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小さき者

小さい頃のご馳走を思い出した
“チキンライスのチーズのせ”だ。

きょうだいが、アレルギーだった、卵と小麦粉がダメって結構限られる、何を食べていたのか不思議なくらい。

例えば
ハンバーグ、唐揚げやフライ、麺類、パン、卵焼き
こう言う物が食卓に上がらない。

今はアレルギー対応食品の品揃えも多いし、グルテンフリーとか、アレルギーじゃなくてもあえて除去したり
その為の美味しい代替品も多く出ている
20年くらい前はそれほど代替品も無く、今みたいに美味しい物も少なかった、食事メニューも限られる。

小さき私は無力だった。

そう言うわけでオムライスも食べられず、チキンライスにとろけるチーズをのせた物がご馳走だった。

何となく
懐かしくなってチキンライスチーズのせを作ってみた。

私はすでにこの世の美味しい物、食材の豊かさを知ってしまった、したがってそれほどの感動は無かった
私のチキンライス作りの腕の問題かも知れない…

大きくなるって楽しいことでもあり
寂しい事かも知れない。

(限られる中で選択や満足を得る、それは強さにもなる事は大きくなって知った)

ちなみにそのチキンライスを作るたスーパーで買い物をしていると、小さな子の大声が聞こえてきた
「ねーねー、これエリンギ?」
「エリンギだよねー?」
「当たってる?これがエリンギ?」
親は買い物中なのだろう、何度も確認したがる声が

きのこは種類が多いもんね。私だってこの間、調理後のきのこを見て「エリンギ」だと思ったら「いえ、ヒラタケです」と間違えた、見た目での判別は難しかろう。

どれどれ
振り返ると子ども(推定未就学)が手にしていたのは

さやいんげん!!

真緑!!


きのこですらなかった。ただ無性にほっこりした。
そもそも字を識別していないだろうとは思っていたが、エリンギがきのこであることも知らないか、と思い当たる。いや、さやいんげんがきのこでない認識はどう持つんだ、そもそもきのこの概念ってどうやって持ったんだっけ?

覚え方や覚えた事も覚えていない知識、情報それらの取捨選択、これからさまざまなことを吸収していくんだろうな、小さき者は可能性の塊でしかない
(私も知っているつもりで知らない事はまだ山ほどある)

そしてまた別な日にスーパーからの帰り道、
三輪車のハンドルに顔を伏せ爆睡する子を見た

持ち手が付いているから後ろから慎重に保護者が押して進めていた。寝ながらも前進できるなんて…
小さき者は大切に守られる。
対向車線だったが安全走行した事は言うまでもない。

これはまた別な日、私はコンビニで小銭を落とした
運悪く、商品棚の隙間に転がり込む、屈んで覗き込むも、僅かな隙間の下はどうにも見えない

向かいからやって来た小さな子がマネして屈んでくれた

小さき者に助けられる

画力の問題で子どもは前を見ているが
この姿勢で商品ケースの下を覗き込んでくれた。
大きさの問題もあるけれど、明らかな柔軟性の違い

相当奥へ入り込んだようで、お礼を言って諦めた


大きくなった私は小さき者の目線には戻れない
少し寂しくなりつつ、優しい気持ちに心の柔軟性はもらえた気がした。


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