僕と坪田塾 part1
僕は坪田塾の講師であるわけなんですが、
実は僕、坪田塾の元生徒でもあるんですよね。
今日は僕のことを知ってもらいたくて、
「僕がどうして坪田塾に入ったのか」
「どんな生徒で、どんな風に受験したのか」
について書きました!
ぜひ読んで見てください!
僕の両親はすごく教育熱心でした。
とても高い理想を持っていて、中々褒めてはくれませんでした。
90点を取っても「90点取れてすごい」ではなく、「どうして100点取れなかったの?」と言われてすごく悲しい気持ちになったことが何度もあります。
両親が自分を愛してくれていることはわかっていましたが、僕は勉強についてあまり前向きに取り組めなくなっていました。
中学受験以降は完全にやる気を失って、成績も下がりっぱなしでした。
先生に生意気な態度をとって、親が呼び出されたりするようなことも何度もありました。
そんな状況では先生も親も褒めてくれるわけはないのですが、
僕は正しい努力をしませんでした。
ちゃんと勉強したり、先生の言うことをよく聞けばよかったのですが、
そうはしませんでした。
最悪だったのは、全然努力なんかしないくせに、自分のことは天才だと思っていたことです。
努力もせずに、自分のことを天才だと思っているやつって、皆さんはどう思いますか?
好きになりますか?
普通にウザいですよね。
そんな感じで学校の先生には嫌われていたし、勉強も好きじゃないし、
いつしか「学校=つまらない場所」だと思うようになりました。
家庭ではどうだったかと言うと、家でもついつい親に反抗して喧嘩が絶えず、心が落ち着くような場所ではありませんでした。
学校はつまらないし、家でも落ち着かないし、
「オレの人生終わってんなー」と毎日思っていました。
それでも、「自分は他のやつと違うんだ」という気持ちは捨てられませんでした。
そんな状況が続く中で
「学校行きたくないなぁ…」
と本気で思う日もありました。
でも「学校に行かない」なんてことは「超カッコ悪い」ことだという思いがあったし、親も絶対悲しむし、毎日気持ちを振り絞って学校に行っていました。
でも状況が急に変わるわけではなく、毎日気持ちはすり減っていきました。
そんなある日、家に帰ると兄が勉強していました。
「あの兄が勉強しているなんて」と衝撃を受けたのを覚えています。
(中学生になって以降、兄が勉強をしている姿を見た記憶はありませんでした。)
母にこっそり「なんで急に勉強してんの?」と聞きました。
すると、塾に通い始めたのがきっかけということがわかりました。
「どんな魔法を使ったんだろう?」
と気になって、僕もその塾の説明会に行くことにしました。
そこで僕を待っていたのが、坪田先生でした。
「勉強の話をされるのかな」
とぼんやり思っていた僕に坪田先生がしてくれたのは「日本経済の話」でした。
国債の話やら、歴史の話やら話はどんどん広がっていき、
結局2時間くらい話は続きました。
当時の僕は「とりあえず、すげー楽しかったな」と感じました。
「もっとあの人と話したいなー」と思った僕は「あの塾に通いたい」と親にお願いして通い始めることにしました。
その時、別に行きたい大学や将来の夢があったわけではありません。
「話した時に沢山褒められて気持ちよかった」とかその程度の動機だったと思います。
入塾してしばらくして、志望校の話を坪田先生としました。
先生は笑顔で「君は余裕で東大いけるよ」と言いました。
驚きと同時にワクワクしました。
「東大行ったら色々カッケーな」と妄想するだけでもテンションが上がりました。
「東大に行ってどうするのか」なんて全然思いつきませんでしたが、
「東大に行く自分は悪くないな」と思っていました。
僕も今の生徒達と同じようにforestとか白チャートとかをやっていました。
「チャートはとりあえず重すぎる!泣」
とか、
「『基礎英文法』(難関大向の文法書)のどこが『基礎』なんだよ!!」
とか思ったりしていました。
課題に関しては熱心にやる日もあれば、全然やらない日もあったり、気まぐれな芸術家タイプでした。
気まぐれながらも少しずつ継続して課題を進めていったのですが、
教える側になって振り返ると、随分適当にやっていたなぁと反省します。
継続できたのは塾の先生方がとにかく褒めてくれたからだと思います。
毎回毎回こんなに褒められていいのか?っていうくらい褒められるので、行くたびに気持ちが良くて
めっちゃ褒めてくれるから途中で止めるわけにもいかないしね。
気まぐれながらも勉強量自体は増えていたので、徐々に伸びていることは感じられました。
特に英語はどんどんできるようになっていき、自分の中では得意教科と思えるようになりました。
しかし学校の成績は上がらず、僕の状況は変わっていませんでした。
ある日、学校の志望校調査面談で、
「東大です」
と言ったら、まさかの大爆笑でした。
「いくら何でもそんなリアクションはないだろう」
と怒りと悔しさがこみ上げてきました。
