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【連載】第4回 描くことは「知る」こと (話し手:チカツタケオ)

村上春樹さんの『騎士団長殺し(新潮社)』をはじめ、湊かなえさんや東野圭吾さんなど著名な作家の装画(表紙の絵)、雑誌・文芸誌の挿絵など、数多くの素晴らしい作品を手がけるフリーランス・イラストレーター、デザイナーのチカツタケオさん。今回はチカツさんのお仕事のこと、ご自身が描きたい絵のこと、ピンチの切り抜け方、今の若いクリエイターたちに伝えたいことなど、たっぷりとお話を訊いてきました。

> チカツタケオさんの仕事

第4回 描くことは「知る」こと。

末吉
チカツさんご自身の中で、「こういうものを描きたい!」というライフワーク的な絵の方向性、イメージのようなものはあるのでしょうか? それは、どんなタイミングで見えるものなんですか?

チカツ
描きたかった絵というのは…。イラストの勉強のために、青山塾っていうところに通っていて。あの頃、自分がどういう技術で、どんなふうに描くかって模索していたんですが。それがある程度できたら、イラストの仕事のためというのではない、これが描きたいのかなというものが出てきました。最初は靴ですね。たまたま捨てる前に描いておこうって思ったコンバースの靴でした。

末吉
コンバースの靴?

チカツ
そう、白いやつでもう10年近く履いてなかったかもしれないけど、黄ばんでもう履かないから捨てようと思った靴。下駄箱の奥に、そういえばこういう靴あったな。昔はよく履いていたのにって、捨てる前に愛おしくなって描きました。

こいつも工場で生まれた新品の初々しいときがあって、一時は来る日も来る日も毎日一緒に行動して、少しずつ傷ついて汚れて。そして今、役目を終えて捨てられていく…。ステッチを描いたり細かい部分を描くのも楽しいですし。それからなんか靴って面白いなって、うちの奥さんの靴を描いたり、実家の家族の靴を描いたり。

末吉
はぁ…。どうして家族の靴を?

チカツ
どうしてかは今は思い出せませんが、うちの実家の靴を並べて描いたときに、うちの実家って決して金持ちでもなければ、明るい家族でもない、なんか家族の肖像みたいなのが見えてきた気がするんです。

末吉
フランスの友達の靴というのも描いていますよね。

( デンマーク人留学生テアの靴の作品 )

( コロンビア人留学生アレックスの靴の作品 )

チカツ
外国人の靴はフランスに行く前から、ちょっと考えていたんだけれども。フランスにはいろんな国の人がいるだろうから、外国人の靴を描くことによって人種の違いだとか、また違ったものが出てくるのかなって興味で。

でも、今って世の中どこでもつながっているから。たとえば、アディダスの「靴」があったり、ナイキの「靴」があったり、有名なブランドの「靴」が同じように履かれていて、当然身近な人は学生が多かったからスニーカーが多いし。そこに大きな違いはないんですよね。「じゃあどういうことだ?」って思ったら描けなくなった。

末吉
えっ、描けなくなった?

チカツ
はい。人は何足も靴を持っているし、靴を描くのが楽しいからって、誰でも何でもいいから描けばいいというのではないのに気づいたし。そういうのを考え出したら一時、「靴」の絵が描けなくなってしまって。

そのとき、自分の人生ですれ違った大切な人たちに絞って、たとえば僕の高校時代や大学時代の友人たちの「靴」を描いたらどうだろうって思ったんですね。でもそれだと靴自体はおもしろ味なさそうだし、私小説になってしまう。とはいえおもしろければ誰でもいいのかというのも…。それで、「靴」を描くのは50枚くらいで一旦止めてるんです。

末吉
今は「靴」の絵は描いていないんですね。

チカツ
はい、「靴」自体は。それとは別に、描きたいものも出てきていて。もっと拡げて人の手で使われてきたものや大切に使われてきたものも描きたいなって。

知り合いに職人を取材して「ニッポンのワザ.com」ってホームページをつくっている事務所があるので、取材のときに同行させてもらって、今ちょうど描きかけなのは木彫り職人が使う道具っていう。

末吉
はー、木彫り職人の道具を描いているんですか?

