世界に平和をもたらす生き方

こんにちは、末吉です。

コンテンツビジネススクールのリアル講座が終わりました。

楽しかった。

最高の仲間しかいない。

心から、いえ、魂レベルでつながりのある同志が集まったとしか思えない。

で、こんなことをつぶやきました。

さて、そんな在り方でお届けする文章がこちら。


まずはじめに、この文章が、

「何かを否定する生き方」

を否定するものではないことを強調しておきます(笑)。


誰かが「戦争反対!」と拳を上げる。


あれれ、、、


「戦争反対!」と言って、突き上げるその拳はなに?


その拳こそ、

戦いの証・戦争の素なんじゃないの、

それって矛盾していない? と。


戦争に戦争をしかける、みたいな。。


でもときに、こちらに戦いの意思がなくても、たとえば「否定しない生き方」と言った時点で、「否定する」ということを否定する、そんな構造になってしまうのです。


無意識のうちに我々は、

終わりのないメビウスの輪に

迷い込んでしまいます。


と、まぁ、

難しいことや細かいことはさておき、

個人的には、

何も否定しない生き方、

何とも戦わない生き方のほうが、

エネルギーロスがないと思うのです。


いいとか悪いとかいった、倫理的な話ではありません。


もっと実際的な話として、たとえば、、、


わがままやらお金儲けやら会社の上司やら病気やら不倫やら、極論すれば殺人やら戦争やら、そういったものはダメだと怒ったり、どうにか避けたいと考えていると、否定するのにエネルギーを消費します。


むかし僕は、子どもを虐待、さらには死に至らせてしまう親は、自ら命を断つべきだ、ぐらいに激しい意見を持っていました。


そこに激しい憤りをおぼえ、

そういう親を全否定し、

心の中で牙を剥いていました。


しかし、さまざまな内面や感情のトレーニングをはじめてからしばらく後、それもまた、いえ、それこそが、「虐待や暴力のタネ」なんじゃないかと思うようになったのです。


もちろん、戦争や虐待をいいと言いたいわけでありません。


ただそのままにしておく、というイメージでしょうか。


ちなみに、それは、

ないことにしたり、無視することとも違います。


しばらく前まで、虐待であったり、子どもが親を殺してしまうといったニュースを見ると、心が反応していました。


そのときは批判というよりは、

哀しみの気持ちにとらわれる感覚。


その度ごとに、

自分の心の反応を受け入れて、

癒すという作業を繰り返してきました。


そうすると今では、

瞬間的に心が反応することはあるけれど、

それにとらわれるということは

ずいぶん少なくなりました。


否定しない、戦わないというのは、

自分に集中することであり、

周りに振り回されないということです。


わたしたちは、

周りのことや誰かのことを

コントロールすることはできません。


否定する、戦うというのは、

それを何とかしようとすることです。


ですから、

否定しない、戦わない生き方を選択することで、

エネルギーロスが少なくなります。


あなたがやることにスッキリと集中でき、

自分の人生を全うできるようになります。


何かを否定したり、

戦っている暇はありませんよ。


あなたにしか味わえないことが、

もっとたくさんあるんですから。


そっちの方に目を向け、

思いっきり手足を動かしていきましょうね。


結果、

それがきっと、

平和につながります。


末吉より

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