「応援する」ってどういうこと?
日本対ポーランド戦、決勝ラウンドへの進出がかかった大一番でした。
勝ち点、得失点、フェアプレーポイントという様々な数値が絡み合った結果、日本代表はこのままでは0-1で負けてしまうという最後の10分間、
この試合での勝ちは捨てて、3試合を通しての勝ち、つまり決勝ラウンドへの進出に賭ける選択をしました。
「消極的だ」という批判もあったようですが、あの状況で全ての選択にリスクがありましたし、「消極的」どころか「超積極的」とも言える判断だったと思います。
僕は「応援する」つもりで試合開始前からテレビの前で待機し、モスチキンとポテトも準備して万全の体勢を整えていました。
1つ1つのプレーに一喜一憂し、ギャーギャー言っていたのですが、
ラストの10分を迎えた時、僕がどんな心境だったかというと、
「えーつまんないなー」
「点取りに行けばいった方が面白いのにー」
というもので、一緒に観ていた友人とブーブー文句を言っていました。
結果として決勝ラウンド進出が決まった時は嬉しかったのですが、直前までブーブー言っていたので若干複雑という。
その後ラスト10分に関する議論があちこちで盛り上がり、僕も色々考える中で、「応援する」ということについて特に考えました。
果たして自分の態度は応援と言えるものだったのか?と振り替えると、
あれは完全に「応援風(おうえんふう)」でしたね。
この「風」はあれです。
広島「風」お好み焼き、とか、サザエさん「風」のイラスト、とか
ハライチの岩井さんがよく言う「お笑い風」の「風」です。
応援していると見せかけて、自分の思い通りにならないと不平不満を言い、最終的には偉そうに批判まで始める。
自分勝手な見方をしているという自覚があればまだマシですが、「応援してやってる」という謎の上から目線を持ってしまっているという。
これもう完全に「応援風」ですよね。
日本代表の方々、ごめんなさい!
普段子どもたちの応援をしている立場としては、「応援風」にならないように心がけていたはずなのに、
むしろ「応援風」な人たちに対して「困ったもんだ」と思っていたのに…
自分の浅はかさを残念に思います。
応援する相手の目標達成に向けて、自分に出来ることが何かを考えて行動し、こちら側で出来るベストを尽くした上で、相手が自分の思うように動かなくても決して批判せずに見守る。そしてどんな結果であってもそれを一緒に受け入れる。
っていうのが「応援する」っていうことなんだと思います。
「自分の思い通りになってほしい」という気持ちが入り込めばその瞬間に
「応援風」になってしまっているのではないでしょうか。
応援しているつもりなのに、反発されてしまう。
そういう時は「風(ふう)」が入りこんでいるかもしれません。
どんな人のチャレンジもしっかり応援できるようになっていきたいな、と思わされた試合でした。
ベルギー戦はもう、100%応援します!
そうなると僕に出来ることは、どんな戦略、どんなメンバーであれ、信じて、声援を送り、一緒に結果を受け入れることだけです。
日本、がんばれ!!!