チカツ
描いていますね。親子で木彫り職人をやっていて、お父さんは80歳過ぎても現役で、10代の頃からずっとやってきた方なんですよ。ものすごい数がたくさんあって。

末吉
それは、道具がたくさんあるってことですか?

チカツ
鉋や鑿とか、ものすごい種類が揃っていて。そういう道具って、人が使ったものじゃないですか。使ったものの中に歴史がありますよね、人が使い続けてきた歴史が。

( 木彫り職人が使う道具の作品 )

末吉
「靴」にもそういうところがありますよね。

チカツ
はい。上手くは言えないのですが、写真で撮ればあっという間。だけど描くのに時間がかかりながらも、今は何でも短時間、短時間だから、時間が経っている歴史あるものをあえて時間をかけて描きたいなって思っていて。

末吉
なるほど。たとえば、誰かが使い込んできたものだとか。使ってきたものを、ご自身で時間をかけながら描いてみるってことなのでしょうか。

その職人さんの「使ってきた道具」の絵は、チカツさんのライフワークのようなものに近い絵?

チカツ
はい。職人さんにとって思い出があるかどうかはわからないのですが、やっぱり長い間「使われてきたもの」は、靴と同じようにそこには昭和の日本を支えてきた道具たちだし、道具に歴史というか人生がある気がする。

それは、描きたいと思って自主的に描くわけだし、ライフワークのようなものに近い絵になると思います。

末吉
チカツさんは、そこに関心がおありなんですね。これって、装画のお仕事とは全く違うというか。装丁のお仕事は、誰かが使ったというよりは、依頼主が設定したあるテーマに沿って描いたものですもんね。

チカツ
映画でたとえると、メイキングに興味があるんですよ。オモテじゃなくてウラに興味がある。知りたいっていうと変ですが、その人がどういう気持ちでどんなふうに作品にしてきたか。そこが知りたいですね。

末吉
うわぁ〜、すっごいよくわかります。だから、チカツさんが描いた絵そのものもすごいなって思うのですが、その絵を描いたチカツさんという人に、僕も興味があったりするんですよ。

チカツ
木工職人の方を取材させてもらったとき、一緒に話をしたんですね。まあ、本来は知り合いの事務所の取材が中心だから、僕はおまけ的にちょっと写真を撮らせてもらいながら話を聞くレベルで。本音的なものは、なかなか聞けないんだけれども。

その人がどういう気持ちで、どういうふうに仕事をしてきたかっていうのが知りたいんです。僕も、何かを創りたいって思っているから。どこかで何かを創っている人が、どんな苦労や喜びを感じながら携わってきたんだろうっていう。

そういうことを、たぶん知りたいのかなぁ。それによって何か自分も、もっといいものができるようになるかなって。刺激があることで逆に、「もう写実なんて辞めちゃおう」って思うかもしれないですし、それならそれでも(笑)

末吉
えっ、それはやばいですね(笑)ということは、絵で何かを表現しようっていうのではないかもしれない?

チカツ
元々、僕は理系の人間だから。何か研究しようとか、どんなふうになっているんだろうっていうウラ側に興味がありますね。「どういう実験を」というか。「どういうことを知れるのかな」だとか。それを絵を通して模索しているんだと思います。それも絵で何かを表現しようとすることの1つだと僕は思いますよ。

末吉
なるほど。

チカツ
昨年「クー・ギャラリー」っていうギャラリーさんで、僕の「靴」の絵を複製画で展示販売したことがあったんですね。20枚くらい並んだのかな。そのとき「靴の絵が描きたかったのは、こういうことだったのかな」って、ひとつ気づいたことがあって。並んだ複製画が「遺影」に見えたの。

末吉
人の? 人の「遺影」ですか…?