「見返してやりたい」と思い、
その後は前よりも一生懸命に勉強に打ち込むようになりました。
いよいよセンター試験の直前になり、僕の頭は「80%以上を取れるかな」という不安でいっぱいでした。
毎日不安で、勉強が手につかない時間も沢山ありました。
実際の点数は78%くらいでした。
例年の合格者平均が85%〜90%というデータがあったので、
「これはやばいぞ」とめちゃくちゃ落ち込みました。
結果としてセンター試験での1次選考は通過できたので、「成功」だと思っても良かったのですが、
(こんな感じのやつです。実際に見ていたものとは違います。)
僕はこの表を見て絶望していました。
「Eラインより全然下じゃん…」
そこから2次試験までの間は
「どうせダメだ…」
という考えがどうしても頭から離れなくて、全然勉強に集中できませんでした。
振り返ると本当にもったいない時間を過ごしたと思います。
迎えた本番では国語の試験で手が震えたことをよく覚えています。
すごく教室が寒かったのと、時間ギリギリになってもまだ答えを書いているという状況に焦ってしまい、
自分でも驚くくらいに手が震えました。
結局左手で押さえ込むようにして、めちゃくちゃカクカクした字を書きました。
結果は不合格で、謎のカッコつけで滑り止めも受けていなかったので、浪人することになりました。
しばらくして東大から試験の点数通知が来ました。
合格には40点ほど足りませんでした。
父親がそれを見て
「全然足りないじゃん」
と言いました。(悪気はなく、率直な感想だったのだと思います。)
その一言に死ぬほど腹が立ったのですが、言い返す言葉も無く、
とりあえず一人で泣きました。
僕自身は「思ったより取れたな」と思いました。
今までやって来たことがしっかり点数に結びついていたことが嬉しく、
「やってきたことは間違ってなかったんだ」と思いました。
一方で「センター試験後の1ヶ月間にもっと勉強していれば」という後悔も強かったです。
受験生の皆さんは「センター試験の後こそ一番大事」ということを覚えておいてくださいね。
浪人の1年間は「また落ちるわけにはいかない」という危機感から、自分でも驚くくらいに勉強しました。
ご飯を食べるより、勉強をする方が落ち着くという異常な状態で、
体重は50㎏ギリギリの超ガリガリ体型になっていました。
2回目の受験が終わった後は清々しい気持ちでした。
「これでダメだったらもうしょうがない」と思えました。
遂に迎えた合格発表日、2011年3月10日でした。
僕は本郷キャンパスに足を運び、合格者の受験番号が並んだ掲示板を見に行きました。
ドラマみたいに一個ずつ番号を見るわけではなく、
僕は視力が良かったので、思ったより遠くから自分の番号を見つけました。
「あ、あった!」
テレビでよく見る掲示板前の胴上げですが、僕は自分からお願いしました。
アメフト部のマッチョな人たちに
「すみません、合格したので胴上げしてもらえませんか?」
と言って胴上げしてもらいました。
両親もこれ以上ないというくらい喜んでくれて、
今までの生活からは考えられないような喜びを感じました。
もちろん坪田先生にも報告し、沢山喜んでもらいました。
母が塾にお礼の電話をした時に、当時僕の担当だった先生が泣いてくださったのですが、
その先生が今の僕の上司なんですよね。
人生わからないもんです、ほんとに。
いよいよ大学生になるということがわかった翌日、
僕は下北沢で母と新生活の物件を探していました。
憧れの東京一人暮らしで、ワクワクで胸がいっぱいでした。
物件探しのために下北沢の住宅紹介会社にいたところ、突然激しい揺れが襲ってきました。
そう、東日本大震災です。
地元には帰れそうもないので、慌ててホテルを探しました。
ホテルではニュースに釘付けでした。
繰り返し流れる津波の映像を見て、合格の喜びはどこかに行ってしまいました。
「同級生になるはずだった人達があそこにいたのではないか」という思いで頭の中がいっぱいでした。
(実際どうだったのかはわかりません。僕が当時そう思っただけです。)
「自分は何をするために東大に行くのだろうか。」
「東大に行く資格を与えられた自分は何をすべきなのか」
そんなことを漠然と考え始めました。
(つづく)
「『つづく』ってなんやねん!」
という感じでしょうが、大学生時代、就職からの転職など今に至る話はいずれどこかでお伝えできればと思います。
とにかく、僕はこんな受験生でした。
良いこともあれば、悪いこともありました。
今の僕を知っている人からしたらイメージと全然違ったかもしれません。
今と違うから嘘というわけではありません。
これから何をするかで、未来は想像もつかないように変わって行きます。
長くなりましたが、僕のことを少しでも知ってくれたら嬉しいです!
それでは!
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