選択肢の意味
人生は、選択肢の連続。
1年間に何度選択するのだろう。
人にもよると思う。
他の人と出会う数が多ければ、その分選択する機会も増えると思う。
私の場合は26年目。
26回目の人間を今日も生きているわけだが、これまでに何度その選択を「失敗」したんだろう。
その瞬間が「失敗」だと思っても、回り回って「成功」だったと思えるものもあるかもしれない。
しかし、今のところはトータルして「失敗」な気がする。
人間、生まれてすぐは「初めて」の連続であるため、「失敗」があって当然だと思う。
逆にその傷の多さが未来を作るとも言えそうだ。
「あの時、あの失敗があったから」、「誰かにその失敗を正してもらえたから」など。
確かに私にも思い返せばそういうものもある。
あの経験があったから、今を生きていける。
あのことを思えば、これくらい大したことではない、と。
しかし、それらは自己完結できるものに限るような気がする。
例えば、大袈裟かもしれないが、あのまま過ごしていたら、【命を落としていた】、【犯罪に加担していた】など。
私の大学時代の一人の教授がこう言っていた。
「物事には必ず理由がある」
私はこの言葉を心の片隅にずっと持っていた。
では、それらの「失敗」も決して無駄ではなかったと、胸を張って言うためにはどうするか。
たとえ、辛く苦しい毎日でも、逃げずに前を向き、未熟な自分を認め受け止め、一歩でも歩を進めていくしかないのだろう。
辛ければ逃げても良い、それもまた選択のうちの一つではあると思う。逃げることが決して悪いことではないし、昨今の自殺や病む現状を鑑みれば、それもまた正しい選択とも取れそうだ。
しかし、逃げ癖が付いてはいけないとも思う。
人間生きていれば辛く苦しいことは何度だって、いつだって、時と場合を選ばずに、時には残酷に現れ、その現実を突きつけてくるだろう。
そんな時に逃げることだけを正しいとして、選択し続けていてはいけないと思う。逃げれない場面、逃げてはいけない場面は必ずあるし、その逆もまた然り、逃げる場面、逃げるべき場面もあるだろう。
その選択を見誤らないよう、経験を積んで大人になっていくのだろう。
今は「失敗」としか見れない人生でも、その生涯を終える時、「失敗があったからこその良い人生だった」と胸を張って言えるように明日も自分のペースで、できることを最大限に発揮して、前向きに、ひたむきに、今すぐに評価されずとも生きていきたいと思う。