( 靴の作品の展示会風景 )

チカツ
はい。「遺影」って、なんだか暗い感じがしますよね。たとえば、ダムで亡くなった方とか、慰霊碑に300人くらいの名前がダーッと並んでいる。名前だけなんだけれども、実はその裏に一人ひとり家族があったり、人生があるわけじゃないですか。

僕は「靴」を描くことで、そういったことを描きたかったのかなってわかった気がして。だからこそ、たくさん並ばないと意味がなくて、まだ数を描く必要があると思ったんです。

末吉
うーん、1枚だけでは見えてこない世界というか、伝わってこないものがあるという。

チカツ
元々、たぶんやりたかったんだけれど、模索しながら「靴、描きたいな」ってやってきて。でも昨年、個展をやらせてもらってたくさん「靴」が並んだときに「あ、やっぱり僕がやりたかったことは、そういうことなんだな」ってあったから。数を描かなきゃならない、「靴」に関しては。でも、職人の道具は道具で別かもしれませんね。

末吉
なにか違う?

チカツ
そうですね。自分だって明確にはわからないですよ。考えてわかっちゃうなら絵なんて描かないかもしれないし。表面的には写実の絵で自分の探していた絵は「こういう絵」っていうひとつの様式は、イラストの学校に行っていたときにできた。

末吉
自分の絵はこれだと。

チカツ
その後はその表面的な部分を使った実験というか。「そこから何ができるか」とか「どういうことを知れるのかな」だとか、とはいえもちろん生活のためには収入も得なくてはならない。そういったことを模索しているんだと思います。

絵も結局コミュニケーションだから、英語でいえばある程度文法も単語も覚えた。じゃあ誰と何をどう話すかってことを探してしているのだと思います。そういう意味でいうと僕のイラストレーションでの仕事は翻訳や通訳に近いのかもしれません。

( 秦本幸弥さんの『本日職業選択の自由が奪われました』の装画 )

末吉
なるほど。

チカツ
必ずしも「靴ばかり描きたい」「職人の道具ばかり描きたい」ではなくて、それはそれぞれに、またちょっと違うのかもしれないし。

末吉 
それぞれ違うところに、その面白さを見出すかもしれないってことですよね。逆にいうと、50枚くらい描いて「靴」はもう完成したんですか? まだですか?

チカツ
全然。200枚~300枚くらい描かないと。最低でも100枚くらいは描かないと、僕が感じていることを人に伝えるのは難しいかもしれないって思っていますね。まだ、50点前後しか終わっていないから。

末吉
なるほど、そういうことなんですね。それで、今は職人さんの道具を描いていると。でも、もしかすると、道具の絵は数を描く必要はないかもしれないってことなんですかね?

チカツ
はい。職人さんっていう部分で、職人さんの何を描きたいかっていうと、日本は職人の技術がある国と言われてきて。だけど多くの方が、もう60代や70代以上の人ばかりで今後なくなっていく技もあるはずです。

ずっと縁の下の力持ちとして、日本を支えてきた歴史があるんです。でも、今後それがなくなる可能性もありますよね。

僕は、その歴史を少しでも残したいっていうのかな。可能であれば画集や絵本として形に残したり。売れようが売れまいが、自分から発信できる可能性があるなら、やってみたいなって思っています。生活のための仕事もしながらそれが叶うかどうかはわかりませんが。

末吉
どんな画集や絵本になるかはちょっとイメージが沸かないですが(笑)、挑戦的で、面白いと思いました。

チカツ
でも、できるんだったら、何かそういうのでできると最高ではあるけれど。たとえ難しかったとしても、自分の中で今までと違ったアプローチをしてみたいなって思うんです。イラストレーションの仕事だと、どうしても受け身になってしまうから。

たとえば受験の問題のように、与えられたものに答えるのではなくて。自分が自分に問題を与えて…。とはいえ、僕にはアートや絵画ってイメージは重すぎるから、そうならない中間を探りたい。

末吉
自分の中から何かをアウトプットしつつ、世に出してみる。

チカツ
そうですね。そうやって何かを問いかけてみたいな、と。そんなふうに、ライフワークとしての絵を描いていきたいんです。

( つづきます )

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【 profile 】
チカツタケオ
デザイン事務所数社に勤務の後'98年よりフリーランスイラストレーター、デザイナー。'06年青山塾イラストレーション科修了。’06年9月〜'08年2月南仏Aix en Provence滞在。’07年ザ・チョイス年度賞優秀賞。'09年第8回TIS公募金賞。

CHIKATSU's works

【 website 】
http://www7b.biglobe.ne.jp/~chikatsu/index.html

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