まばたきと落雷|ショートショート
どこか遠くで落雷が落ちた。
僕は読みかけの本から顔を上げて、窓の外に目を凝らす。外はぼんやりと曇っていて、ずっとずっと遠くの方に灰色の雲がかかっているのが見える。
雲の向こうで一瞬、稲妻が光る。
僕は瞬きをして、耳をすませた。
少しだけ遅れて何処か遠くの落雷の音が聞こえてくる。
カラカラと窓を開けると、ヒグラシの鳴き声、肺いっぱいに吸い込む空気はじとりとした雨の香りがする。まだ雨は降っていなくて、でもどこかで雨の気配がする夜だ。
冷えてしまったカフェオレのカップに口をつけ、本に栞を挟むと、ポツリポツリと雨がベランダのコンクリートに滲んでゆく。
あっという間に世界は雨に覆われてゆく。
机の電気を消し、窓の前に座る。
網戸の向こうの世界を眺めると、また一瞬の稲妻がふたつほど光る。灰色の雲が少し明るくなり、あの雲の向こうにも落雷が在ることを感じる。落雷の音が遅れて耳に届く。
音も光も近づいてくるのに、あっという間に通り過ぎてゆく落雷。
儚いというよりも、力強く、世界にその存在を示すように光り消えてゆく。
おなかの底に響く音を昔は随分怖いものだと思っていた。
父や母に言われた逸話のせいかもしれないけれど、雷が鳴るたびに毛布を頭から被り、飼っていた猫と一緒にその夜をやり過ごしていた。
大人になって、一人暮らしをはじめて、友人もいて仕事もほどほどに、
なんとなく過ぎているような日々を過ごしていると、子どもだった雷を怖がっていた自分を忘れてしまう。何かを諦めたり、何かを選んだりする毎日だけど、それが大人になったということなのかもしれない。
思い出は全て過去のことで、物事の全てを覚えているわけじゃない。覚えているのは一瞬の瞬きをした光景ばかりだ。母と見た燃えるように赤い夕日、喧嘩をして友達を別れた後にみた入道雲、教室の窓から手を振る君のこと。
また雲の向こうで一瞬、稲妻が光る。
永遠の一瞬のようなその光は、どこかまばたきに似ている。
僕は、またいつかこうやってこの日々を思い出すだろう。
遠い雲の向こうに見える落雷。
僕はそっと目を閉じて、何処かに消えていくその光を目に焼き付けた。