同じようにしていたさ、悪かったね」
父は沖縄少年院の刑務官だった。少年たちになめられないように、常に気を張らないといけない仕事。緊張感と隣り合せだ。
子供の時は「父」という枠の中でしか見えないのだが、自分も「母」になり、母らしくできないことのほうが多い。仕事の感情を持ち込むことだってある。
父は無器用な人なのだ。
私は四六時中怒鳴られていた訳ではない。誕生日にはケーキを買ってお祝いをしたり、海に連れて行ったり、旅行にもたくさん連れて行ってもらった。大学だって出してもらえた。
怒鳴られてばっかりいたけれども、私は十分に愛されて育ったのだ。
そこに気付いた時、ふと「父を許す」というよりは、その許さないという怒りの感情の、モヤモヤとした何かが、すうっと晴れた、すっきりした、という気持ちになった。
孫が生まれ、孫が父の心をほぐし、ひいては私の心もほぐしてくれたのかもしれない。孫パワーは計り知れない。帰れるものなら沖縄に帰りたい。子供たちが自立したら主人もつれて、私の実家に住もう。
今はそう企んでいる。
《おわり》