<小説>鶴見川の向こう側へ

20241028

雨の日は好きだ。病室で1人の私に、そこに居ていいんだよって誰かが言ってくれたような気分がする。

けど、この日は違った。
私はたまらなく会いたくなった。あの日、夏祭りに誘ってくれた名も知らない男の子が、どこかで私を待ってくれているんじゃないかって。
病室の窓から見える土砂降りの街は視界が悪くてつまらない。いつもならはっきりと見える鶴見川。その向こう側は賑やかな夏祭りが、、、いや、こんな雨じゃ延期か中止に違いないけど。

もしもこのままここを飛び出して君に会いに走ったらどうだろう。
身体中の点滴やらチューブやらをむしり取ってこの牢獄から解放されることができたら。もし君と会えることができたら。きっと私は異なる意味で今よりもっと死を実感するのかもしれない。



私は長くはないらしい。血を吐いたり毛が抜けたり、どうやら体がもうダメなのは本当だ。でも私、死んだことなんてないし、大人にすらもなれていない。むしろ君と出会って私は死に近づいた。初めてこんな気持ちになったんだ。大人になるってこんなことでしょ。


私の病室には先客がいた。
骨肉腫の少女だった。彼女はすぐに私の唯一の友達になった。私が入院するかなり前からその病室にいたらしい。ずっと独りで。

--寂しかったんだよ!!--
と元気に話しかけて来た少女は、年下のくせして私よりよっぽど大人だった。
その子、もう死んでしまったけど。

少女の見舞いに来ていた少年は、手紙とたんぽぽの花束を引っ提げて、学校が終わったくらいの時間にいつもこの部屋に現れた。

少女は
--友達が出来たんだよ!--
なんて少年に言ってしまうから私たちは仲良くなった。
少年は妹のことが大好きなようでとてもとても嬉しそうだった。
それからの毎日は楽しかった。

この日も雨が降っていたけど、真っ赤なレインコートを着て少年は現れた。
私は少年の髪をタオルで拭いてあげた。こんな雨なのにどうして来たのと聞けば、今しか会えないかもしれないから、来るしかないじゃん言われた。

--今度にさ、総持寺でお祭りがあるんだ、よかったら行こうよ--
と言ったのは少年だった。
花火とか屋台とか、夏祭りを雄弁に語ってくれたから、私は少し笑ってしまった。

けど、それから2週間くらい経ったこの日、朝起きたら病室は私1人だった。少女のやたら元気な「おはよう」は一体どこに消えたのだろうか。
この日も少年はやってきた。彼いわく少女は転院してしまったらしい。急に決まったことらしい、私はお別れすらできてない。
わざわざ少女の転院を伝えるために少年は私の病室に来たのかと少し不思議だった。
けど真相はすぐに分かった。この日の少年はやけに口数が少なくて、私に嘘を隠すのが必死だったみたい。

少女が病室にいなくなってからも、少年は同じ時間に私のところにやってきた。いつもくれるたんぽぽやシロツメクサは鶴見川沿いの土手で摘んできたものらしい。不揃いで土も付いていた。

--明日、総持寺のお祭りだよ。覚えてる?--
覚えてるよ、一緒にいこうね

この日、少年は来なかった。私の体調も最悪だった。全身が痛む。
私はたまらなく会いたくなった。どこかで私のことを待ってくれてるんじゃないかって。

階段を降りるのもやっとだった。1階に降りてロビーを走った。すごく無様だったと思う。自動ドアが開くと、冷たい空気が流れてきた。傘もささずに、鶴見川の向こうを目指して私は走った。雨に打たれて病衣はびしょぬれ。私はこの日死んでもいいなんて思ってしまった。豪雨はますます強くなり、辺り一面が白い霧で包まれた。夏なのにすごく寒い。体が痛い。

足を止めちゃダメだ、私は決して速くはなかったと思うけど必死に足を回した。
鶴見川にかかる橋の辺りでようやくことの異常さに気がついた。野次馬が橋に集まっていた。その人混みをかき分けた、橋の中央では軽自動車の隣で赤いレインコートを来た子供が横たわっていた。その周りにはたくさんのシロツメクサが散らばっている。駆けつけるパトカーのサイレンが聞こえる。私はもう、立って居られなかった。体の痛みが和らぐように意識が遠のいた。

一緒に行こう。



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