《短編小説》唐牛のケンタロウ
《序章》子牛の発見
いつものようにぐっすりと寝て迎えた翌朝。
普段と変わらず家族と朝食を食べていた時だった。
朝の報道番組が衝撃的なニュースを放送していた。
--○○○地方の牧場で人語を話す子牛が発見されました--
僕はウィンナーを頬張ったままテレビを凝視していた。家族もきっとそうだったと思う。ニュースキャスターの整った声とこの珍事の不気味さがなんとも飲み込めない。
その日は高校でもこの話題で持ち切りだった。SNSでは例の子牛の動画で溢れていた。子牛でありながら低い聞き取りずらいうめき声を放ちでも確かに馴染みのある言葉にも思えた。
いつも陽気な生物の先生も、今日はさらに興奮気味で朝刊を見なさいと新聞をコピーして配ってきた。
「牛はね、喉の構造的に複雑な音がつくれないんだ。この牛は突然変異だねー」
といつも以上に雄弁な調子だった。
この強烈なニュースは1週間が経っても連日TVを独占した。この子牛はケンタウロスをもじってなのかケンタロウと名付けられ、一躍ときの牛になった。例の牧場は大盛況をみせ、全国から観光客が押し寄せているそうだった。
《1話》ケンタロウ人権闘争
ケンタロウの人語レベルは決して高いものではなかった。偉い専門家曰く、声をかけてくる観光客を真似することで人語を習得したという。ケンタロウの語彙も次第に増えていき会話の内容もまた発展していった。多くの観光客から人語を学んでいるのであろう。その成長速度はテレビ越しの僕から見ても目を見張るものであった。
その頃からネットでは陰謀論じみた暴論も増えてきた。
「唐牛の出自は中国だ、中国の新兵器だ」
「ケンタロウの正体は人と人間の交雑種である」
「政府の生物実験ではないか」
「恐竜の生き残りかもしれない」
など憶測が止むことはなかった。前代未聞の出来事を前に多くの人々がこの未解決問題について見解を持つようになっていた。特に人間と牛のハーフ説や人体実験説といった疑問はマスコミでも大大的に取り上げられ牧場側(ケンタロウ擁護=リベラル派)と倫理側(保守派)のふたつの世論が発生した。
特に保守派の各人は同牧場での人体実験の可能性を指摘してこれを痛烈に批判した。
これに真っ向から対立したのが同日設立のケンタロウを守る会だった。同会は、現在のケンタロウには12歳の人間と同程度の知能があり、その権利を保証すべきと強く訴えていた。
ここに人外のケンタロウを巡る人類史上初のケンタロウ人権の可否についての議論が始まった。
僕はこの頃からケンタロウについて独学で勉強をしていた。きっと発達障害の兄がいたからだと思う。兄は8歳程度の発達段階だが、ケンタロウの言語能力は既に高校生レベルらしい。人が人たる要素というのは一体何なのか、世の中にある答えでは満足することができなかった。
依然、ケンタロウに対する厳しい声は多かった。人間社会で権利を持つのは人間だけという主張である。牛は被食者なのである。全ての人の価値観にそういった差別が含まれていた。
《2話》生物権利
事の転機はケンタロウが初めてTVインタビューに応じたことだった。
--わたしはヒトではないのだし人権なんて要らないが、この自然の中で知的文明の不当な迫害を受けずに幸せに暮らす生物としての権利を保証してもらいたい--
ケンタロウの肉声を聞く機会というのは決して多くなかったし、さらに成長したケンタロウの言葉は多くの人の胸を打つに足るものだった。
この日以降、守る会は署名運動を起こした。この年の流行語賞になる生物権利というのはこれがきっかけで生まれた新語である。
一方で反ケン因子は確実に成長していた。ある右翼学者の発表した『牛禍論』は国内外に大きく物議を醸し、擁護派と保守派の対立は社会を分断していた。
僕はそんな最中でケンタロウ氏の公演を聴講した。
秋頃だった、会場の周りはお祭り騒ぎでそれは凄い数の人々がおしよせていた。講堂内でもざわつきが収まらず観衆の視線が今に登壇するだろうケンタロウ氏を待ちわびていた。
乾いた足音とともに舞台脇から牛がでてきた。立派に育った赤い牛だった。講堂は拍手と歓声が乱れ咲いていた。ケンタロウ氏は動ずることもなく舞台中央に設置された低めのマイクのところへゆっくりと歩いていた。
ケンタロウ氏は低い声で自己紹介から始めた。
唐牛のケンタロウは今では革新派の指導者なんだということを再認識した。
時間はあっという間に過ぎてしまい気づいたら終わっていた。彼の主張は自分の権利からヒト社会への批判と多岐に及び、その観念にただ感服するのみだった。彼の言葉の重みはヒトの領域をとうに超えていた。
私はあまり寝られずに翌朝を迎えた。普段はあまり口数が多いほうではないが、その感動を語らずにはいられなかった。
家族と朝食を食べていた時だった。
朝の報道番組が衝撃的なニュースを放送していた。
--速報です、ケンタロウと呼ばれ多くの議論を引き起こした唐牛が昨夜、何者かに殺害されていたことが分かりました--
僕はサラダを頬張ったままテレビを凝視していた。家族もきっとそうだった。ニュースキャスターの落ち着いた声とこの悲劇の不均等が納得できなかった。
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