のこされた言伝|ショートストーリー
その森には驚くほど大きな足跡が残されている。
大体、わたしの体くらいだろうか、寝そべるとちょうどピタリと合うくらいの大きさだ。形は丸く、点々とその跡が続いているので、私たち野ネズミの間では、それをきっと足跡だろうと憶測していた。
そうして、私たちはこれを「ビジン」と呼んでいた。
わたしはよく山に入っては、ビジンを書き写したり、川や山の状態を観察したりしていた。それというのも、祖父からよく「ビジンは、とあるカミサマの足跡なのだ。だからあまり深追いしてはならないよ」と言い聞かせられてきたからである。ひねくれ者だった私は、妙にそれが頭に残ってしまい、今でもビジンを見つけては観測をし続けている。
ビシンは何十年かの周期で発生しているようだ。祖父の生まれるずいぶん前のものもあるようだ。ビジンが現れると、みな畏れ、そしてその場所には寄りつかなくなる。野ネズミも、他の生き物たちも、それが暗黙の了解となっていた。
ある夜の事だ。
その日はとても静かで、満月が辺りをぼんやりと明るく写し出していた。
なかなか寝付けず寝床の上でぼんやりとしていると、ふと遠くの方から小さな足音が聞こえた、わたしは寝床から抜け出し、その静かな足音を追うことにした。ゆっくりと地面を踏みしめるようにして、その音は大地を揺らしている。
しばらくその音を追っていると、ひらけた谷が見えた。
ふっと月は雲に覆い尽くされ、あたりはしんと暗く静まりかえっていた。
高い位置からその足音のする方へ目を向けるが、何かがいるわけでもなく、ただ静かに谷を風が抜けてゆく。
「気のせいか」
きっと私が寝ぼけて、風の音と、足音を間違えて聞いたのだろう。
家に戻って、また寝床についてしまおう。
それは雲が晴れ、月がまた顔をだしはじめた瞬間だった。
空から、無数の丸い光が落ちてくるのだ。
まるでそれは、熟れた木の実が地面に落ちてくるように、何個も何個も。
冬の空にきらめく星々が、そのときを待っていたかのように谷に順々に落ちてゆく。その音はまるで足音のようだ。
ありのままの、その美しい夜空から降り注ぐ果実のような光は、やがて消えまた大地に足跡のように残されてゆく。
私はそっとその場を後にし、寝床についた。
足を踏み入れてはいけない。
きっとあの場所は、そういう場所になってしまったのだ。
神々の足跡を残したまま。
ビジン
そのままでいい。そのままにしておこう。決して、投げやりなわけではなくという意味。
そのまま、ありのまま、変えないことが美しいこともあります。少しずつ自然に変わっていくこともまた、美しい。そんな意味が込められた言葉。